堀 栄三 : 大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫, 1996) p.158.
情報は常に作戦に先行しなければならない。
戦略・戦術より、戦況が先行してはならない。 #*
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) September 21, 2013
堀 栄三 : 大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫, 1996) p.158.
情報は常に作戦に先行しなければならない。
戦略・戦術より、戦況が先行してはならない。 #*
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) September 21, 2013
2020年の夏季オリンピックの開催都市が東京に決まったことを受けて、考えたことをまとめました。
オリンピック開催都市は、一時的な世界首都である:
オリンピックにおいて、その開催都市は、世界中に広く強烈にアピールされる。*
オリンピック (とそれに関係するものの複合体)は、世界のさまよう関心を一都市に集めるレンズであり、最も影響力がある関心項目(アジェンダ)の提供装置である。この大集中された関心を受けられる都市は、100年間に50都市しかない。**
オリンピック は「世界(全)」である。単一の存在である(例えるなら、餅。米のつぶが見えない)。これが時間を経るにつれて鎖を形成していく。
対して、我々が普段、触れている世界は、「世界(粒)」である。それの実際は、他国に住む複数の個人である(例えるなら、ご飯。米のつぶが見える)。国を超えた個人と個人の網(ネットワーク)であり、これが時間を経るにつれて、組み替えられていく。
オリンピックでは、オリンピックという「世界(全)」の歴史・権威・権力と、
が、結節される。ここに挙げた要素それぞれ(「開催地の民」を含む。一位に開催都市の民)が、「世界(全)」につながるのである。
オリンピック という公正な勝負のために作られた全く平等な場において、運営管理者たる開催都市は、圧倒的に高い地位を持つ。
* アピールされることが分かっているので、再開発がされる。都市の世紀において、広く共有された、数としては少数のスローガンの元に、都市を再開発 (development) でき、それを広く強烈に世界にアピール (demonstration) できるオリンピックは、絶好の機会である。
** 同時に、 オリンピック開催都市は、大集中された関心に晒されても立ち続けなければならない。
初出:
2013年9月9日 – 7:03
2013年9月9日 – 7:17
2013年9月9日 – 7:18
2013年9月14日 – 13:02
2013年9月14日 – 13:03
2013年9月14日 – 20:18
2013年9月14日 – 20:19
バンクーバーオリンピック 2010年02月13日(開会式)の Twilog
各組織の地位の高い人が順々に話をしていく。時に次の話者の紹介をする。これで大会がこれら組織にとって正統であることが示される。 #olympic
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) February 13, 2010
オリンピックの入場行進がこんなに平等なのは、勝負の世界であり、かつ勝負前だからだろう。 #olympic
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) February 13, 2010
ロンドンオリンピック開会式を見る 2012年
オリンピックの開会式は、開催地の歴史とオリンピック即ち世界の歴史を平行に結節する行為である。…って、ロンドンの開会式を見逃した。 #nhk オンデマンド http://t.co/OlhdeilG で見ようか。 ###
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) July 29, 2012
2013年 8月24日に京都・嵐山に所用があり、ついでに渡月橋を観光してきました。
最初は、橋長155 m の巨大建造物であるところが見所なのかな、と思ったのですが、橋の上で確信したことは、
渡月橋一帯の広大な空間
が見所なのだということです。
渡月橋が、亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と感想を述べたことからと名付けられた(Wikipedia, 2013年9月18日 (水) 16:12 の版)ことからも分かるように、川幅が広くなった桂川にかかる渡月橋からの全天の眺めを遮るものはありません。
渡月橋のすぐ上流には、西高瀬川の起点になる葛野大堰((かどのおおい))があり、悠然と水をたたえています。そして、水面(みなも)の背景は、緑の山です。
壺にとって、中の空間が一番大事だという話がありますが、渡月橋は、空間を感じさせる、そしてそれと同時に壺をみせる装置だと言えます。
(補足: これは小雨の日に観光したからかもしれませんが、橋のたもと(中ノ島公園)はとても静かで、道路橋でもある渡月橋上でも静かでした。この静けさも見所です。)
ハレの式典におけるS/N比は高い。ハレの場を作り出すのは、高純度なハレの気持ちをもった参列者間の相互作用である。
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) September 18, 2013
関連:
周囲を写すこと – いつかの昨日 Reblog by TAKAGI-1 たんぶら
ジャパネットたかたの高田社長がビデオカメラを売る際に子どもだけじゃなくて、親の顔を撮ったほうがいい、その子どもが大きくなったときに、自分が幼い頃なんてぶっちゃけどうでもいいけれど、自分の誕生を両親がどれだけ喜んでくれていたかを実感できるのは素敵だというような話をされていたんだけど、ほんとにそうですね。
大事に思っているものを、他者に委ねるのだもん。説得(プレゼン)と、それを裏づける外乱の少なさと最上級者の約束的発言(コミットメント)が重要だ。— #オリンピック 開催都市選考
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) September 8, 2013
これは、オリンピック開催都市選考に限らず、普遍的に言える。
9・11(アメリカ同時多発テロ事件) において 世界貿易センタービルへの第2撃を防げなかった理由は、人が、全てを直観する「神」でないからである。少なくとも、第1撃から第2撃の17分間において、人は、全てを直観する「神」でなかった。
しかし、人は、撮影された動画から選び出し、それを広く配信・共有することによって、少しの時間差で、多くを直観するに至った。そう考えれば、(9・11の際はテレビカメラであったが、)ビデオカメラ付きスマホの普及は、「神」に近づく道の一つである。
参考の引用:
貫 成人 : 哲学マップ (ちくま新書, 2004) p.68.
