「新型コロナウイルス除け」お札から

特別祈願! 長福寿寺の「新型コロナウイルス除け」お札 | Smart FLASH[光文社週刊誌] 長福寿寺

流通が発達していない時代において、不特定多数に情報を届けるメディアとして広告の効果は限られるので、お札は重要なメディアだったのだろう。

その効果は、注意喚起だけに留まらない。

お札に文字が書かれていることに意味がある。「対象の名前を知ることで安心する」という心理現象、ルンペルシュティルツヒェン現象だ。 さらに、その名前を糸口に、不特定多数は情報を集め、共有することができる。

【メディアとしての交通】「一本の杭に記されし道の名に」から【2020/2/23】

つながりハイライト号 乗り場 (4:37 に紹介)

* * *

こんにちは、高木です。本日は、2020年2月23日。天皇誕生日です。今上陛下は、ご還暦になられました。

令和改元の次の日、2019年5月2日の毎日新聞に、陛下の次のエピソードが載っています:

新天皇陛下が小学生のころ、散歩していた赤坂御用地の片隅に杭(くい)があるのを見つけ、ご養育係のオーちゃんこと浜尾実(はまお・みのる)東宮侍従にたずねた。杭には「奥州街道」とあった

「一本の杭に記されし道の名に我学問の道ははじまる」は皇太子時代に詠まれたお歌である。杭は近年に立てられたものだったが、御用地内を鎌倉時代の街道が通っていたことを知り、「この時は本当に興奮した」と回想されている

英国留学でテムズ川の水運史研究に取り組んだのも、この感動に導かれてのことだった。「道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割」を果たしたという。

(余録. 毎日新聞 (2019/ 5/ 2, 朝刊) 1面.)

お歌は、平成10年の歌会始のもの。「道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割」は、1993年に刊行された陛下の著書『テムズとともに -英国の二年間-』の一節です。

また、イギリスの小説家 エドワード・モーガン・フォースターによる小説『ハワーズ・エンド』には次の一節があります:

駅とはすばらしいもの、未知なるものへと開かれたゲートなのだ。われわれはそこを通って冒険と陽光の中へと旅立ち,残念ながらそこへ戻ってくる。パディントン駅にはコーンウォール半島全体とイギリス最西部がひそんでいる

陛下の「道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割」と、『ハワーズ・エンド』の「駅とは…未知なるものへと開かれたゲートなのだ」を合わせて浮かび上がってくるのは、メディアとしての交通です。

つまり、
 交通には、メディアという性質がある
ということです。

メディアとしての交通では、交通設備・交通装置は、容器、つまりコンテナです。

そして、内容、つまりコンテンツは、沿線というメッセージと、路線という文脈、つまりコンテクストから成ることになります。

次に『ハワーズ・エンド』からの引用の最後の文を見ていきましょう:「パディントン駅にはコーンウォール半島全体とイギリス最西部がひそんでいる」。

これは、即ち、ターミナル駅が、沿線の縮図であるという主張です。

交通の中でも、鉄道は、この傾向が強いです。駅は、乗り降りの機能を集約された専用施設ですからね。

また、鉄道は、列車が中間段階として、この傾向を強くするように働いていると考えられます。

つまり、

 沿線>路線>列車>ターミナル駅

という縮図構造です。

列車は、形が細長く、列車を路線と相似なものとして認識しやすいです。新幹線列車「のぞみ」号の 長さ 400 m の車体は、東京・博多間 1000km余りの縮図です。

そして、複数の列車が発着するターミナル駅が、沿線全体を縮図するのです。

さて、ここまでで、

・交通には、メディアという性質がある
・「列車」と「駅」により、全体を縮図する

ということを述べてきました。

ここからは、私の試みです。

この2項目から、このような帰結を得られます:

 ネットと鉄道には親和性があり、「列車」と「駅」を模倣することによりWebサイト内のコンテンツ全体を表現することができる。

この思想のもとに構築したシステムが、「つながりハイライト号 乗り場」です。takagi1.net内の記事と記事の間の、リンクを伝ったつながりを列車の運転系統に見立て、鉄道駅の放送風に紹介します。

