労働組合とポリアーキー

労働組合は、ポリアーキー(Polyarchy)を構成する一つの活動の場である *。

労働組合の、(駆動を目的とする)情報発信は、内部と、企業と統治機構(政治)に向かっている。

小川 仁志 : 日本を再生!ご近所の公共哲学 ―自治会から地球の裏側の問題まで (技術評論社, 2011) pp.67-68.

アメリカのロバート・ダールによる議論は、私たちに大きな示唆を与えてくれるものといえます。… アメリカの社会をよく見ると、実際には一つのエリート集団が政治を牛耳っているわけではなく、むしろ企業、労働組合、政党、宗教団体、マイノリティといった様々な利益集団が権力を分かちもっているというのです。

 それらが互いに競合しながら、調整を行い、権力を行使しているわけです。その意味で、民主主義というのは諸団体による統治なのです。ダールは『統治するのはだれか』において、こうした民主主義のあり方を「ポリアーキー」と呼びました。

 ポリアーキーの特徴は、個人単位で活動するのではなく、諸団体が相互に交渉し合い、議会に対しても影響力を及ぼすことで権力を行使していく点です。これによって、選挙や議会制度といった民主主義の形式的な側面を補完することが可能になります。個人単位だと、わざわざ政治のための議論の場に参加する必要が生じますが、自分の属する団体が政治の単位だということになると、そこで日常的に繰り広げられる議論は、そのまま政治のための議論につながってくるわけです。

* 初出:

偉い人は、「超性」している

偉い人は、情報伝達のためのコミュニケーションと共感・共有のためのコミュニケーションが共にできる。組織の長ともなると、対外的には後者の方が重きを占めるのであろう。

よく語られる、男女間のコミュニケーションに対する認識の違いを元に、前者を男性的、後者を女性的だと考えるならば、偉い人は、「超性」している。

将棋電王戦は、将棋を面白くした仕組みを構成する重要な仕組みである

要約:
将棋電王戦は、将棋を面白くした〈対局状況を可視化する〉仕組みを構成する〈将棋ソフトの信頼性を保証する〉という重要な仕組みであり、続けられるべきである。


第3回 将棋電王戦 (将棋電王戦 HUMAN VS COMPUTER | ニコニコ動画)は、コンピュータの4勝1敗で幕を閉じた。これを受けて、勝負にならない、と第4回の開催を危ぶむ声がある。私は、「人類の敵」と呼ばれるかもしれないが、コンピュータ側も応援しているので、第4回も開催して欲しい。

いや、電王戦は続けられるべきなのだ。なぜならば、将棋電王戦は、将棋を面白くした仕組みを構成する重要な仕組みであるからだ。

電王戦がもつ意味のひとつは、将棋ソフトの信頼性の確認である。

将棋、より正確には「見る将棋」は、対局状況の可視化によって、面白くなった。対局途中の盤面が、有段者でなくても、一目に解することができるようになったのだ。

対局状況の可視化のもとになる情報は、将棋ソフトが生産している。〈対局状況を可視化する〉装置では、将棋ソフトが評価値や読み筋を生産し、それを映像・図画にして、視聴者に見せている。

電王戦は、その評価値や読み筋が、実戦において正しいかどうかを確認し、その信頼性を保証する仕組みである。すなわち、電王戦は、〈対局状況を可視化する〉装置を成り立たせる仕組み(以下、〈対局状況を可視化する〉仕組み、と記す)を構成する重要な仕組みである。

例えるならば、電王戦は、秤や物差しが正確であることを保証する、計器の校正作業、それも国を代表する機関(日本における、産業技術総合研究所 計量標準総合センター(NMIJ))で行われる校正作業である。

さらに言えば、電王戦に使用されるソフトは、将棋電王トーナメントの上位5ソフトであるが、別の大会である世界コンピュータ将棋選手権では他の上位ソフトも存在する。電王戦に使用されるソフト5種類の信頼性が確認されることにより、その他の上位ソフトの信頼性も確認される。すなわち、電王戦は、〈対局状況を可視化する〉装置を構成するような多様な上位将棋ソフト全体の信頼性の保証経路(トレーザビリティー)の起点である。