ああ、フランス

2015年11月14日に、パリ同時多発テロ事件の発生を知って、書いた Facebook投稿より:

ああ、フランス。

安達 正勝 : 物語 フランス革命 バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで (中央公論新社, 2013〈底本は中公新書(2012)〉) No.226/4054.
(アナカルシス・クローツのコルドリエ・クラブでの演説)

人々はボルドーからストラスブールに行くのと同じように、パリから北京へと行くだろう。船の連なる大洋が沿岸を結ぶだろう。東洋と西洋は連盟公園で抱擁しあうだろう。

とフランス革命の理想を書いてみたが、思えば、フランスは大陸国として現実に晒され続けている国である。竹下 節子 : 不思議の国サウジアラビア―パラドクス・パラダイス (文春新書, 2001) p.133.

 たとえば一口に民主主義といっても、アメリカの民主主義とフランスの民主主義は違う。フランスの民主主義は王や教会から苦労して勝ち取ってきたものだが、今も王家や教会は存続しているのだから、たえず調整を図り、旧権力と新権力のどちらにも行き過ぎがないようにバランスをとる努力が要求される。それに比べてアメリカは、旧権力に背を向けた人々が外に出て新たに建国した「理想の国」なわけだから、どうしても完結した独善主義に向かってしまう。民主主義の建前のもとに欲望が際限なく展開していきがちだ。だからヨーロッパはアメリカ風の民主主義を批判するし、アメリカの方はヨーロッパがまだ前近代を引きずっていると攻撃するずれが生じる。

初出:
Facebook 2015/11/14

他人の正当な権利が侵害されるときの共犯者

(1)

その対偶は即ち:
「他人の正当な権利が侵害されるときの共犯者の役割をはたさない者は、自分の正当な権利を主張する。」

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき – Wikipedia [2015年12月10日 (木) 04:40 の版]

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

それは即ち:
(2) 「他人の正当な権利が侵害されるときの共犯者の役割をはたす者は、自分の正当な権利を奪われる。」

なお、(1)と(2)より、
「自分の正当な権利を主張しない者は、自分の正当な権利を奪われる。」