ご試聴ありがとうございました。

【月の歌】「山川異域、風月同天」から【2020/2/9】

こんにちは、高木です。本日は、2020年 2月 9日です。

中国・湖北省武漢を中心とした新型肺炎の猛威が続いていますが、2月1日頃に中国のSNSで話題になった言葉が、「山川異域、風月同天」です。

中国語資格のHSK・漢語水平考試(かんごすいへいこうし)日本事務局から湖北に送られた支援物資の段ボール箱に書かれていた言葉で、次の漢詩の一節です。

山川異域 風月同天
寄諸仏子 共結来縁

山川(さんせん)域(いき)を異(こと)にすれども 風月(ふうげつ)天(てん)を同(おな)じうす

諸(これ)を仏子(ぶっし)に寄(よ)す 共(とも)に来縁(らいえん)を結(むす)ばん

(山川異域 風月同天 | SH_04Fさんの掲示板 | マイネ王)

この漢詩は、天武天皇の孫、長屋王が中国・唐の国に送った袈裟千着に刺繍されていた詩であり、この詩を見て後に奈良に唐招提寺を開く鑑真が来日を決意したとされます。

「山川異域、風月同天」。この詩において、月は空間を超えて人と人をつなげるものです。

つまり、
 人☆ | 空間☆ | 時間= (=:同じ ☆:異なる)
です。

それでは、この歌はどうでしょう:

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも ―― 阿倍仲麻呂

『古今集』・小倉百人一首にも選ばれています。遣唐使で、中国皇帝に気に入られ唐の役人になった・阿倍仲麻呂が日本への帰国を前に中国で詠んだ歌で、この歌で仲麻呂が思っているのは、昔、奈良で自分が見た月です。

この詩において、月は、同じ人を、空間と時間を超えてつなげるものです。

つまり、
 人= | 空間☆ | 時間☆ (=:同じ ☆:異なる)
です。

なお、阿倍仲麻呂は、船の漂流で日本への帰国に失敗しますが、船違いで同じタイミングの中国発日本便に乗っていた鑑真は日本にたどり着きます。

ここで、復習しましょう。

(=:同じ ☆:異なる)
人= | 空間☆ | 時間☆ 「天の原~」
人☆ | 空間☆ | 時間= 「山川異域、風月同天~」山川(さんせん)域(いき)を異(こと)にすれども 風月(ふうげつ)天(てん)を同(おな)じうす

月が異なる空間・時間の同じ人を結んでいる歌
月が同じ時間、異なる空間の人を結んでいる歌

です。

意味のある組み合わせを全パターン列挙するとこのようになります。

(=:同じ ☆:異なる)

(1) 人☆ | 空間☆ | 時間☆
(2) 人= | 空間☆ | 時間☆「天の原~」
(3) 人☆ | 空間= | 時間☆
(4) 人☆ | 空間☆ | 時間=「山川異域~」
(5) 人☆ | 空間= | 時間=
(6) 人= | 空間☆ | 時間=
(7) 人= | 空間= | 時間☆

それぞれについて、対応する歌を見ていきましょう:

(1) 人☆ | 空間☆ | 時間☆
(=:同じ ☆:異なる)

月が異なる空間・時間の人を結んでいる歌です。

春日にて、月明るくあはれなりければ

ふりさけし人の心ぞ知られぬる今宵三笠の山をながめて

西行『山家集』より。西行、つまり佐藤 義清(さとう のりきよ)の歌です。

西行は、この歌を詠むにあたり、阿倍仲麻呂が、中国で、過去に詠んだ「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」を思い出しています。

(2) 人= | 空間☆ | 時間☆
(=:同じ ☆:異なる)

月が異なる空間・時間の同じ人を結んでいる歌です。

これは先に紹介しました:

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも ―― 阿倍仲麻呂
『古今集』

(3) 人☆ | 空間= | 時間☆
(=:同じ ☆:異なる)

月が同じ空間、異なる時間の人を結んでいる歌です。

みちのくにへ修行してまかりけるに、白川の関にとまりて、所がらにや常よりも月おもしろくあはれにて、能因が、秋風ぞ吹くと申しけむ折、いつなりけむと思ひ出でられて、名残おほくおぼえければ、関屋の柱に書き付けける