かれら[:デカルト、パスカル、スピノザ、ライプニッツ]の「神」についても〈その視点から宇宙と時間の全体を見渡しうる永遠の絶対的全知全能存在〉という設定と理解しておけば十分である。
勝負には3種類がある。
・勝者の最終行動を以て決まる勝負(e.g. マラソン、ゴルフ)
・敗者の最終行動を以て決まる勝負(e.g. 野球)、
・その他の要因を以て決まる勝負(e.g. サッカー((時間を以て決定)))
である。
NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」第138回 (2013/ 9/ 7放送)中の台詞「だって被災地だもの」からの思索:
●「無敵の被害者様」
被害者-加害者間に焦点を当て、自立が顕らかに捉えられていない。
●「だって被災地だもの」
被害者-(被害に会っていない)外部者間に焦点を当て、自立が顕らかに捉えられている。
・【これが全自動?】22才が作ったニュースの要約サービスが凄い件 – NAVER まとめ
・アマゾンのベゾスCEO、ワシントン・ポスト紙を個人として買収。キャッシュで2億5000万ドル – Engadget Japanese
を読んでいて、「Googlezon」で知られる動画「EPIC」を思い出したのですよ。
本当は、「EPIC 2015」の日本語字幕付きを載せたいのだけれど、あれどこにいったのかなぁ。
EPIC 2015 (2005年発表):
EPIC 2014 (日本語字幕付き) (2004年発表):
固有名詞など定量的には 「EPIC」での将来予測は正しくなかったですが、定性的には将来予測は正しかったです。
過去の将来予測に定性的に言い当てられた、今現在の社会を、今に生きる我々は、当たり前のように受け入れています。
「他者に向ける」思想に基づいた組織を思考してみる。
ただし、組織構成員が各々に自助思想を発動させていなければならない。
「他者に向ける」思想として、以下の(1)(2)を示す。(1)(2)によって面(2次元)を形成できる。(1)は垂直的、(2)は個-個関係であり横軸である。
(1) 「日本を救いたければ、世界を救え」
北澤宏一氏が著した「科学技術は日本を救うのか」の結論として、小飼弾氏が挙げた言葉である。この言葉は、自分・自組織に集中・狭窄した視野を見開かせることに役立つ。この言葉には、どのように見開くべきかを示唆するところに高い価値がある。
即ち、理に通じた欲を持って、自組織外の個別認識できる複数の他者に貢献するのである。
「日本を救う」という、理に通じた生存欲が、まずある。そのために救う「世界」である。「世界」として、直接に相手にするのは、個別認識できる複数の他者である。
先に、垂直「的」関係と書いたのはこのためだ。垂直関係ではなく、斜め上の関係である。すなわち、世界という単一体を考慮しない。「一と全」という言い古された言葉に置き換えれば、全という単一体を考慮しない、即ち、直接に相手にしない(「敬してこれを遠ざく」—論語・雍也第六)。
理に通じた欲に話を戻そう。
個人が持つ、理に通じた欲は、公欲と呼ばれる。対する概念は、私欲である。「意味のないことに対して(それをしないように)緊張感をもって生きる」と言う場合、「意味のないこと」をしようとする欲は、私欲である。
道義ではない、理に通じた欲によって、自組織外の複数の他者に貢献するのである。
(2) 渦は自らを回転させず、他を回転させる
故に、担当には複数人を充てるべきである。お互いに同じ担当の他者を刺激し、行動させるのである。
「1.5R」の思想は、自分による行動を意図するが、これは他者による行動を意図する。