NHK「ニュース9」の編集

2013/6/20のNHK「ニュース9」の編集は「勉強になった」。

憲法に対する関心が高まっています、憲法に関する様々な商品(本、CDなど)が売れています、と憲法改正の内容に触れない報道をした、その次の話題が、先の大戦における沖縄地上戦。

具体的な内容を使わずに関心を集め、かつ関心が満たされない空虚さを作った上で、感情に訴える情報を送る。編集の意図を感じた。

米中首脳会談に想起する、覇権条項と海洋の管制

遠い米中「新時代」 首脳会談、協調の裏で駆け引き:日本経済新聞 (2013/6/9 0:45)

7日のオバマ米大統領と中国の習近平国家主席による初の米中首脳会談では、今後数年間をにらんで新たな協調を目指すことで一致した。
(中略)
 「大国同士の新たな関係のモデルをつくるべきだ」。習主席は7日の首脳会談でこのせりふを何度も繰り返した。

私は、2つのことを想起した。(1)覇権条項と、(2)海洋の管制である。

(1) 覇権条項

「覇権条項」とは、日中共同声明(1972)の七項、あるいは日中平和友好条約(1978)の第二条を指す。

日中共同声明

七 日中両国間の国交正常化は、第三国に対するものではない。両国のいずれも、アジア・太平洋地域において覇権を求めるべきではなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国あるいは国の集団による試みにも反対する。

日中平和友好条約

第二条 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。

なお、ここにいう「覇権を確立しようとする」国としては、当時、ソビエト連邦が想定されていた。

(2) 海洋の管制
――「海洋の管制」(Control of the Sea) あるいは、その発展として「公共財の管制」(Command of the Commons)

「海洋の管制」とは、

「(所要の重要)海洋を(必ずしも長期持続的ではないが)自ら望む時に自ら望む方法で自由に利用(Assured Access)し、同時に敵にはそれを許さない(Area Denial)」 (* p.74.)

ことである。

「海洋の管制」の概念は、『海上権力史論』で知られるマハン(Alfred Thayer Mahan)が、その創案者だと言われる(* p.74.)。マハンは、自叙伝に「海洋の管制」は「20年間私の全著作の核心となった」(* p.73.)と記している。

 * : 大熊 康之 : 戦略・ドクトリン統合防衛革命―マハンからセブロウスキーまで米軍事革命思想家のアプローチに学ぶ (かや書房, 2011)

マサチューセッツ工科大学(MIT)の政治学教授 ポーザン(Barry Posen) は、2003年に発表した論文「Command of the Commons」において、

[「管制」とは、] 米国が、海洋、宇宙及び空中[:「公共財」]から他国よりも圧倒的に強力な軍事的利用を行い、一旦緩急ある場合、他国に対してそれらの利用拒否の脅迫を高い信頼度をもって行うことを可能とし、そして仮に他国が米国の意志を拒否すれば、その国は公共財の軍事的争奪に(極めて長期にわたって再挑戦が不可能となる形で)敗北する、ことを意味する (* p.82.)

旨を記した。

軍事と言葉

軍と国家の多くの人間から構成される“神経”を駆使する戦争では、構成員が同じ意味で言葉を使うように、言葉の意味に関する各員の共通認識が必要である。そのためには、言葉の定義を成文化し、それを多数に教育する国家的機関が必要である。

流通ルートは大事

ここでは、食糧の例。例えば、エネルギー、人材、知に、この事象を重ねあわせて、何か着想できないだろうか。

安藤百福 – Wikipedia (2012年2月1日 (水) 16:39 の版)

自伝『魔法のラーメン発明物語』等によれば、昭和20年代は深刻な食糧不足のため、アメリカ合衆国から送られた援助物資の小麦粉を用いた「粉食」(うどん、ラーメン、すいとん、ビスケット、パンなどの、様々な粉料理の総称)を厚生省が奨励していた。しかし結果論としてパン等が多いため、安藤は、東洋文化であるめん類をもっと奨励すべきだと厚生省課長に提案した。課長は、うどんやラーメンは量産技術が無く流通ルートも確立していないためやむなくパンが主体になっている実情を説明し、麺文化の振興には自ら研究してはどうかと奨めた。当時、安藤は既存事業から手を広げる余裕がなく、話が出たのみで終わったが、これが後にインスタントラーメン開発の契機になったという。

戦いの主役は、刀ではなく、槍であった。ということで、昨夜、数年ぶりに竹刀を握ってみた。そして、刀は、道具なんだろうな、と思った。実用兵器としては、あまりにリスキーだ。

扱う者に、常に自発的行動を求めるところが、道具であることを示唆する。そして、道具は、使いよう次第であり、専門職の証である。