「歴史」を学ぶ小・中・高校生が知っておいたほうがよいこと

要約:
歴史の知識は、その一般化と問題解決への活用によって益になる。歴史を学ぶということは、将来、問題解決を担わなければならないということだ。


歴史の知識は、過去情報の復元・読み解き・体系化によって作られ、一般化と問題解決への活用によって益になる(効用・便益が現出する)。

このことは、高校課程以下の教科としての「歴史」(「社会」・「歴史」・「日本史」・「世界史」)において、そのどれもが扱われていないので、分かりにくい。

高校課程以下の教科としての「歴史」は

  ・生徒が後に、新しい歴史的情報を得た際に、その読み解き・体系化の助けになるように、
  ・生徒が後に、問題がある状況に接した際に、問題解決の助けになる〈歴史知識の一般化〉を実施できるように、

体系的だが一般化前の知識をもった、脳を大量生産している。

即ち、歴史を頼みとできる(、歴史知識を「知らなかった」という言い訳を許されない高い立場を持った)人々を大量生産し、それらの人々が意見交換でき、一個の人より強力な人間集団により問題解決できる状況を生産する。

つまり、スタートラインまで連れてこられる。しかし、そこから走り出すことを教えられないのである。

走ることを予め知った上で、スタートラインに向かう方がよい。すなわち、

「歴史」を学ぶ小・中・高校生は、

  歴史の知識は、その一般化と問題解決への活用によって益になる。歴史を学ぶということは、将来、問題解決を担わなければならないということだ

ということを知った上で、「歴史」の勉強に取り組もう。


関連する引用:
大熊 康之 : 戦略・ドクトリン統合防衛革命―マハンからセブロウスキーまで米軍事革命思想家のアプローチに学ぶ (かや書房, 2011) p.42.

 ルース[:Stephen Bleecker Luce, 米海軍 Naval War College の創始者であり、初代校長] のものの見方及び考え方のバックボーンは歴史であった。彼は、マコーレー(Thomas Macaulay, 19世紀のイギリスの歴史家)の「いかなる過去の出来事も(それ自体としては)重要ではない。その知識は、未来のための算段に導いてくれる場合にのみ価値がある」と、ボリンブローク(Viscount Bolingbroke, 17~18世紀のイギリスの政治家・哲学者)の「歴史は実例によって教える哲学である」との2つの見解に共鳴した。そしてルースは、「歴史研究の要訣は、特定の実例の〔特定の〕範囲内での扱いとそれらからの一般化へのプロセスに関する各人の考察にある」と結論している。

国家と民

2013年の終戦の日前後に考えたこと:

国とは、多くの人が認識できる(:アイデンティティになる)最大の単位であり、その中で国家は安全保障・社会保障・利益配分の仕組みである。

国家は、民にとって刀みたいなものか。ただし、使用者を惑わせ、思考を拘束し、滅ぼす妖刀になりうる刀である。

民と国家の関係には、常に注意と調整が必要である。

そして、刀を扱う者として、衣食住が足り、健全な民が必要である。迷信を除去し、(集団として)将来を見通し(:深い投資とリスク分散を行い)、立ち上がり続け、動き続け、学び続け、技を磨き続け、学びと技を応用し続ける民である。

ベルリン動物園

ベルリン動物園。1844年開園。プロイセン王 フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の御代。

オーストリア帝国のシェーンブルン動物園へのプロイセン王国の対抗だろうか。

1849年、フランクフルト国民議会小ドイツ主義(オーストリアの排除)によるドイツ統一が示される。ヴィルヘルム4世に、同議会は「ドイツ皇帝」の称号を贈ろうとしたが、王は戴冠を拒否した。これは、帝位を民衆ではなく諸侯の協議によって決められるものと考えたことが理由で、王は、同じく小ドイツ主義によるドイツ統一を目指していた。

王の戴冠拒否は、“正統なるドイツ皇帝”を求めたことのむしろ表れであろう。

リスクとプロフィット

森 博嗣 : 幻惑の死と使途 (講談社文庫, 2000) p.194.

「何と何を交換したのでしょう?」
「リスクとプロフィット」犀川は煙草を片手で回している。「当たり前の一般論だけど、子供の悪戯だって、大人の仕事だって、政治だって、戦争だって、宇宙開発だって、みんな同じだ。危険と利益を交換する。…」