白川の 関屋を月の もる影は 人のこころを とむるなりけり

(その他の「修行」歌について(2))

西行『山家集』より。

西行は、この歌を詠むにあたり、能因(のういん)が、同じ白川の関で、過去に詠んだ「都をば 霞とともに たちしかど 秋風ぞふく 白河の関」を思い出しています。

(4) 人☆ | 空間☆ | 時間=
(=:同じ ☆:異なる)

月が同じ時間、異なる空間の人を結んでいる歌です。

長屋王が送った袈裟千着に刺繍された

山川異域 風月同天
寄諸仏子 共結来縁

山川(さんせん)域(いき)を異(こと)にすれども 風月(ふうげつ)天(てん)を同(おな)じうす

諸(これ)を仏子(ぶっし)に寄(よ)す 共(とも)に来縁(らいえん)を結(むす)ばん

は、先に紹介しました。

漢詩では、次の方が有名でしょう。

白居易の「八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九」(八月十五日の夜、禁中に独り直(とのゐ)し、月に対して元九(げんきう)を憶(おも)ふ) です。

銀臺金闕夕沈沈  銀台 金闕 夕べに沈沈 (ぎんだいきんけつゆうべにちん ちん)
獨宿相思在翰林  独り宿り 相思ひて翰林(かんりん)に在り (ひとりやどり あひおもひてかんりんにあり)
三五夜中新月色  三五夜中 新月の色 (さんごやちゅう しんげつのいろ)
二千里外故人心  二千里の外 故人の心 (にせんりのがい こじんのこころ)
渚宮東面煙波冷  渚宮の東面に煙波(えんぱ)は冷かに (しょきゅうのとうめんに えんぱはひややかに)
浴殿西頭鍾漏深  浴殿の西頭に鐘漏は深し (よくでんのせいとうに しょうろうはふかし)
猶恐淸光不同見  猶ほ恐る 清光は同じく見ざるを (なほおそる せいこうはおなじくみざるを)
江陵卑湿足秋陰  江陵は卑湿にして 秋陰足(おほ)し (こうりょうはひしつにして しゅういんおほし)

【通釈】銀の楼台、金の楼門が、夜に静まり返っている。
私は独り翰林院に宿直し、君を思う。
十五夜に輝く、新鮮な月の光よ、
二千里のかなたにある、旧友の心よ。
君のいる渚の宮の東では、煙るような波が冷え冷えと光り、
私のいる浴殿の西では、鐘と水時計の音が深々と響く。
それでもなお、私は恐れる。この清らかな月光を、君が私と同じに見られないことを――。
君のいる江陵は土地低く湿っぽく、秋の曇り空が多いのだ。

(白氏文集卷十四 八月十五日夜、禁中獨直、對月憶元九: 雁の玉梓 ―やまとうたblog― , 『八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九』書き下し文・現代語訳(口語訳)と文法解説 白居易 / 漢文 by 走るメロス |マナペディア|)

和歌でも、このような歌はたくさんあります。『和泉式部日記』に、次の歌があります。

夜 式部のもとを訪ねてきたものの、式部の家の応対がないので帰ってしまった宮に宛てて、式部が次の日の朝に詠んだ歌です:

われならぬ 人もさぞ見む なが月の 有明の月に しかじあはれは

よそにても 同じ心に有明の 月を見るやと 誰に問はまし

 ――『和泉式部日記』

(5) 人☆ | 空間= | 時間=
(=:同じ ☆:異なる)

月が同じ時間、空間の人を結んでいる歌です。

月夜よし河音清けしいざここに行くも去かぬも遊びて帰かむ ―― 大伴四綱
『万葉集』
(つくよよし かはのおときよし いざここに ゆくもゆかぬも あそびてゆかむ)

太宰府の防人佑(さきもりのすけ)から都に帰ることになった大伴四綱(よつな)が餞別の宴の席で詠んだ歌です。
『万葉集』に収録されています。

(6) 人= | 空間☆ | 時間=
(=:同じ ☆:異なる)

一人の人が、同時に2箇所にいることはできませんから、これはあり得ませんね。

(7) 人= | 空間= | 時間☆
(=:同じ ☆:異なる)

