アメリカと中国

春秋. 日本経済新聞, 2024/11/29, 1面.

国にはその振る舞いを規定する独自の思想が何らかの形である。米国の場合、19世紀後半に登場したプラグマティズムがそれに当たるだろう。実用主義や道具主義などと訳される哲学だ。その創始者の一人、ジョン・デューイが100年あまり前に北京の学校を訪れた。

▼米国への留学を準備するための教育機関としてスタートした学校だ。設立は米国の意向で、親米派を増やすことが狙いだった。戦略的思考がそこにある。いまの清華大学の前身だ。かたや現代の中国もリアリズムの国。鄧小平の「黒猫・白猫論」はその象徴といえる。成果が出るなら、手法は選ばなくていいという発想だ。

▼ともに実利を重んじる両大国の間で緊張が高まりつつある。

争臣七人

春秋. 日本経済新聞, 2024/11/27, 1面.

中国の古典に「争臣七人」という言葉がある。争臣は君主に耳の痛い意見を言える臣下のこと。でたらめな王様も、争臣が7人いれば天下を失うことはない。この話を聞いた唐の太宗は政務に必ず諫(いさ)め役を加えることにした。その治世は、中国に空前の安定をもたらす。

「方言彼女。」の『葉隠』


なお、『葉隠』、及び主人公が『葉隠』を愛読している映画『ゴースト・ドッグ』(1999年) にも、このような一連の言葉はない(分かれて登場する)。

なお、『葉隠』の著者は、佐賀鍋島藩士・山本常朝。

運命の奔流を制御して徳の実現に至る手段と術策を工夫

大平正芳 : 新権力論

 マキアベリーは、人間のいとなみは徳の実現を究極の目的とすべきものであるが、われわれか弱い人間はいわば盲目的な運命に押し流されておるもので、このままでは徳を実現することにはならない。したがって運命の奔流を制御して徳の実現に至る手段と術策を工夫し組織しなければならない。そこにいうところの権謀とか術数とかいうものが考えられることになるというのが、マキアベリーの哲学の骨組みのように私は理解しておる。

 しかし権力の本体は、そういう術策にあるのではなく、権力者自体の自らの在り方にあるのだということだけは銘記すべきであろう。術策の分量やその組み合わせの巧拙よりも、権力主体のあつめる信望の大きさが、その権力に本当の信頼と威厳をもたらすものである。アンドレ・モーロアは「他人を支配する秘訣は、自らを支配することを体得することにある」と言っておるが、権力の主体に対する頂門の一針というべきものであろう。

権力が奉仕する何かの目的がなければならない

春秋. 日本経済新聞, 2023/10/29, 1面.

独特の語り口から「アーウー宰相」と呼ばれた大平正芳元首相は、東西の思想に通じた政界屈指の知性派でもあった。彼は1971年3月、「新権力論」と題した文章を本紙に寄稿した。ルネサンス期の政治思想家のマキャベリを下敷きに、権謀術数の意味を考察した。

▼その中にこんな一文がある。「(権力は)それ自体孤立してあるものではなく、権力が奉仕する何かの目的がなければならない」。それは権力と比べて「より高次のもの」であるべきだとした。

大平は「むずかしいのは何が目的かということである」とした。

大平正芳 : 新権力論 (公益財団法人大平正芳記念財団)