学術・教養は「結び技」である

学術・教養は「結び技」である。社会に出た後、取り扱う商品や専門技術の範囲内に閉じこもらず、それらを連携させて、全体を推進させていくためには、学術・教養の修養が必要である。

補足:
これは、京都産業大学の学生募集広告を見かけた時に、同学が掲げる「むすびわざ」を、「結び技」だと有益に誤解して、考えた文句である。有益な誤解は、言語がその性質として不完全であるが故に為せるわざである。

京都産業大学が掲げる「むすびわざ」とは、「産す業」であり、「新しいもの、こと、価値を産み出すこと」である。

京都産業大学 「むすびわざDNAプロジェクト」 始動宣言

本学は産学協同を実践する総合大学の完成を最終目的として、「産業大学」と名付けられました。『最高学府は社会を支える人材育成の産業(むすびわざ)であるべきだ』と考えた学祖荒木は、産学協同はアカデミズムに反するという時代背景にあって、あえて「産業」の二文字を掲げ、社会との交流を推し進めました。 「むすびわざ」とは「産業」の読み方のひとつであり、「むすぶ」は「むす」から派生した語で、「産み出す」という意味をもちます。

「新しい業をむすぶ」と読み解き、新しいもの、こと、価値を産み出すことを表しています。 京都産業大学の「産業」とは、まさにこの「むすびわざ」を表すのです。

 これが学祖荒木俊馬の「産業」に込めた思いであり、産学協同に代表される社会との連携のなかから新たな価値を生み出すことで、他に類をみない教育・研究を実践する大学を志し、多くの同志達とその具現化に営々と努めてきたのです。

経済は、用水路である

経済は、用水路であり、富は、自然の恵みが姿を変えたものである。

自然の恵み、すなわち、その根源をたどれば、太陽(あるいは地球内部)における核反応のうち、ほとんどは無駄になる。

自然の恵み(の全体からすれば、そのごく一部)を、それを受けられない空間・時間に行き渡らせている仕組みが、経済である。それは、山に降った雨をそのまま海に流すのではなく、広い土地に行き渡らせる用水路(、さらには水を蓄え放出する溜め池を含めた灌漑システム)に例えることができる。

経済は、自然の恵みを富に、富を富に変換する仕組みなどから構成される。富は、自然の恵み(その本質として、エネルギーや情報)が姿を変えたものである。

利用できる富に変換できる仕組みが現に存在することへの安心感、将来登場することへの期待感が、人に新たな資産を作らせる動機を持たせる。資産は、自然の恵みやそれが変換されて生まれた富を、空間・時間に行き渡らせている仕組みの一部になり、その働きを強くさせる。すなわち、経済を発展させる。

「公共」宇宙と宇宙領土

宇宙は「公共物」、すなわち大国により管制され、有事においては大国の私物である。

現在、宇宙は、制高に役立っている。すなわち、
 ・敵の情報をさぐる
 ・味方に有益な情報を提供する。やりとりの中継点になる
 ・敵に物質(例えば、爆弾)を送る
ことができる。

将来、宇宙は、資源の源にもなる。資源は権益を生み出す。そして、資源開発・採掘には、定住する人口が必要である。これは人口の受け入れの起点になる。

定住者は、周囲を監視する。また、権益と人口は、軍事力の発動の理由になる。特に、民間人の人命保護は、内政・外交共において、強力な根拠になる。また、一定規模の人口の受け入れが可能ならば、一定規模の軍、すなわち一定の戦闘を継続しうる軍の駐留が可能になる。

ここに、宇宙領域の領土化が始まる。領土化に成功した国は、そこから採掘される資源、そこに設置された製造設備、その製造設備の生産物を、最大限に利用できる。領土は「公共物」よりも、使いやすいのだ。

また、宇宙領土と地球上の本国の連携行為によって、「公共」宇宙の管制を、より効率的に実施できる。

関連:

「共産党宣言」における少数の価値の過小評価

マルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」では、少数の価値を過小評価し、駆逐の対象にしている。*

「共産党宣言」での記述に従い、1:9としよう。

少数1が、全体の資本の9を所有している。

これは、所有のパレート則である。これだけならば駆逐の対象によいのかもしれない。

しかし、少数1が、全体の成果の9を生み出しているのである。これは、成果のパレート則である。

その中では、集中の効果、人間は集団になると一人当たりの作業量が減少するという「リンゲルマン効果」の逆も、働いているのだろう。

重要なことは、少数が全体をまかなっていることである。これは、冪乗則という統計モデルに準じた集団がもつ性質である。その少数から資本を摘み取り、多数に分配しても、全体をまかなえない。

補足:
* カンボジア共産党(クメール・ルージュ)のポル・ポトが、カンボジア国民全体にとって少数である知識人を虐殺したのも、この影響であろうか。

共産主義政権が独裁になる理由

私見。仮説。

共産主義政権では、資本の裏付けがない指導者が生じる。さらに、資本量という現実における成功度合いを映す鏡をもたないため、現実における成功に関する知見に乏しい。また、規範である共産主義をそのような人々が支配的に扱うため、規範である共産主義は、現実における成功から乖離し、改良されず、現実における成功をもたらさない。

