徳川将軍の在位期間をカテゴライズする

1603年~1868年までの 265年間 のうち、

将軍在位 50年間

 1名: 家斉(11代)

将軍在位 26年~29年間

 5名: 吉宗(8代)・家綱(4代)・綱吉(5代)・家光(3代)・家治(10代)

将軍在位 14年~18年間

 3名: 秀忠(2代)・家慶(12代)・家重(9代)

将軍在位 7年間

 1名: 家茂(14代)

将軍在位 1年~4年間

 5名: 家定(13代)・家宣(6代)・家継(7代)・家康(初代)・慶喜(15代)

徳川将軍一覧 – Wikipedia (2011年8月19日 (金) 11:05‎ の版) を参考した。

徳川氏

徳川氏 (2012年1月3日 (火) 06:47‎ の版)

徳川氏の系譜は、系図上は清和源氏新田氏の支流得川氏の末裔と位置付けられており、従って本姓は源姓であり、源朝臣という。一説には、当初朝廷の許可では徳川氏は源姓ではなく藤原姓の氏族として認められていたが、家康が江戸幕府を開くに当たって、幕府の長たる征夷大将軍は源氏という慣例があったために、系図の粉飾が行われたのだとも言うが、実はそれより先の1567年に三河守を受領するために、すでに系図の粉飾が行われている。
三河守を受領する前の家康の官位は蔵人佐という低いものであったが、三河統一を成し遂げ名実とともに三河の支配者となった時点で、三河守受領のために必要な位階を家康は持っていなかった。三河守受領の為の位階は従五位下に相当するが、当時の慣例では、従五位下の位階を与えられる姓の系統は限られており、当時藤氏長者であった近衛前久に掛け合い藤原姓を名乗った。その後源姓に復帰した。

なお、のちに三河国に興った松平氏は、松平清康のとき、世良田氏の後裔を称する。清康の孫である家康は、朝廷に働きかけて世良田氏=得川氏=新田氏=清和源氏の末裔であるとの公認を得ようと目論むが、世良田氏ではなく、世良田義季(得川義季)の末裔ではあるが、藤原氏支流と自称する徳川氏として、改姓の勅許を受けたとされる。のちに系譜を改めて整理し[7]、徳川氏は世良田氏直系の源姓で得川氏を復活した氏族であるということにされ、家康は征夷大将軍に就任したとする。得川氏 – Wikipedia (2010年7月25日 (日) 11:04‎ の版)

徳川将軍家

 徳川御三家 – Wikipedia (2011年9月1日 (木) 07:59‎ の版)

水戸家は頼房が駿河家断絶後の1636年(寛永13年)に徳川賜姓された家であり、他の2家よりも官位・官職の点では下ではあるが、朝廷に対して次期将軍家の奏聞をし、また、江戸常勤であることなどから五代綱吉のころから御三家と呼ばれる。

「将軍家に後嗣が絶えた時は、尾張家か紀州家から養子を出す」ことになっており、…なお最後の15代将軍慶喜は水戸家出身だが、御三卿の一橋徳川家への養子を経て将軍家を継承した。

  御三卿 – Wikipedia (2011年11月15日 (火) 04:44‎ の版)

第8代将軍徳川吉宗が次男・宗武、三男・宗尹を取り立てて別家させたのが御三卿の起こりである。さらに、吉宗の長男である第9代将軍徳川家重が、自身の次男・重好を別家させることで、三家の体制が確立した。家格は徳川御三家に次ぐ。

参道にはストーリーが生じる

元日に清荒神清澄寺の参道を歩いて考えたこと。

参道は、地形を考慮して存在している

 阪急清荒神駅から清荒神の途中で、中国自動車道をくぐる。そこで明らかになるのが、参道のすぐ西側が谷になっていることである。

参道は、2点間を結ぶものである

 最も楽な 2点間を結ぼうとすると、それは自ずと1線に決定される。

参道には店が集まる

 人は遠回りしたくない。以下が関係しているのだろう。

ロバート・B・チャルディーニ=著, 社会行動研究会=訳 : 影響力の武器 [第二版] (誠信書房, 2007) p.380.

