クリエイティブな人というのは

何が僕を駆り立てたのか
クリエイティブな人というのは
先人たちが残してくれたものに
感謝したいと思っているはずだ

僕が使っている言葉も数学も
僕が発明したわけではない
同じ人類の先人たちが
作ってくれたものなんだ

僕は全力で
心の奥底にあるものを
表現しようとした

先人が残してくれたあらゆるものに
感謝しようとしてきた
そしてその流れに
何かを追加しようとしてきた

そう思って
僕は歩いてきた

――伝記『Steve Jobs』――

NHKスペシャル「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズ」(NHK総合テレビ、2011年12月23日 午後10時00分~10時49分)

関連:
文化の主要幹線を行く「2ちゃんねる」

「2ちゃんねる」は、過去の文化作品を巧みに取り入れた。これは、例えば 和歌においては本歌取りと呼ばれる、文化の主要幹線である。

 >「エヴァ」は聖書や精神分析学の言葉を多用し、映像手法でも過去の映画などからの
 >「引用」が数多く指摘された。しかし、庵野監督は「これだけ情報があふれている
 >時代に、オリジナルなんてどこにあるのか。様々なものからイメージをとりこんで、
 >それをどこまで広げて再構築するか、なんですよ」

 ( 朝日新聞 1997/ 7/24 夕刊 より)

巨人の正体

巨人の肩に乗っている

既に実施された知的作業がないか調べる

知は、個人にやどるものではなく、脈絡とした伝承である。これは、歴史の史料を読み、科学の文献引用主義を知るにつれて生じた。

もし君に他に与える何かがあるならば、将来、それとちょうど同じように、今度はほかの誰かが、君から何かを学ぶだろう

台湾の重要性

中国から見た日本地図を見て考えたのは、台湾の重要性である。台湾は黒溝台がもちえた意味をもつ。黒溝台のように退いてはならない。

司馬 遼太郎 : 坂の上の雲 6 (文春文庫, 1999) p.37.

[黒溝台を]最後の一兵になるまで守りぬけば、救援軍である立見師団は、生きている黒溝台を支軸にいかようにも旋回しうるのである。

王とは――「Fate/Zero」第11話「聖杯問答」まとめ

王は奉仕者・救済者ではない。王は奉仕される者だ。

故に逃げられず、常に当事者であり、オブラートを着られない。

王の仕事は、導くことである。

その意志が民の志の総算であれば、王は孤高ではない。

「Fate/Zero」 第11話 「聖杯問答」

いいや、違う。王が[故国に身命を]捧げるのではない。国が、民草がその身命を王に捧げるのだ、断じてその逆ではない。

自らの治世を、その結末を悔やむの王がいるとしたら、それはただの暗君だ。暴君よりなお始末が悪い。

余の決断、余に付き従った臣下達の生き様の果てにたどりついた結末であるならば、その滅びは必定だ。痛みもしよう、涙も流そう、だが決して悔みはしない。

ましてそれを覆すなど、そんな愚行は余と共に時代を築いた全ての人間に対する侮辱である。

王とはな。誰よりも強欲に、誰よりも強笑し、誰よりも激怒する。清濁を含めて人の臨界を極めたるもの。そうあるからこそ臣下は王を羨望し王に魅せられる。一人一人の民草の心に、我もまた王足らんと憧憬の灯が灯る。

騎士道の誉れたる王よ。たしかに貴様が掲げた正義と理想は、ひとたび国を救い、臣民を救済したやも知れぬ。

だがな、ただ救われただけの連中がどういう末路を辿ったか、それを知らぬ貴様ではあるまい。

貴様は臣下を『救う』ばかりで『導く』ことをしなかった。『王の欲』のかたちを示すこともなく、道を見失った臣下を捨て置き、ただ独りですまし顔のまま、小奇麗な理想とやらを想い焦がれていただけよ。

故に貴様は生粋の王ではない。己の為ではなく、人の為の王という偶像に縛られていただけの小娘にすぎん。

すべての勇者の羨望を束ね、その道標(みちしるべ)として立つものこそが王。ゆえに王とは孤高にあらずその意思はすべての臣民の志の総算たるが故に。

すべてを知る最後の人

Portal:工学と技術 – ウィキバーシティ (2011/11/25)

トマス・ヤング (*1773年6月14日 ~ †1829年5月10日) はイギリスの科学者、研究者、内科医、博学者。時に、「すべてを知る最後の人」と評される。というのは、当時における現代西洋の学術的な知識のほぼすべてに精通していたためである。 明らかに、これが真実であることを確かめることはできないが、他に資格のある人物としては、ゴットフリート・ライプニッツレオナルド・ダ・ヴィンチサミュエル・テイラー・コールリッジヨハン・ヴォルフガング・ゲーテフランシス・ベーコンが挙げられる。ヤングはまた、ブリタニカ百科事典現代版の様々な主題について執筆した。彼の学習は範囲と幅において莫大だったので、”奇才ヤング”として一般的に知られている。

ロバート・B・チャルディーニ=著, 社会行動研究会 : 影響力の武器 [第二版] (誠信書房, 2007) p.437.

 イギリスの経済学者で政治思想家、科学哲学者でもあるジョン・スチュアート・ミルは約百三十年前に亡くなりました。… この世界で知られるべき事象すべてを知っている最後の人と見られていたからです。

精神がひろく、想像力がゆたかで魂に活力があること、これこそ天才である

ディドロ, ダランベール=編, 桑原 武夫=訳編 : 百科全書―序論および代表項目 (1971, 岩波文庫) pp.324-325.
サン=ラベールによる「天才」の項

 精神がひろく、想像力がゆたかで魂に活力があること、これこそ天才である。

 天才人は、その〔常人〕よりひろい魂が、すべての存在の感覚にうたれ、自然のうちに存在するすべてのものに関心をもち、どんな観念をうけとっても感情が目覚めさせられ、すべてが魂を活気づけ、すべてが魂において維持されるような人である。

 魂は、事物そのものによって動かされるが、記憶によってさらに強く動かされる。しかし天才人にあっては、想像力はさらに先まで進む。彼はもろもろの観念を、うけとったときよりずっと鮮明な感情をもって思い起こす。これらの観念に、感情を生ぜさせるにより適した他の多くの観念が結びつくからである。

 事物にとりかこまれこれに没頭している天才は、思いだすのではない。天才は見る。見るにとどまらない。感動するのだ。… 魂は、真の色彩により、消しえない筆致によって、自らつくったものながら彼を熱中させ楽しませてくれる幻に、実体をあたえようと欲する。

関連:
佐貫 亦男 : 不安定からの発想 (講談社学術文庫, 2010) p.84.

その原因は機体の安定も不良であったが、それよりも自己の精神安定を確立せずに無暴な技術計画へ立ち向かったことにある。

スペシャリストとは対極にいる私がやるべきこと

いかなる現実的な知覚よりも前に、心のうちにアプリオリなものとして存在していなければならない

真の発見とは、新しい見方を獲得することである

世の中は感情で動いている