労働運動における「闘争」

労働運動における「闘争」私が、労働運動における「闘争」の意味を自分なりに理解するには、マルクスとエンゲルスによる『共産党宣言』を読む必要があった。

マルクス, エンゲルス=著, 大内 兵衛, 向坂 逸郎=訳 : 共産党宣言 (岩谷文庫, 2007) p.10. (エンゲルスによる「1883年ドイツ語版への序文」)

したがって(太古の土地共有が解消して以来)全歴史は階級闘争の歴史、すなわち、社会的発展のさまざまな段階における搾取される階級と搾取する階級、支配される階級と支配する階級のあいだの闘争の歴史であった。

私の理解では、「闘争」とは、戦略的状況における行為であり、すなわち主体同士の相互作用を指す。

私が考えるに、「闘争」は、不確定の誘導であるが、不確定が破滅を起こすことは稀であり、大抵、(主体の能力に著しい差異がない場合には)安寧が訪れる。

なぜならば、闘争が主体のレベルを保たせ、また、闘争が外乱を吸収する(外乱に乗じた闘争は、それによって利益を得た主体が、その後、外乱に対処しなければならなくなるので、外乱に対する共同戦線が発生する)ので、社会に破滅が起こらない。

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