月が異なる時間の同じ空間の同じ人を結んでいる歌です。

深草の 里の月かげ さびしさも すみこしままの 野べの秋風 ―― 源 通具
『新古今和歌集』

草深く繁った深草の里、そこを照らす月の光――久々に帰って見れば、月は昔のままで、野辺を吹く秋風の淋しさもまた、私がここにずっと住み、月も常に澄んだ光を投げかけていた、あの頃のままであったよ。

(源通具 千人万首)

源 通具(みなもとのみちとも)の『新古今和歌集』に収録された歌です。

まとめ。月は、人と人を、空間と時間を超えてつなげるものです。

***

最後に、『和泉式部日記』の作者・和泉式部が兵庫県姫路の書写山で読んだと伝えられている和歌には次の2通りがあります:

暗きより暗き道にぞ 入りぬべき 遥かに照らせ 山の端の月
くらきより くらきみちにそ いりぬへき はるかにてらせ やまのはのつき

暗きより暗き闇路に 生まれきて さやかに照らせ 山の端の月
くらきより くらきやみぢに うまれきて さやかにてらせ やまのはのつき

月は、遥かに そして さやかに(清かに・明かに)照らすものです。

最後まで、ご試聴ありがとうございました。

* * * *

「アサスマ! 探検隊」佐目風穴 (ロケ日: 2020/ 1/21)

「アサスマ! 探検隊」探検場所一覧 カテゴリー: アサスマ! 探検隊

● ロケ日
2020/ 1/21

● 放送期間
2020/ 2/ 2~ 5/10

● 探検場所
佐目風穴

● 所在地
滋賀県犬上郡多賀町

  • アサスマ探検隊ロケ | 稲富菜穂オフィシャルブログ「それゆけ稲富団」

  • 【教えとしての「歴史」の実利】最後のセンター試験「日本史B」からの想起【2020/2/2】

    こんにちは。高木です。本日は、2020年 令和2年 2月2日です。

    今年 2020年でセンター試験は最後だということで、20年ぶりに、2020年1月18日実施の大学入試センター試験「日本史B」を、解いてみました。

    恥ずかしながら、20年間、体系的な日本史の勉強をしてこなかった、その結果は36問中24問正解の 66点でした。

    1月24日付の大学入試センター発表の中間集計の平均点が 65.45点なので、ほぼ平均点ですね。半分程度の受験生は、私よりもいい点をとるのですから、大学受験生は賢いです。彼ら・彼女らは、大いに頼りにすることができるでしょう。

    さて、今年の「日本史B」の大問1では、2人の登場人物が、歴史を勉強する必要性について語っています:

    チカコ:それにしても、なぜ歴史を学ぶ必要があるのかな? 歴史を学んだり研究したりしても、経済的な利益や技術革新には結びつかないから、そんなのは無駄だっていってる人がいたよ。

    マサコ:それはとても貧しい発想だね。過去を顧みることは大切なことだし、だからこそ、過去の記録をまとめた歴史書が、昔からたくさん残されているんじゃないかな。

    チカコ: 確かに。この間、学園祭で模擬店を出した時に、先輩たちが残してくれた記録を参考にしながら準備したんだけれど、これも過去の記録に学んでいることになるね。

    センター試験の問題では、かなり軽く書かれていますが、私が考えるに、教科としての「歴史」の修得による利益は、簡単にいうと、歴史知識の活用になります。

    アメリカ合衆国海軍の大学校 Naval War College の創始者であり、初代校長であるステファン・ブリーカー・ルース提督(Stephen Bleecker Luce)は、次のような考え方をしていました:

    大熊 康之 : 戦略・ドクトリン統合防衛革命―マハンからセブロウスキーまで米軍事革命思想家のアプローチに学ぶ (かや書房, 2011) p.42.

