【メディアとしての交通】「一本の杭に記されし道の名に」から【2020/2/23】

【メディアとしての交通】「一本の杭に記されし道の名に」から【2020/2/23】

つながりハイライト号 乗り場 (4:37 に紹介)

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こんにちは、高木です。本日は、2020年2月23日。天皇誕生日です。今上陛下は、ご還暦になられました。

令和改元の次の日、2019年5月2日の毎日新聞に、陛下の次のエピソードが載っています:

新天皇陛下が小学生のころ、散歩していた赤坂御用地の片隅に杭(くい)があるのを見つけ、ご養育係のオーちゃんこと浜尾実(はまお・みのる)東宮侍従にたずねた。杭には「奥州街道」とあった

「一本の杭に記されし道の名に我学問の道ははじまる」は皇太子時代に詠まれたお歌である。杭は近年に立てられたものだったが、御用地内を鎌倉時代の街道が通っていたことを知り、「この時は本当に興奮した」と回想されている

英国留学でテムズ川の水運史研究に取り組んだのも、この感動に導かれてのことだった。「道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割」を果たしたという。

(余録. 毎日新聞 (2019/ 5/ 2, 朝刊) 1面.)

お歌は、平成10年の歌会始のもの。「道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割」は、1993年に刊行された陛下の著書『テムズとともに -英国の二年間-』の一節です。

また、イギリスの小説家 エドワード・モーガン・フォースターによる小説『ハワーズ・エンド』には次の一節があります:

駅とはすばらしいもの、未知なるものへと開かれたゲートなのだ。われわれはそこを通って冒険と陽光の中へと旅立ち,残念ながらそこへ戻ってくる。パディントン駅にはコーンウォール半島全体とイギリス最西部がひそんでいる

陛下の「道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割」と、『ハワーズ・エンド』の「駅とは…未知なるものへと開かれたゲートなのだ」を合わせて浮かび上がってくるのは、メディアとしての交通です。

つまり、
 交通には、メディアという性質がある
ということです。

メディアとしての交通では、交通設備・交通装置は、容器、つまりコンテナです。

そして、内容、つまりコンテンツは、沿線というメッセージと、路線という文脈、つまりコンテクストから成ることになります。

次に『ハワーズ・エンド』からの引用の最後の文を見ていきましょう:「パディントン駅にはコーンウォール半島全体とイギリス最西部がひそんでいる」。

これは、即ち、ターミナル駅が、沿線の縮図であるという主張です。

交通の中でも、鉄道は、この傾向が強いです。駅は、乗り降りの機能を集約された専用施設ですからね。

また、鉄道は、列車が中間段階として、この傾向を強くするように働いていると考えられます。

つまり、

 沿線>路線>列車>ターミナル駅

という縮図構造です。

列車は、形が細長く、列車を路線と相似なものとして認識しやすいです。新幹線列車「のぞみ」号の 長さ 400 m の車体は、東京・博多間 1000km余りの縮図です。

そして、複数の列車が発着するターミナル駅が、沿線全体を縮図するのです。

さて、ここまでで、

・交通には、メディアという性質がある
・「列車」と「駅」により、全体を縮図する

ということを述べてきました。

ここからは、私の試みです。

この2項目から、このような帰結を得られます:

 ネットと鉄道には親和性があり、「列車」と「駅」を模倣することによりWebサイト内のコンテンツ全体を表現することができる。

この思想のもとに構築したシステムが、「つながりハイライト号 乗り場」です。takagi1.net内の記事と記事の間の、リンクを伝ったつながりを列車の運転系統に見立て、鉄道駅の放送風に紹介します。

ご試聴ありがとうございました。

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