複雑性とは、対象のなかに自分の意図を実現するにあたって、自分が全く無知な状態では、高い確率でそれを実現できない対象がもつ性質、である。
解釈: 複雑性という指標――今日の闘争における鍵においては、「《複雑性》」を「全てを満足させることが難しい、多数の制限事項〉あるいは〈総合するとリスクが極めて高い、多数のリスク事項〉が存在する状況の性質。個々の事項は、動的であったり、相互に関係していたりする」と、定義した。「《複雑性》」は、高度な複雑性である。
また、複雑性は、下記の「リスク=危険」と同じ概念である。
森 博嗣 : 幻惑の死と使途 (講談社文庫, 2000) p.194. リスクとプロフィット
「当たり前の一般論だけど、子供の悪戯だって、大人の仕事だって、政治だって、戦争だって、宇宙開発だって、みんな同じだ。危険と利益を交換する。…」
複雑性は、豊かさの源である。
複雑性の〈鉱山〉 * を経営し、これを保守・開発・運営し、価値を高め、もって我が意図を実現するために使用することを、考えるべきだ。
* 註1. 鉱山は、開発しなければ価値を持たない。
註2. 複雑性は再生産される(例えば、農業において、毎年、同量の複雑性が存在する。自然環境において、毎年同時期には、同量の複雑性が存在する)。これは、鉱山に例えられない。
「《複雑性》は、社会・政治の領域において高い」。このような領域は、内に、多くの豊かさを持っているのである。
「複雑性は、豊かさの源である」という考えから、
人類、あるいはその部分集合の発展は、その意図を実現できる領域が本来持つ複雑性の総量で測れる、
という考え方が導かれる。
この考え方は、以下により支持される。すなわち、〈発展とはエネルギーの有効な利用量の増加、即ち、負のエントロピー供給量の増加である〉という考え方があるが、これを、〈発展とは「意図を実現できる領域が本来持つ複雑性の総量」の増加である〉という枠組みで語ることができる。
複雑性を持つ領域において特定の意図を実現する方法は、破壊あるいは生産である。その両方に、エネルギーの有効な利用、即ち、負のエントロピー供給が必要である。以下に、例を挙げる:
自然がもつ複雑性、たとえば河川氾濫による損害や日照りによる水不足は、多くのエネルギーを使って生産される、コンクリートや鉄骨を材料に、多くのエネルギーを消費する土木機械によって造られた土木建築物により、抑えられる。
国家間がもつ複雑性、すなわち国家間の衝突は、外交あるいは戦争により解決・処理される。社交・軍事(平時も戦時も)は、高エネルギー消費行為である――戦争は、消費速度の大きなものが勝つ。
破壊と生産とは異なるが、エネルギー(=負のエントロピー)供給は、複雑性に富んだ、各々の〈個人〉や〈国民という集合〉の暴発を抑える――高エネルギー消費は、これまでずっと、つねに政治力の前提条件であった。
読書は、人生の全てが、決して単純ではないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかねばならないということ
複雑性の残留量を、
(複雑性の残留量)=(領域が本来持つ複雑性の総量)−(その内、克服された複雑性の量)
と定義する。
人類は、複雑性を克服し、自分の意図を実現して、多くの豊かさを手にしている。
例えば、エリヤフ・ゴールドラットがいう「科学者のように考える」、そして"オッカムの剃刀"という思考の指針は、複雑な状況を単純に考えることによって、複雑性を克服する。
しかし、複雑性全てを克服することは、できない。すなわち、複雑性の残留量は、ゼロにはならない。
これは、科学によって示されている。将来を完全予測し、リスクをゼロにしてくれる「ラプラスの魔」は、いかなるスケールにおいても存在しないのである。
なぜならば、例えば、以下の事柄がそれを妨げるからだ。
・ミクロスケールにおいて、不確定性
・マクロスケールにおいて、カオス現象
・ポートフォリオされたマクロスケールにおいて、冪乗則関係に従う確率分布になる現象に平均が存在しないこと
複雑性は、豊かさの源である。科学が示すように、複雑性全てが克服されることはない。
複雑性から逃げることなく、複雑性と付き合っていこう。
公開開始: 2014/ 6/22
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