目を遮って安心して絶壁のほうへ走っている

鷲田 清一, 内田 樹, 上杉 隆, 岩田 健太郎, 藏本 一也 : 有事対応コミュニケーション力 (技術評論社, 2011) p.128.

17世紀のフランスの思想家でパスカルという人が『バンセ』という本を書いているんですが、いまの自分たちをイメージするときにこの言葉を使うとぴたりとくる。「われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁のほうへ走っている」。

国民皆兵の継続的な「決戦戦争」

石原完爾が「最終戦争論」に書いた、国民皆兵の「決戦戦争」。石原完爾はそれが一瞬で終わると書いた。

現代は、国民皆兵の「決戦戦争」が継続している状態である。「決戦」が軍事力による戦争によらないために、継続している。

我が国において、国民の概念が、国民(臣民)に広がったのは、日露戦争の頃だろうか。司馬遼太郎が「坂の上の雲」に描いたのはそれであり、それ以前に国民(臣民)に国民の概念がないことを福沢諭吉は嘆いた。

当時は、国民と世界は隔れていた。国家あるいは国家的なものが、国民と世界の間にあった。

しかし、現代は、それがない、あるいは希薄である。

かくして、国民は世界に関わらざるをえず、継続的な「決戦戦争」において、国民皆兵なのである。

継続によって消耗が続く。消耗と回復を繰り返す。継続によって得られたものは、時間であり、時間が生む可能性である。

ストーリーがもつ説得力の根源

以前、以下の文章を書いた。

「ゲキ・ガンガー」を書け――国民文学による優れた考え方の共有

広く伝わるストーリーによって、多くの個人に考え方を修得させることができる。

考え方は単独では伝搬性が弱い。深く理解されず、すぐに忘れ去られる。しかし、ストーリーにくるまれると、深く理解され、忘れられにくい。

ストーリーは、強い説得力を具備している。

この説得力の根源は、因果関係のヒューリスティクスだと、考える。

因果関係がもつ無矛盾性が、ストーリーが実際に存在するように思わせているのである。

結城 浩 : 数学ガール/ゲーテルの不完全性定理 (ソフトバンク クリエイティブ, 2009) p.362.

 ミルカさんはそう言うと、ホワイトボードに四つの標語を書いた。


 《無矛盾性は存在の礎 [いしずえ] 》

人の性は群居を好み決して独歩孤立するを得ず

福沢 諭吉 : 学問のすゝめ (岩波文庫, 1942) p.99.

人の性は群居を好み決して独歩孤立するを得ず。夫婦親子にては未だこの性情を満足せしむるに足らず、必ずしも広く他人に交わり、その交わり愈〻広ければ一身の幸福愈〻大なるを覚ゆるものにて、即ちこれ人間交際の起こる由縁なり。既に世間に居てその交際中の一人となれば、また随ってその義務なかるべからず。凡そ世に学問といい工業といい政治といい法律というも、皆人間交際のためにするものにて、人間の交際あらざれば何れも不用のものたるべし。政府何の由縁をもって法律を設くるや、悪人を防ぎ善人を保護しもって人間の交際を全からしめんがためなり。学者何の由縁をもって書を著述し人を教育するや、後進の智見を導きてもって人間の交際を保たんがためなり。

用兵

日本軍の失敗から何を学ぶのか? 今後の日本を勝利に導く「3つの戦略」|「超」入門 失敗の本質――日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ|ダイヤモンド・オンライン

大東亜戦争の後半では、「レーダーにより味方戦闘機を誘導する」米軍の重層防御思想が登場し、レーダー圏内では戦闘機単体の多少の性能差が、まったく勝敗に結び付かなくなっていきます。

「ガンダムAGE」で司令フリットと副官アルグレアスがやっていたのも、これ。

我が主軸と真善美

以下によって、私の行動基準たる「3主軸」と、真善美がつながった。

「我が主軸 2011年版」では、「行動基準――3主軸」として、

(1)「叡智結拓」: えいちけったく
(2)「大国高民」の推進 : たいこくこうみん
(3)「産業興隆」: さんぎょうこうりゅう

を挙げている。

また、「我が主軸 2011年版」の要約は、以下である:

「後につづく者たちが、私/私たちよりも苦しまない」という状況に世の中をあらせるために、すなわち世の中を継続的に進歩させるために、自分ができ、したく、すべき行動である

 (1) 総合的な知識人として、叡智を結び、集約し、難所を突破すること
 (2) 社会が、より適切な解答を導き出す仕組みを構築すること
 (3) 産業を興隆させ、それを裏打ちにして文化的社会を着実に発展させること

をします。

即ち、

 (1)「叡智結拓」: 総合的な知識人として、叡智を結び、集約し、難所を突破すること
 (2)「大国高民」の推進 : 社会が、より適切な解答を導き出す仕組みを構築すること
 (3)「産業興隆」: 産業を興隆させ、それを裏打ちにして文化的社会を着実に発展させること

である。

ここで、

 (2)「大国高民」の推進 : 社会が、より適切な解答を導き出す仕組みを構築すること

は、真・善・美の「善」にあたると考える。私は、 「善」とは、社会が適切な解答を導き出す仕組みや能力を保守・改良する行為がもつ性質である、と考える。

(1)「叡智結拓」と (3)「産業興隆」を組み合わせた、上記よりも短いスローガンとして、

技術を進歩させ、文化・文明を進化させる

がある。

「技術の進歩」は「真」、「文化・文明の進化」は「美」にあたると考える。

3月11日をどうするか

篠田麻里子を勝手に心配し3月11日のネット上での作法を考える | ニコニコニュース という記事が話題になったが、「3月11日」を忌日にしないため、すなわち「3月11日」に何らかの社会活動が停止しないようにするために、どうすればよいのかを考えてみた。

※お断り: 筆者の周囲に、3月11日の震災による被害者はいません。当事者ではない精神の持ち主として、そのような精神を活用して、自由にこの文章を書かせていただきました。

結論:
 3月11日でない日に、不謹慎でない程度に暗くない大規模な行事を実施する。

遺族の社会に対する大きな願いは、社会において被害者・惨事を忘却させないことにあるのではないか。よって、社会的な影響力がある鎮魂行事は必要である。しかし、それを暗い行事にすると社会が暗くなる。よって、それを不謹慎でない程度に暗くない行事にする。

この鎮魂行事を実施する日取りは、3月11日を避ける。3月11日に実施する鎮魂は、個人・家族を主体に捉えて(しめやかに)実施するようにする。

例:
・1月17日に起きた阪神淡路大震災の鎮魂の意味をこめ、12月に「神戸ルミナリエ」が実施されている。

・お盆は、親族が集まる楽しい機会である。そして、お盆は、死者の命日ではない。

・大東亜戦争戦死者の慰霊行事は、それぞれの命日ではない 8月15日に集約されている。

疑問:
9月1日の関東大震災は、日本社会がもつ精神として、どのように処理されたのだろうか。

「今日は疲れたから、その辺で食べて帰るか」

駅前に、ちゃんと食べられる飲食店(居酒屋でない)が多い街は、よい街である。

疲れて帰ってきた時など重宝するのであろう。何もしたくない時に、代行してくれるサービスは価値が高い。でも、そのサービスを受けに、わざわざ出かけはしない。

よって、そのようなサービス提供は、大きな交通流に沿う場所でのみ可能である。

組織制度改革のやり方と定期的な必要性

カバネ – Wikipedia (2011年4月19日 (火) 06:12‎ の版)

姓の制度は、壬申の乱(672年)の後、天武天皇が制定した八色の姓によって有名無実化されていき、臣、連ですら序列の6、7番目に位置付けられ、その地位は低下した。代わって、天皇への忠誠心がある有能な人材には新たに作られた真人(まひと)・朝臣(あそみ、後に「あそん」。更に後世には「あっそん」とも)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)などの姓が与えられた。しかしながら、奈良時代を過ぎるとほとんどの有力氏族の姓が朝臣になってしまい、八色の姓も形式的なものに変質してしまう。