王は奉仕者・救済者ではない。王は奉仕される者だ。
故に逃げられず、常に当事者であり、オブラートを着られない。
王の仕事は、導くことである。
その意志が民の志の総算であれば、王は孤高ではない。
「Fate/Zero」 第11話 「聖杯問答」
いいや、違う。王が[故国に身命を]捧げるのではない。国が、民草がその身命を王に捧げるのだ、断じてその逆ではない。
自らの治世を、その結末を悔やむの王がいるとしたら、それはただの暗君だ。暴君よりなお始末が悪い。
余の決断、余に付き従った臣下達の生き様の果てにたどりついた結末であるならば、その滅びは必定だ。痛みもしよう、涙も流そう、だが決して悔みはしない。
ましてそれを覆すなど、そんな愚行は余と共に時代を築いた全ての人間に対する侮辱である。
王とはな。誰よりも強欲に、誰よりも強笑し、誰よりも激怒する。清濁を含めて人の臨界を極めたるもの。そうあるからこそ臣下は王を羨望し王に魅せられる。一人一人の民草の心に、我もまた王足らんと憧憬の灯が灯る。
騎士道の誉れたる王よ。たしかに貴様が掲げた正義と理想は、ひとたび国を救い、臣民を救済したやも知れぬ。
だがな、ただ救われただけの連中がどういう末路を辿ったか、それを知らぬ貴様ではあるまい。
貴様は臣下を『救う』ばかりで『導く』ことをしなかった。『王の欲』のかたちを示すこともなく、道を見失った臣下を捨て置き、ただ独りですまし顔のまま、小奇麗な理想とやらを想い焦がれていただけよ。
故に貴様は生粋の王ではない。己の為ではなく、人の為の王という偶像に縛られていただけの小娘にすぎん。
すべての勇者の羨望を束ね、その道標(みちしるべ)として立つものこそが王。ゆえに王とは孤高にあらずその意思はすべての臣民の志の総算たるが故に。