全体を運ぶための網としての戦略

戦略 * の具体化された形態とは、

  大局を支配するための、資源が集中投入された小局の集合、及びその連携

である。

即ち、例えるならば、スイカを運ぶための、(結び目が少ない)網のようなものだ。

アルベルト・マングェル=著, 野中 邦子=訳 : 図書館 愛書家の楽園 (白水社, 2008) p.270.

パニッツィ[:大英博物館図書館主任司書。サー・アンソニー・パニッツィ Sir Anthony Panizzi (1797-1879)]は…何よりも、「書物が織りなす網」によって、イギリスの文化と政治の本質(アイデンティティ)を支えたいと願っていた。

* 戦略とは、《自分のとる行動だけでなく、他のさまざまな人の行動と思惑がお互いの利害を決める環境》において、自分が自分の自由意志のもとにとりうる行動を、その将来にわたる予定を含めて記述したものである。

「歴史」を学ぶ小・中・高校生が知っておいたほうがよいこと

要約:
歴史の知識は、その一般化と問題解決への活用によって益になる。歴史を学ぶということは、将来、問題解決を担わなければならないということだ。


歴史の知識は、過去情報の復元・読み解き・体系化によって作られ、一般化と問題解決への活用によって益になる(効用・便益が現出する)。

このことは、高校課程以下の教科としての「歴史」(「社会」・「歴史」・「日本史」・「世界史」)において、そのどれもが扱われていないので、分かりにくい。

高校課程以下の教科としての「歴史」は

  ・生徒が後に、新しい歴史的情報を得た際に、その読み解き・体系化の助けになるように、
  ・生徒が後に、問題がある状況に接した際に、問題解決の助けになる〈歴史知識の一般化〉を実施できるように、

体系的だが一般化前の知識をもった、脳を大量生産している。

即ち、歴史を頼みとできる(、歴史知識を「知らなかった」という言い訳を許されない高い立場を持った)人々を大量生産し、それらの人々が意見交換でき、一個の人より強力な人間集団により問題解決できる状況を生産する。

つまり、スタートラインまで連れてこられる。しかし、そこから走り出すことを教えられないのである。

走ることを予め知った上で、スタートラインに向かう方がよい。すなわち、

「歴史」を学ぶ小・中・高校生は、

  歴史の知識は、その一般化と問題解決への活用によって益になる。歴史を学ぶということは、将来、問題解決を担わなければならないということだ

ということを知った上で、「歴史」の勉強に取り組もう。


関連する引用:
大熊 康之 : 戦略・ドクトリン統合防衛革命―マハンからセブロウスキーまで米軍事革命思想家のアプローチに学ぶ (かや書房, 2011) p.42.

 ルース[:Stephen Bleecker Luce, 米海軍 Naval War College の創始者であり、初代校長] のものの見方及び考え方のバックボーンは歴史であった。彼は、マコーレー(Thomas Macaulay, 19世紀のイギリスの歴史家)の「いかなる過去の出来事も(それ自体としては)重要ではない。その知識は、未来のための算段に導いてくれる場合にのみ価値がある」と、ボリンブローク(Viscount Bolingbroke, 17~18世紀のイギリスの政治家・哲学者)の「歴史は実例によって教える哲学である」との2つの見解に共鳴した。そしてルースは、「歴史研究の要訣は、特定の実例の〔特定の〕範囲内での扱いとそれらからの一般化へのプロセスに関する各人の考察にある」と結論している。

国家と民

2013年の終戦の日前後に考えたこと:

国とは、多くの人が認識できる(:アイデンティティになる)最大の単位であり、その中で国家は安全保障・社会保障・利益配分の仕組みである。

国家は、民にとって刀みたいなものか。ただし、使用者を惑わせ、思考を拘束し、滅ぼす妖刀になりうる刀である。

民と国家の関係には、常に注意と調整が必要である。

そして、刀を扱う者として、衣食住が足り、健全な民が必要である。迷信を除去し、(集団として)将来を見通し(:深い投資とリスク分散を行い)、立ち上がり続け、動き続け、学び続け、技を磨き続け、学びと技を応用し続ける民である。

ベルリン動物園

ベルリン動物園。1844年開園。プロイセン王 フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の御代。

オーストリア帝国のシェーンブルン動物園へのプロイセン王国の対抗だろうか。

1849年、フランクフルト国民議会小ドイツ主義(オーストリアの排除)によるドイツ統一が示される。ヴィルヘルム4世に、同議会は「ドイツ皇帝」の称号を贈ろうとしたが、王は戴冠を拒否した。これは、帝位を民衆ではなく諸侯の協議によって決められるものと考えたことが理由で、王は、同じく小ドイツ主義によるドイツ統一を目指していた。

王の戴冠拒否は、“正統なるドイツ皇帝”を求めたことのむしろ表れであろう。

リスクとプロフィット

森 博嗣 : 幻惑の死と使途 (講談社文庫, 2000) p.194.

