国家と民

国家と民2013年の終戦の日前後に考えたこと:

国とは、多くの人が認識できる(:アイデンティティになる)最大の単位であり、その中で国家は安全保障・社会保障・利益配分の仕組みである。

国家は、民にとって刀みたいなものか。ただし、使用者を惑わせ、思考を拘束し、滅ぼす妖刀になりうる刀である。

民と国家の関係には、常に注意と調整が必要である。

そして、刀を扱う者として、衣食住が足り、健全な民が必要である。迷信を除去し、(集団として)将来を見通し(:深い投資とリスク分散を行い)、立ち上がり続け、動き続け、学び続け、技を磨き続け、学びと技を応用し続ける民である。

「国家と民」への1件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です