みんなで不幸になろうという「空気」が存在すること、そのような「空気」が生まれるメカニズムが存在することは、事実だ。
故に、みんなで不幸になってはいけないという覚悟は明確に示さないといけない。
「みんなで不幸に」は、みんなにとっては心地よいだろうが、みんなを超えた全体を腐らせ、その毒はみんなを殺す。
みんなで不幸になろうという「空気」が存在すること、そのような「空気」が生まれるメカニズムが存在することは、事実だ。
故に、みんなで不幸になってはいけないという覚悟は明確に示さないといけない。
「みんなで不幸に」は、みんなにとっては心地よいだろうが、みんなを超えた全体を腐らせ、その毒はみんなを殺す。
GIS, グリーン投資スキーム
京都議定書に基づく温室効果ガスの排出枠で余剰分が生じたときに、一定の条件の下でこれを有効活用するための制度。2000年のCOP6でロシアが提案。
…
なお、京都議定書第17条では、排出枠(割当量)が設定されている附属書I国の間で、排出枠の一部の移転または獲得を認めている。
CDM, クリーン開発メカニズム
京都議定書に規定される柔軟性措置のひとつ。京都議定書第12条に定められ…
先進国と途上国が共同で温室効果ガス削減プロジェクトを途上国において実施し、そこで生じた削減分の一部を先進国がクレジットとして得て、自国の削減に充当できる仕組み
「誰が敵か味方か」という色眼鏡で見ていたら、判断を間違う。
関連:
有川 浩 : 図書館内乱 (アスキー・メディアワークス, 2008) p.172.
「お前、何でも、1か0かで割りたがるの悪い癖。特に組織を考えるときにその癖出してたら大局見失うぞ」
鎌池 和馬 : とある魔術の禁書目録 14 (電撃文庫, 2007) p.56.
黒幕。
美琴は無意識の内に、その言葉を使っていた。おそらくそこに、彼女の望みがある。誰かが話をこじらせていて、たった一個の原因を取り除けば、それで全てが元通り……。なまじ美琴には『超電磁砲』という強大な能力があるため、そちらの方が分かりやすくてやりやすいのだろう。
しかし、そんな『黒幕』なんてどこにもいない。
際限なく物資を飲み込む戦場が最悪だ。
その理由の一つとして、そのような戦場ではサンクコストが増大していき、サンクコストに縛られて合理的な判断を見失いがちになることがある。
人類を分ける方法として、同時に活動している人々を一括りにするという方法を考えることができる。
昔は、人は昼にしか活動できず、離れた場所の人と同時に話をすることはできなかった。だから、先述の人類の分け方は地域的であり、分けた結果を地図上に表現することができた。
日本に住んでいるから日本人であり、イギリスに住んでいるからイギリス人であること、この概念の一部は、この考え方によって形成されていたかもしれない。
現在、照明によって、人はいつでも活動でき、通信技術の発達によって、離れた場所の人と同時に話をし、同時に協働し、活動できるようになった。
一般的な日本人よりも、9時間遅い時間帯に働き(日本とイギリスとは9時間の時差がある)、イギリスに住む人と即時的・同時的な通信手段によって繋がり、一緒に活動する人を、100% 日本人であるとは言えないのではないだろうか。
地域をもって人類を分ける方法(国など)は、将来において、現在と同じ意味を持たないかもしれない。
現在、電力需給が逼迫している。
最も逼迫するのは、電力使用量がピークの時間帯である。
ピークを下げるために、一部企業は、平日を休業し、休日に業務を実施している。
さて、電力使用量がピークである時間帯には、その地域にある人々が最も(電力を消費する)活動をしている。
「ピークは悪しきものだ」と世間で言われているが、ピーク時に社会全体は最も活発であり、集中しているのである。
逆に、ピークが生じないように、時間を分散して人々が働いたら、どうなるだろうか。仕事の電話はつながりにくくなり、出張に行こうにも出張先の休業日を予定から外さねばならず、仕事がはかどらない。
ピークを作れることが、生産性を高めるのである。
特定の個人・集団による所有行為の社会における効用は、リンゲルマン効果にしたがって生じる。
人を動かす手段は、メディアだけではない。道具によってもできる。
水戸岡 鋭治 : 水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン―私はなぜ九州新幹線に金箔を貼ったのか? (交通新聞社, 2009) p.86.
身の回りのスペースが広がること、サービスが違うこと、椅子の機能が少し違うこと、そのことによって人の身ぶりはかなり違ってきます。グリーン車にいると人は優雅な身ぶりになります。
「人にどう力を授けようか」
の次は、
「力を持った人を使ってどうしようか」
である。
「どのような状態になろうか」、そして「その状態になってどうするのか」(本来は、「どうするのか、そのためにどのような状態になるのか」であるべきだが)ということである。
人は、メディアや道具によって動かせる。