「何と何を交換したのでしょう?」
「リスクとプロフィット」犀川は煙草を片手で回している。「当たり前の一般論だけど、子供の悪戯だって、大人の仕事だって、政治だって、戦争だって、宇宙開発だって、みんな同じだ。危険と利益を交換する。…」

経済活動と文化

(経済活動と文化の関わりに関する思索を、集積しておくためのブログエントリーです)

水戸岡 鋭治 : カラー版 – 電車のデザイン (中公新書ラクレ, 2009) p.194.

昔、わたしたちは、「経済は文化のしもべである」と教わりました。…豊かな生活をするためにこそ経済活動があり、経済活動のために文化を犠牲することは、あってはならないのです。

経済と文化に関する小節

観光客を呼びこむためには

観光客を呼びこむためには、

(1) 観光スポットをリスト化して漏れなく紹介できるようにすること。

(2) 観光客が、確実に、不安なく観光スポットに到達できるようにすること。

観光客は、土地に馴染みがない。複数の観光スポットを回ってもらえるように、拠点A、観光スポットB・Cについて、A←→B、A←→C の道順だけでなくB←→Cの経路を、観光客に提供すべきである。観光客が予定をたてられるように、観光スポットでの標準所要時間、及び前述の移動に所要する時間を提供すべきである。

観光スポットの数が多くなれば、各スポット間の移動に関する情報量が多くなり、観光しようとしている者に混乱を起こすため、モデルコースを作るべきである。

(3) 観光しようとしている者に不安が生じないように、ネットなどを通じて、(1)(2)等に関する情報を提供すること。そのような仕組みをもつこと。

観光しようとしている者が、そのホームグラウンドにおいて、いろいろな検討ができるようにする。

(4) 観光客の現地での不安を、早期に解決できる仕組みをもつこと。

地元住民の親切に頼るのではなく、観光客の不安解消の経験を(積みうる|積んだ)部隊を作る。その存在と連絡方法を観光客に周知する。

観光スポットに関する知識は、誰に多く思い出されるか

観光スポットに関する

(1) 中核知識の量は、
   地元住民以外は 0~0.1 か 1、
   地元住民は   0.5~1    持ったことがある。

(2) 周辺知識の量は、
   地元住民以外は 0~0.1、
   地元住民は   0.1~0.5   持ったことがある。

(3) (1)(2)知識の記憶への定着率(思い出しうる率)は、

   地元住民以外は 段々減っていくが、
   地元住民は   減っていかない。

(4) 人数は、

   地元住民以外は 段々増えていく、
   地元住民は   限られる。

一人当たりを考えた場合( (1)×(2)×(3) )、観光スポットに関する知識は、地元住民によって多く思い出される。

過度に商業的でない観光業の効用

観光業は、観光スポット(名所・旧跡)のマネタライズ(金銭的利益を生むこと。その具体的方法は、観光客の消費行動である)と、それによる観光スポットの運営費用捻出の安定化を実現する。

これと、付近住民による理解を合わせることによって、観光スポットを保護・整備・運営することができる。

観光スポットは、観光客に、新たな知識・感性(による思考・意識の多様化)及び記憶を与える。

また、付近住民は、観光スポットがもつ良い属性を、付近住民自らの属性にできる。人の状態は、気持ちの持ち方によるところが大きい。観光スポットは、良い気持ちの持ち方を供給するのだ。

これが、地元住民にとって、過度に商業的でない観光業の効用である。

ここで重要になるのが、地元住民が観光スポットがもつ良い属性を知っていることである。すなわち、観光スポットがもつ意味が、分かりやすく提供されていなければならない。

アジェンダ

話題(アジェンダの上位)にすることが大事である。

消費行動モデル AIDMA、AIDCA、AIDA、AISAS、AISA の「AI」(Attention と Interest)は、これで生起される。そして、これら消費行動モデルは、消費行動に留まらず、あらゆる行動に適用可能である。

話題になることで、その事柄に関する検討が仔細になり、定量化される。その事柄を実現できるか、到底実現できないのかが判明する(実現に要する時間と各方面の分担コスト、及び実現状態を維持できる期間と、要する各方面の分担コストが、判明する)。

影響力が強い人・機関(例えば、政府)の社会を動かす力の源泉のひとつは、人々の話題を誘導する力である。つまり、火をつける力である。

何を話題にするかを決める行為が、メディアにおける、上流の「編集」である (ここに、メディアとは、情報の発信行為を主な生業(なりわい)とする

人・機関に留まらず、情報の発信をするあらゆる人・機関を指す言葉として適用可能である)。