活動する構造は、微分方程式、境界条件、初期条件のなかでも、特に境界条件の適切な設定によって形成できるのではないだろうか。
すなわち、他の構造との接続点、外部との境界面、及び内蔵された装置の入出口における、流通の適切な設定である。
エネルギーが流入する場では、自己組織化により散逸構造が生まれることを思い起こしてみよ。
活動する構造は、微分方程式、境界条件、初期条件のなかでも、特に境界条件の適切な設定によって形成できるのではないだろうか。
すなわち、他の構造との接続点、外部との境界面、及び内蔵された装置の入出口における、流通の適切な設定である。
エネルギーが流入する場では、自己組織化により散逸構造が生まれることを思い起こしてみよ。
獲麟の故事は、理想的な時代にのみ、ある種類の理解できないことから理想が認識される、と理解できるのではないだろうか。
林兵馬著: 大国民読本. 徳富蘇峰による序文より:
且つ夫れ、国家興隆すれば、理想を以て生活とし、国家衰頽すれば、生活を以て理想とする
現実(への人々の認識)は、人々の活動によって、常に再調整されている。今日の現実と、明日の現実は異なる。これは、希望であり、絶望である。
希望であり、絶望であるので、活動を行う人々、及びそれに価値を与える人々次第であり、人々が大切だ。
例えば、迷信・悪霊が除かれるべき領域の現実から、迷信・悪霊は、再調整により、除かれるし(希望)、入り込みうる(絶望)。
再調整は、知新温故により、行われる。
森 博嗣 : 冷たい密室と博士たち (講談社文庫, 1999) p.416.
西澤保彦氏による「文庫版解説」より:
私の考える現代本格の使命とは、新しい試みをもって、これまで培われてきた過去の業績に現在性を付与することにより、自らも再調整された伝統の中に組み込まれ、そして未来に繋げることにある。
「温故知新」
故きを温ね、新しきを知る: 過去の知識(低位の知識。情報に近い、個々がバラバラの知識)を考察して、新たな知識(高位の知識。まとまった、普遍的知識・法則・体系)を得る。
「温故知故」
故きを温めて、故きを知る: 過去の知識(低)を考察して、過去の知識(高)と同じ結論を得る(再認識する)。
(「車輪の再発明」)
「温新知新」
新しきを温めて、新しきを知る: 新たな知識(低)を考察して、新たな知識(高)を得る。
(「知新温新」と組になって、漸進的に新たな知識(高)を獲得する。)
「温新知故」
新しきを温めて、故きを知る: 新たな知識(低)を考察して、過去の知識(高)と同じ結論を得る(再認識する)。
(「車輪の再発明」)
「温故知無」: 過去の知識(低)を考察して、何も得られない。
「温新知無」: 新たな知識(低)を考察して、何も得られない。
「温無知新」: 概念のひらめき。
「温無知故」: 突発的な概念の思い出し。
「知故温新」
故きを知って、新しきを温ねる: 過去の知識(高)を思い出し、それを使って、新たな知識(低)を考察する。
「知故温故」
故きを知って、故きを温ねる: 過去の知識(高)を思い出し、それを使って、過去の知識(低)を考察する。
「知新温故」
新しきを知って、故きを温ねる: 新たな知識(高)を使って、過去の知識(低)を考察する。
(振り返り。真相を知る。新しく得た見方で、いままでやってきたことを見直す。)
「知新温新」
新しきを知って、新しきを温ねる: 新たな知識(高)を使って、新たな知識(低)を考察する。
「知故温無」: 過去の知識(高)を使って、何もしない。
「知新温無」: 新たな知識(高)を使って、何もしない。
「知無温新」: 方策はないけれど、新たな知識(低)を考察する。
「知無温故」: 方策はないけれど、過去の知識(低)を考察する。
関係図:
温無知故※A
↓
↓┏←温新知故※C
↓↓
知故温故←→温故知故※B←知新温故※D
↓ ↑
↓┏←知無温故
↓↓
↓↓┏←←←←┓
温故知新→→→知新温故※D
↓↑ ↑
↓↑ 温無知新
↓↑ ↓
温新知新→→→知新温新※E
↑↑┗←←←←┛
↑↑
↑┗←知無温新
↑ ↓
知故温新←→温新知故※C←知新温新※E
↑↑
↑┗←温故知故※B
↑
温無知故※A
註:上図における
温○知新とは、実際は、《温○知新、且つ、知新温無》の状態
温×知故とは、実際は、《温×知故、且つ、知故温無》の状態
知△温新とは、実際は、《知△温新、且つ、知新温無》の状態
知□温故とは、実際は、《知□温故、且つ、知故温無》の状態
である。
2020年の夏季オリンピックの開催都市が東京に決まったことを受けて、考えたことをまとめました。
オリンピック開催都市は、一時的な世界首都である:
オリンピックにおいて、その開催都市は、世界中に広く強烈にアピールされる。*
オリンピック (とそれに関係するものの複合体)は、世界のさまよう関心を一都市に集めるレンズであり、最も影響力がある関心項目(アジェンダ)の提供装置である。この大集中された関心を受けられる都市は、100年間に50都市しかない。**
オリンピック は「世界(全)」である。単一の存在である(例えるなら、餅。米のつぶが見えない)。これが時間を経るにつれて鎖を形成していく。
対して、我々が普段、触れている世界は、「世界(粒)」である。それの実際は、他国に住む複数の個人である(例えるなら、ご飯。米のつぶが見える)。国を超えた個人と個人の網(ネットワーク)であり、これが時間を経るにつれて、組み替えられていく。
オリンピックでは、オリンピックという「世界(全)」の歴史・権威・権力と、
が、結節される。ここに挙げた要素それぞれ(「開催地の民」を含む。一位に開催都市の民)が、「世界(全)」につながるのである。