     ルースのものの見方及び考え方のバックボーンは歴史であった。彼は、マコーレー(Thomas Macaulay, 19世紀のイギリスの歴史家)の「いかなる過去の出来事も(それ自体としては)重要ではない。その知識は、未来のための算段に導いてくれる場合にのみ価値がある」と、ボリンブローク(Viscount Bolingbroke, 17~18世紀のイギリスの政治家・哲学者)の「歴史は実例によって教える哲学である」との2つの見解に共鳴した。そしてルースは、「歴史研究の要訣は、特定の実例の〔特定の〕範囲内での扱いとそれらからの一般化へのプロセスに関する各人の考察にある」と結論している。

    さらに、高校課程以下の場合には加えて、歴史知識の修得は、新しい歴史的情報を得た際に、その読み解き・体系化の土台になります。

    つまり、高校課程以下の教科としての「歴史」は

     ・生徒が後に、新しい歴史的情報を得た際に、その読み解き・体系化の助けになるように、

     ・生徒が後に、問題がある状況に接した際に、問題解決の助けになる 歴史知識の一般化 を実施できるように、

    体系的だが一般化前の知識をもった脳を大量生産しています。

    即ち、歴史を頼みとできる、即ち歴史知識を「知らなかった」という言い訳を許されない人々を大量生産し、それらの人々が意見交換でき、一個の人より強力な人間集団により問題解決できる状況を生産します。

    さて、センター試験の問題は、この大問の最後で、20世紀前半の歴史学者・津田左右吉(そうきち)の『古事記及び日本書紀の新研究』を登場させます。

      記紀の上代の物語は歴史では無くして寧ろ詩である。さうして詩は歴史よりも却ってよく国民の内生活を語るものである。

    「記紀の上代(じょうだい)の物語」とは、日本書紀・古事記の神武天皇からの、現在の歴史では物語としてされている記述、「内生活」とは思想のこと です。

    私は驚きました。現在の教科としての「歴史」では、神話や物語が排除されているからです。

    かつての歴史書は、神話や物語からはじまっています。日本書紀の巻第一 の神代上(かみのよのかみのまき)第一段は、次のとおり始まります:

      古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟涬而含牙。
      「いにしえに天地いまだ剖(わか)れず、陰陽分かれざりしとき、まろかれたること鶏子の如くして、ほのかにして牙(きざし)を含めり。」( 第7回 天地開闢の由来(天地初発から天之御中主神まで⑦) – 『古事記』を読む )

    まだ天地、陰陽すら分かれていません。

    神話や物語の実利は、一つには、縁起(えんぎ)としてです。縁起とは、事の起こりのことで、社寺・宝物などの起源・沿革や由来を記した書画を指します。2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』で、同志社女学校が、新島襄のものか、教会のものかで、新島八重と女学校の教師が対立するシーンがありました。事の起こりが、明らかにされていないと問題が起こります。

    神話や物語の実利のもう一つが、津田左右吉が書いた、人というものを知ることにあります。

    ここで、この動画の前半・後半と文脈を一つにまとめます。

    動画の前半では、高校課程以下の教科としての「歴史」の実利は、

     ・生徒が後に、新しい歴史的情報を得た際に、その読み解き・体系化の助けになるようにすること

     ・生徒が後に、問題がある状況に接した際に、問題解決の助けになる 歴史知識の一般化 を実施できるようにすること

    だと述べました。

    動画の後半では、かつての歴史書は、神話や物語からはじまっており、神話や物語の実利の一つは、

     ・人というものを知ること

    だと述べました。

    ここで、動画の前半・後半を接着するために、歴史書『神皇正統記』を紹介します。

    『神皇正統記』は、室町時代の初期、南北朝の時代に南朝・吉野朝廷の指揮官であった北畠親房によって書かれました。その目的は、幼ない南朝の天皇・後村上天皇に献上するためでした。即ち、帝王学の教科書として、歴史書があったのです。

    動画の前半・後半を接着する観点は、帝王学の観点です。教えとしての「歴史」の実利は、帝王学の観点に集約することができます。

    即ち、教えとしての「歴史」の実利は、

     ・後に、新しい歴史的情報を得た際に、その読み解き・体系化の助けになるようにすること

     ・後に、問題がある状況に接した際に、問題解決の助けになる〈歴史知識の一般化〉を実施できるようにすること

    そして、

     ・人というものを知ること

    です。最後の項目は、現在の教科としての「歴史」では触れられませんが、神話や物語を 我々は容易に触れることができます。

    かつて帝王学であったものが、現代においては一般人の手の中にあります。歴史を頼みとできることに感謝し、歴史を活用しましょう。

    最後まで、ご試聴ありがとうございました。