持明院統と大覚寺統

持明院統と大覚寺統後嵯峨天皇の第3皇子後深草天皇の子孫である持明院統と、第4皇子亀山天皇の子孫である大覚寺統。

両統の対立を鎌倉幕府が裁定し、1275年から、両統迭立(りょうとうてつりつ)。

鎌倉幕府崩壊後、1333年の建武の新政で、皇統が大覚寺統(後醍醐天皇系)に統一されたかに見えたが、建武の新政の崩壊(1336年、後醍醐天皇の吉野行幸)で、持明院統の光厳天皇が即位(北朝)する。

その後、南朝は大覚寺統、北朝は持明院統。

南北朝時代 (日本) – Wikipedia #南北朝の天皇 – 系図

1392年、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位する(「譲国の儀」)形で両朝が合一した。その際の約定「明徳の和約」では、その後は両統迭立することになっていたが、守られず、皇統は持明院統になった。

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