その結果、共産主義政権では、指導者は、現実における成功に関して物知両面にわたり裏付けをもたない。指導者の地位は不安定になり、低くなる。その結果、指導者は、民の地位をより低くしようとする。

対して、共産主義でない政権では、指導者が現実における成功に関して物知両面にわたり裏付けをもつので、その地位は安定で、高くなる。そのような指導者は、民の地位が高くなることを許容する。そして、指導者と民の間の戦略的状況(主体同士の相互作用状況)によって、民の地位が高くなるのである。

活動する構造に関する一思索

活動する構造は、微分方程式、境界条件、初期条件のなかでも、特に境界条件の適切な設定によって形成できるのではないだろうか。

すなわち、他の構造との接続点、外部との境界面、及び内蔵された装置の入出口における、流通の適切な設定である。

エネルギーが流入する場では、自己組織化により散逸構造が生まれることを思い起こしてみよ。

理想が生まれ出ずるところ

獲麟の故事は、理想的な時代にのみ、ある種類の理解できないことから理想が認識される、と理解できるのではないだろうか。

林兵馬著: 大国民読本. 徳富蘇峰による序文より:

且つ夫れ、国家興隆すれば、理想を以て生活とし、国家衰頽すれば、生活を以て理想とする

現実の永続的再調整

現実(への人々の認識)は、人々の活動によって、常に再調整されている。今日の現実と、明日の現実は異なる。これは、希望であり、絶望である。

希望であり、絶望であるので、活動を行う人々、及びそれに価値を与える人々次第であり、人々が大切だ。

例えば、迷信・悪霊が除かれるべき領域の現実から、迷信・悪霊は、再調整により、除かれるし(希望)、入り込みうる(絶望)。

再調整は、知新温故により、行われる。

森 博嗣 : 冷たい密室と博士たち (講談社文庫, 1999) p.416.
西澤保彦氏による「文庫版解説」より:

私の考える現代本格の使命とは、新しい試みをもって、これまで培われてきた過去の業績に現在性を付与することにより、自らも再調整された伝統の中に組み込まれ、そして未来に繋げることにある。

温故知新のバリエーション

「温故知新」
故きを温ね、新しきを知る: 過去の知識(低位の知識。情報に近い、個々がバラバラの知識)を考察して、新たな知識(高位の知識。まとまった、普遍的知識・法則・体系)を得る。

「温故知故」
故きを温めて、故きを知る: 過去の知識(低)を考察して、過去の知識(高)と同じ結論を得る(再認識する)。
(「車輪の再発明」)

「温新知新」
新しきを温めて、新しきを知る: 新たな知識(低)を考察して、新たな知識(高)を得る。
(「知新温新」と組になって、漸進的に新たな知識(高)を獲得する。)

「温新知故」
新しきを温めて、故きを知る: 新たな知識(低)を考察して、過去の知識(高)と同じ結論を得る(再認識する)。
(「車輪の再発明」)

「温故知無」: 過去の知識(低)を考察して、何も得られない。
「温新知無」: 新たな知識(低)を考察して、何も得られない。

「温無知新」: 概念のひらめき。
「温無知故」: 突発的な概念の思い出し。

「知故温新」
故きを知って、新しきを温ねる: 過去の知識(高)を思い出し、それを使って、新たな知識(低)を考察する。

「知故温故」
故きを知って、故きを温ねる: 過去の知識(高)を思い出し、それを使って、過去の知識(低)を考察する。

「知新温故」
新しきを知って、故きを温ねる: 新たな知識(高)を使って、過去の知識(低)を考察する。
(振り返り。真相を知る。新しく得た見方で、いままでやってきたことを見直す。)

「知新温新」
新しきを知って、新しきを温ねる: 新たな知識(高)を使って、新たな知識(低)を考察する。

「知故温無」: 過去の知識(高)を使って、何もしない。
「知新温無」: 新たな知識(高)を使って、何もしない。

「知無温新」: 方策はないけれど、新たな知識(低)を考察する。
「知無温故」: 方策はないけれど、過去の知識(低)を考察する。

関係図:

温無知故※A
  ↓
  ↓┏←温新知故※C
  ↓↓
知故温故←→温故知故※B←知新温故※D
  ↓      ↑
  ↓┏←知無温故
  ↓↓
  ↓↓┏←←←←┓
温故知新→→→知新温故※D
       ↓↑  ↑
       ↓↑ 温無知新
       ↓↑  ↓
温新知新→→→知新温新※E
  ↑↑┗←←←←┛
  ↑↑
  ↑┗←知無温新
  ↑      ↓
知故温新←→温新知故※C←知新温新※E
  ↑↑
  ↑┗←温故知故※B
  ↑
温無知故※A

註:上図における

 温○知新とは、実際は、《温○知新、且つ、知新温無》の状態
 温×知故とは、実際は、《温×知故、且つ、知故温無》の状態

 知△温新とは、実際は、《知△温新、且つ、知新温無》の状態
 知□温故とは、実際は、《知□温故、且つ、知故温無》の状態

である。