 人は、同じくらいの価値があるものなら、それを獲得することを考えるよりも、それを失うことを考えるときに強く刺激されるようです。

参道の店は参拝客の五感を刺激しようとする

 どの店にとってもかき入れ時なので、精一杯のアピールをする。

結論:
参道にはストーリーが生じる。

 参拝客は、連続的な五感の刺激を体験する。

クリエイティブな人というのは

何が僕を駆り立てたのか
クリエイティブな人というのは
先人たちが残してくれたものに
感謝したいと思っているはずだ

僕が使っている言葉も数学も
僕が発明したわけではない
同じ人類の先人たちが
作ってくれたものなんだ

僕は全力で
心の奥底にあるものを
表現しようとした

先人が残してくれたあらゆるものに
感謝しようとしてきた
そしてその流れに
何かを追加しようとしてきた

そう思って
僕は歩いてきた

――伝記『Steve Jobs』――

NHKスペシャル「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズ」(NHK総合テレビ、2011年12月23日 午後10時00分~10時49分)

関連:
文化の主要幹線を行く「2ちゃんねる」

「2ちゃんねる」は、過去の文化作品を巧みに取り入れた。これは、例えば 和歌においては本歌取りと呼ばれる、文化の主要幹線である。

 >「エヴァ」は聖書や精神分析学の言葉を多用し、映像手法でも過去の映画などからの
 >「引用」が数多く指摘された。しかし、庵野監督は「これだけ情報があふれている
 >時代に、オリジナルなんてどこにあるのか。様々なものからイメージをとりこんで、
 >それをどこまで広げて再構築するか、なんですよ」

 ( 朝日新聞 1997/ 7/24 夕刊 より)

巨人の正体

巨人の肩に乗っている

既に実施された知的作業がないか調べる

知は、個人にやどるものではなく、脈絡とした伝承である。これは、歴史の史料を読み、科学の文献引用主義を知るにつれて生じた。

もし君に他に与える何かがあるならば、将来、それとちょうど同じように、今度はほかの誰かが、君から何かを学ぶだろう

台湾の重要性

中国から見た日本地図を見て考えたのは、台湾の重要性である。台湾は黒溝台がもちえた意味をもつ。黒溝台のように退いてはならない。

司馬 遼太郎 : 坂の上の雲 6 (文春文庫, 1999) p.37.

[黒溝台を]最後の一兵になるまで守りぬけば、救援軍である立見師団は、生きている黒溝台を支軸にいかようにも旋回しうるのである。

王とは――「Fate/Zero」第11話「聖杯問答」まとめ

王は奉仕者・救済者ではない。王は奉仕される者だ。

故に逃げられず、常に当事者であり、オブラートを着られない。

王の仕事は、導くことである。

その意志が民の志の総算であれば、王は孤高ではない。

「Fate/Zero」 第11話 「聖杯問答」

いいや、違う。王が[故国に身命を]捧げるのではない。国が、民草がその身命を王に捧げるのだ、断じてその逆ではない。

自らの治世を、その結末を悔やむの王がいるとしたら、それはただの暗君だ。暴君よりなお始末が悪い。

余の決断、余に付き従った臣下達の生き様の果てにたどりついた結末であるならば、その滅びは必定だ。痛みもしよう、涙も流そう、だが決して悔みはしない。

ましてそれを覆すなど、そんな愚行は余と共に時代を築いた全ての人間に対する侮辱である。

王とはな。誰よりも強欲に、誰よりも強笑し、誰よりも激怒する。清濁を含めて人の臨界を極めたるもの。そうあるからこそ臣下は王を羨望し王に魅せられる。一人一人の民草の心に、我もまた王足らんと憧憬の灯が灯る。

騎士道の誉れたる王よ。たしかに貴様が掲げた正義と理想は、ひとたび国を救い、臣民を救済したやも知れぬ。

だがな、ただ救われただけの連中がどういう末路を辿ったか、それを知らぬ貴様ではあるまい。

貴様は臣下を『救う』ばかりで『導く』ことをしなかった。『王の欲』のかたちを示すこともなく、道を見失った臣下を捨て置き、ただ独りですまし顔のまま、小奇麗な理想とやらを想い焦がれていただけよ。

