道路(土木・国土開発)、自動車、石油は、3点セット。
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地球連邦の効用
人類が有史以来初めて宇宙に進出したのも、地球連邦という人類の英知の結晶たる政府があったればこそであろう。
地球連邦の効用は、
・勢力が拮抗している状態では不可な、圧倒的な利益をもたらすが防御に不利な活動が可能になる。
・資本の大集中が必要な大事業が可能になる。
把握は手段である
把握は手段である。手段でしかないが、あなたが手にする新たな手段であるのだ。
江畑 謙介 : 軍事とロジスティクス (日経BP社, 2008) p.24.
RFID タグは、それを付けた物資が今どこにあるかというリアルタイムでの把握を実現させる。すべての物資に RFID タグを付けるなら、どこにどれだけの量があるか、どこにいつ到着するかが常に分かるようになるだろう。これを「トータル・アセッツ・ヴィジビリティ (Total Assets Visibility: 全資産の可視化)」と呼ぶ (ニ〇〇六年から米軍では簡単にアセッツ・ヴィジビリティ : AV と呼称されるようになった。TAV が普及し、一般的になってきたためである)。既に民間では急速に普及しつつある技術だが、軍隊でもその効果が認識され、実用化されつつある。
金谷治 訳注 : 孫子 (岩波文庫, 1963) p.41,42.
知彼知己者、百戦不殆、不知彼而知己、一勝一敗、
彼れを知りて己れを知れば、百戦して殆うからず。彼れを知らずして己れを知れば、一勝一敗す。
敵情を知って身方の事情も知っておれば、百たび戦っても危険がなく、敵情を知らないで身方の事情を知っていれば、勝ったり負けたりし、
ふすま絵は空間を演出する三次元の力業
安部 龍太郎 : 等伯 (156). 日本経済新聞, 2011/ 6/29, 朝刊, 40面.
絵は平面の仕事だが、ふすま絵は空間を演出する三次元の力業だった。
継続的に物資を使うために
継続的にある物資を使うためには、物資の獲得から消費までの流れのすべての工程が、略統一した流量能力をもつようにしなければならない。
重要なことは、工程を駆動させる逆方向の流れを意識することである。
もっとも重要な工程は、最も後ろの工程である。物資を使い切った後工程が前工程に追加分の物資を要求することによって、前工程が駆動される *。
略統一した流量能力でなければ、後工程からの要求は、流量能力の大きな前工程によって薄められ、その更に前の工程を駆動しない。
同じ物資を扱う工程群を構築する行動群であるにもかかわらず、行動は一連にならず、非効率が生じる。
* 関連:
大野 耐一 : トヨタ生産方式―脱規模の経営をめざして (ダイヤモンド社, 1978) p.87.
日程計画をさらに平準化して並べた「順序計画」を、最終組立ラインのあたまに、一か所だけ送ってやればよい。
部分初出:
Twitter / @takagi1: 継続的にある物資を使うためには、物資の獲得から消費までの流れのすべての過程を、略統一した流量能力にしなければならない。重要なのは、流れである。 2011/7/2 3:14pm
安全神話と日本ブランド
阪神・淡路大震災の年(1995年)、安全神話が崩壊した。
東日本大震災(2011年)によって、日本ブランドが損害を被った。
安全神話における「神話」と「ブランド」は両方とも、人々に想起される(良い)イメージの集合体であり、そのイメージが実現されることを期待させる力である。*
内向きの「安全神話」ではなく、外向きの「日本ブランド」という言葉が使われることが、両大震災間 16年間のグローバリゼーションの成果である。
* 妹尾 堅一郎 : 技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか―画期的な新製品が惨敗する理由 (ダイヤモンド社, 2009) p.297.
ブランドとは何か? 端的に言えば、商号・商標や意匠によって想起される品質・価値・信頼といったイメージの集合体を定義することができるでしょう。
いかなる現実的な知覚よりも前に、心のうちにアプリオリなものとして存在していなければならない
イマヌエル カント=著, 中山 元=訳 : 純粋理性批判〈1〉 (講談社古典新訳文庫, 2010) p.87.
空間は、人間の感性の主観的な条件であり、わたしたちはこの条件のもとでのみ、外的なものを直観できるのである。… すべての現象の形式[である空間]は、いかなる現実的な知覚よりも前に、心のうちにアプリオリなものとして存在していなければならないのである。
人は「考え方」を手に入れたとたん頭がよくなる生き物である。
NHK テストの花道
「KY」(危険予知)
「純粋理性批判」で考える教育の価値
イマヌエル カント=著, 中山 元=訳 : 純粋理性批判〈1〉 (講談社古典新訳文庫, 2010) p.15.
わたしたちのすべての認識は経験とともに始まる。これは疑問の余地のないところだ。
同書 p.87.
空間は、人間の感性の主観的な条件であり、わたしたちはこの条件のもとでのみ、外的なものを直観できるのである。… すべての現象の形式[である空間]は、いかなる現実的な知覚よりも前に、心のうちにアプリオリなものとして存在していなければならないのである。
アプリオリなもの 且つ 体験行為
↓
経験
↓
認識
ここから得られることは、
(1) 体験行為なしのアプリオリなものは、経験を生まず、認識を得ることができないため、アプリオリなものの価値を実感できない。
(2) アプリオリなものなしの体験行為は、経験を生まず、認識を得ることができないため、アプリオリなものを習得する動機にならない。
(3) アプリオリなものが認識に強い影響を与えるため、アプリオリなものの質は高くあるべきである。
ここで、教育を、アプリオリなものを習得させる行為だと考える。
すると、
(1) は、「こんなこと勉強したって、実際には何の役にも立たない」という思考が生まれる原因である。
(2) は、「百姓には学問はいらない」という思考が生まれる原因である。
(3) のため、個人が生み出したアプリオリよりも、多くの人によって吟味された教わる内容のほうが、一般的には良い。
認識を持ち寄ればよい
経験豊かな人間や集団が認識を生み出し、時にそれを外部に向けて表わすのだ。
鉄道会社(ニーズや運用の経験が豊富)と車両メーカー(技術に関する経験が豊富)との関係はそういうことだろう。
一極がすべての認識を生み出して表わさなくても、世界は成立する。認識を持ち寄ればよい。
イマヌエル カント=著, 中山 元=訳 : 純粋理性批判〈1〉 (講談社古典新訳文庫, 2010) p.15.
わたしたちのすべての認識は経験とともに始まる。これは疑問の余地のないところだ。
競争原理がはたらくようにする
競争原理がはたらくようにするには、2社以上の引き合いを取れるようにすること。
そのためには、
・引き合い先が仕事をできる環境にすること。(治安・商習慣・法規など)
・引き合い先に仕事をできる能力をもたせること。(育成など)