オリンピック という公正な勝負のために作られた全く平等な場において、運営管理者たる開催都市は、圧倒的に高い地位を持つ。
* アピールされることが分かっているので、再開発がされる。都市の世紀において、広く共有された、数としては少数のスローガンの元に、都市を再開発 (development) でき、それを広く強烈に世界にアピール (demonstration) できるオリンピックは、絶好の機会である。
** 同時に、 オリンピック開催都市は、大集中された関心に晒されても立ち続けなければならない。
初出:
2013年9月9日 – 7:03
2013年9月9日 – 7:17
2013年9月9日 – 7:18
2013年9月14日 – 13:02
2013年9月14日 – 13:03
2013年9月14日 – 20:18
2013年9月14日 – 20:19
バンクーバーオリンピック 2010年02月13日(開会式)の Twilog
各組織の地位の高い人が順々に話をしていく。時に次の話者の紹介をする。これで大会がこれら組織にとって正統であることが示される。 #olympic
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) February 13, 2010
オリンピックの入場行進がこんなに平等なのは、勝負の世界であり、かつ勝負前だからだろう。 #olympic
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) February 13, 2010
ロンドンオリンピック開会式を見る 2012年
オリンピックの開会式は、開催地の歴史とオリンピック即ち世界の歴史を平行に結節する行為である。…って、ロンドンの開会式を見逃した。 #nhk オンデマンド http://t.co/OlhdeilG で見ようか。 ###
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) July 29, 2012
2013年 8月24日に京都・嵐山に所用があり、ついでに渡月橋を観光してきました。
最初は、橋長155 m の巨大建造物であるところが見所なのかな、と思ったのですが、橋の上で確信したことは、
渡月橋一帯の広大な空間
が見所なのだということです。
渡月橋が、亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことからと名付けられた(Wikipedia, 2013年9月18日 (水) 16:12 の版)ことからも分かるように、川幅が広くなった桂川にかかる渡月橋からの全天の眺めを遮るものはありません。
渡月橋のすぐ上流には、西高瀬川の起点になる葛野大堰((かどのおおい))があり、悠然と水をたたえています。そして、水面(みなも)の背景は、緑の山です。
壺にとって、中の空間が一番大事だという話がありますが、渡月橋は、空間を感じさせる、そしてそれと同時に壺をみせる装置だと言えます。
(補足: これは小雨の日に観光したからかもしれませんが、橋のたもと(中ノ島公園)はとても静かで、道路橋でもある渡月橋上でも静かでした。この静けさも見所です。)
ハレの式典におけるS/N比は高い。ハレの場を作り出すのは、高純度なハレの気持ちをもった参列者間の相互作用である。
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) September 18, 2013
関連:
周囲を写すこと – いつかの昨日 Reblog by TAKAGI-1 たんぶら
ジャパネットたかたの高田社長がビデオカメラを売る際に子どもだけじゃなくて、親の顔を撮ったほうがいい、その子どもが大きくなったときに、自分が幼い頃なんてぶっちゃけどうでもいいけれど、自分の誕生を両親がどれだけ喜んでくれていたかを実感できるのは素敵だというような話をされていたんだけど、ほんとにそうですね。
大事に思っているものを、他者に委ねるのだもん。説得(プレゼン)と、それを裏づける外乱の少なさと最上級者の約束的発言(コミットメント)が重要だ。— #オリンピック 開催都市選考
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) September 8, 2013
これは、オリンピック開催都市選考に限らず、普遍的に言える。
9・11(アメリカ同時多発テロ事件) において 世界貿易センタービルへの第2撃を防げなかった理由は、人が、全てを直観する「神」でないからである。少なくとも、第1撃から第2撃の17分間において、人は、全てを直観する「神」でなかった。
しかし、人は、撮影された動画から選び出し、それを広く配信・共有することによって、少しの時間差で、多くを直観するに至った。そう考えれば、(9・11の際はテレビカメラであったが、)ビデオカメラ付きスマホの普及は、「神」に近づく道の一つである。
参考の引用:
貫 成人 : 哲学マップ (ちくま新書, 2004) p.68.
かれら[:デカルト、パスカル、スピノザ、ライプニッツ]の「神」についても〈その視点から宇宙と時間の全体を見渡しうる永遠の絶対的全知全能存在〉という設定と理解しておけば十分である。
勝負には3種類がある。
・勝者の最終行動を以て決まる勝負(e.g. マラソン、ゴルフ)
・敗者の最終行動を以て決まる勝負(e.g. 野球)、
・その他の要因を以て決まる勝負(e.g. サッカー((時間を以て決定)))
である。