故に貴様は生粋の王ではない。己の為ではなく、人の為の王という偶像に縛られていただけの小娘にすぎん。

すべての勇者の羨望を束ね、その道標(みちしるべ)として立つものこそが王。ゆえに王とは孤高にあらずその意思はすべての臣民の志の総算たるが故に。

すべてを知る最後の人

Portal:工学と技術 – ウィキバーシティ (2011/11/25)

トマス・ヤング (*1773年6月14日 ~ †1829年5月10日) はイギリスの科学者、研究者、内科医、博学者。時に、「すべてを知る最後の人」と評される。というのは、当時における現代西洋の学術的な知識のほぼすべてに精通していたためである。 明らかに、これが真実であることを確かめることはできないが、他に資格のある人物としては、ゴットフリート・ライプニッツレオナルド・ダ・ヴィンチサミュエル・テイラー・コールリッジヨハン・ヴォルフガング・ゲーテフランシス・ベーコンが挙げられる。ヤングはまた、ブリタニカ百科事典現代版の様々な主題について執筆した。彼の学習は範囲と幅において莫大だったので、”奇才ヤング”として一般的に知られている。

ロバート・B・チャルディーニ=著, 社会行動研究会 : 影響力の武器 [第二版] (誠信書房, 2007) p.437.

 イギリスの経済学者で政治思想家、科学哲学者でもあるジョン・スチュアート・ミルは約百三十年前に亡くなりました。… この世界で知られるべき事象すべてを知っている最後の人と見られていたからです。

精神がひろく、想像力がゆたかで魂に活力があること、これこそ天才である

ディドロ, ダランベール=編, 桑原 武夫=訳編 : 百科全書―序論および代表項目 (1971, 岩波文庫) pp.324-325.
サン=ラベールによる「天才」の項

 精神がひろく、想像力がゆたかで魂に活力があること、これこそ天才である。

 天才人は、その〔常人〕よりひろい魂が、すべての存在の感覚にうたれ、自然のうちに存在するすべてのものに関心をもち、どんな観念をうけとっても感情が目覚めさせられ、すべてが魂を活気づけ、すべてが魂において維持されるような人である。

 魂は、事物そのものによって動かされるが、記憶によってさらに強く動かされる。しかし天才人にあっては、想像力はさらに先まで進む。彼はもろもろの観念を、うけとったときよりずっと鮮明な感情をもって思い起こす。これらの観念に、感情を生ぜさせるにより適した他の多くの観念が結びつくからである。

 事物にとりかこまれこれに没頭している天才は、思いだすのではない。天才は見る。見るにとどまらない。感動するのだ。… 魂は、真の色彩により、消しえない筆致によって、自らつくったものながら彼を熱中させ楽しませてくれる幻に、実体をあたえようと欲する。

関連:
佐貫 亦男 : 不安定からの発想 (講談社学術文庫, 2010) p.84.

その原因は機体の安定も不良であったが、それよりも自己の精神安定を確立せずに無暴な技術計画へ立ち向かったことにある。

スペシャリストとは対極にいる私がやるべきこと

いかなる現実的な知覚よりも前に、心のうちにアプリオリなものとして存在していなければならない

真の発見とは、新しい見方を獲得することである

世の中は感情で動いている

原発論議における、平等の悪側面

原発論議で注意しなければならないのは、それが一般の社会的強者にも弱者にも等しく不可避な影響を与える問題である点である。以前、雑誌記事で「希望は、戦争」という低所得者の手記があったが、そこで戦争は“一般の社会的強者にも弱者にも等しく不可避な影響を与える”ものとして扱われていた。

通常の問題の解決策に対して、一般の社会的強者は解決策が実行されても不利益をなるべく被らないように対策をとるため、社会的強者の優位が生じて、社会の混沌は避けられた。

しかし、“一般の社会的強者にも弱者にも等しく不可避な影響を与える”場合に、社会は混沌となりがちである。

社会の混沌化の手段として原発論議が使われないように、警戒しなければならない。社会を混沌とさせないために、深い思慮に基づいて解決がされねばならない。