権力が奉仕する何かの目的がなければならない

春秋. 日本経済新聞, 2023/10/29, 1面.

独特の語り口から「アーウー宰相」と呼ばれた大平正芳元首相は、東西の思想に通じた政界屈指の知性派でもあった。彼は1971年3月、「新権力論」と題した文章を本紙に寄稿した。ルネサンス期の政治思想家のマキャベリを下敷きに、権謀術数の意味を考察した。

▼その中にこんな一文がある。「(権力は)それ自体孤立してあるものではなく、権力が奉仕する何かの目的がなければならない」。それは権力と比べて「より高次のもの」であるべきだとした。

大平は「むずかしいのは何が目的かということである」とした。

大平正芳 : 新権力論 (公益財団法人大平正芳記念財団)

政治と経済

補足:

持明院統と大覚寺統

後嵯峨天皇の第3皇子後深草天皇の子孫である持明院統と、第4皇子亀山天皇の子孫である大覚寺統。

両統の対立を鎌倉幕府が裁定し、1275年から、両統迭立(りょうとうてつりつ)。

鎌倉幕府崩壊後、1333年の建武の新政で、皇統が大覚寺統(後醍醐天皇系)に統一されたかに見えたが、建武の新政の崩壊(1336年、後醍醐天皇の吉野行幸)で、持明院統の光厳天皇が即位(北朝)する。

その後、南朝は大覚寺統、北朝は持明院統。

南北朝時代 (日本) – Wikipedia #南北朝の天皇 – 系図

1392年、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位する(「譲国の儀」)形で両朝が合一した。その際の約定「明徳の和約」では、その後は両統迭立することになっていたが、守られず、皇統は持明院統になった。

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2024年10月1日:

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