「純粋理性批判」で考える教育の価値

イマヌエル カント=著, 中山 元=訳 : 純粋理性批判〈1〉 (講談社古典新訳文庫, 2010) p.15.

 わたしたちのすべての認識は経験とともに始まる。これは疑問の余地のないところだ。

同書 p.87.

空間は、人間の感性の主観的な条件であり、わたしたちはこの条件のもとでのみ、外的なものを直観できるのである。… すべての現象の形式[である空間]は、いかなる現実的な知覚よりも前に、心のうちにアプリオリなものとして存在していなければならないのである。

アプリオリなもの 且つ 体験行為
           ↓
           経験
           ↓
           認識

ここから得られることは、

(1) 体験行為なしのアプリオリなものは、経験を生まず、認識を得ることができないため、アプリオリなものの価値を実感できない。

(2) アプリオリなものなしの体験行為は、経験を生まず、認識を得ることができないため、アプリオリなものを習得する動機にならない。

(3) アプリオリなものが認識に強い影響を与えるため、アプリオリなものの質は高くあるべきである。

ここで、教育を、アプリオリなものを習得させる行為だと考える。

すると、

(1) は、「こんなこと勉強したって、実際には何の役にも立たない」という思考が生まれる原因である。

(2) は、「百姓には学問はいらない」という思考が生まれる原因である。

(3) のため、個人が生み出したアプリオリよりも、多くの人によって吟味された教わる内容のほうが、一般的には良い。

認識を持ち寄ればよい

経験豊かな人間や集団が認識を生み出し、時にそれを外部に向けて表わすのだ。

鉄道会社(ニーズや運用の経験が豊富)と車両メーカー(技術に関する経験が豊富)との関係はそういうことだろう。

一極がすべての認識を生み出して表わさなくても、世界は成立する。認識を持ち寄ればよい。

イマヌエル カント=著, 中山 元=訳 : 純粋理性批判〈1〉 (講談社古典新訳文庫, 2010) p.15.

 わたしたちのすべての認識は経験とともに始まる。これは疑問の余地のないところだ。

過疎地の着任者

過疎地の着任者は、

(1) 事が起こった時にのみ派遣される人と現地定住者との橋渡しを果たすべく、中央語と現地語の双方に精通し、高い言語能力を持っていなければならない

(2) 事が起こった時にのみ派遣される人の案内をするために、現地地理(たいてい広域である)に通じなければならない。

同時行動可能性

同時に行動できるという性質が、社会を有機的なものとして根本的に成り立たせている。

同時に行動できなければ、その非効率さが生む嫌気に支配されてしまうだろう。

同時に行動できることによって、どんな人にも1日は24時間しかないという絶対的な制限はいくぶん解消される。

発想の元:
井上 孝司 : 配線略図で広がる鉄の世界―路線を読み解く&作る本 (秀和システム, 2009) p.76.

同時進入を可能にすることでダイヤに柔軟性を持たせる配線は、この後にもいくつか出てくる

同書 p.98.

単線区間の交換可能駅で双方からの同時進入を可能にするために、安全対策として安全側線を設けるというのが正しい。

自国語と外国語

言語能力の不足は、外交の敗北に繋がる。

言語能力は、主に自国語によって訓練される。しかし、自国語はその「国語」としての歴史のなかで簡易化されているので、自国語に秀でることが、言語能力のある部分において弱点をもつことに繋がりかねない。

外国語の知識は、自国語が原因である弱点を気づかせ、言語能力の隙を減じさせる。

「システム」の制圧のために

「システム」の制圧を政治的な勝利をもって達成するためには、

● 対象「システム」における生活機能(非脅威)と安全保障機能(脅威)を区分け、あるいは、事前情報がないならば即座の脅威判定を行い、
● そして、脅威に致命的な影響を与えなければならない。

即ち、諜報力とアクセス力が必要である。

確率的勝利

森 博嗣 : 笑わない数学者 (講談社文庫, 1999) p.384.

「負け方が分からなかったんだよ、君は」犀川が言う。「勝つことばかり考えていた。どうやって負けたら良いのかも、考えなくちゃ。それが名人というものさ。…」

「勝つか負けるかなんて、ちょっとした運なんだ。どっちだって良い。

勝敗は六分か七分勝てばよい――岡崎 久彦「戦略的思考とは何か」

大連

竹内 正浩 : 鉄道と日本軍 (ちくま新書, 2010) p.197.

 青泥窪は、ニコライ二世によってロシア語で「遠い」という意味のダーリニー(達爾尼[:ダルニ])と改称された。

竹内 正浩 : 鉄道と日本軍 (ちくま新書, 2010) p.198.

 陥落七か月後の明治三八年一月二七日、占領行政を担当する日本の遼東守備軍は、紀元節の二月一一日をもって青泥窪を大連と改称する旨、布告している。

「善」とは、モンスターの影響を減らす仕組みがもつ性質

「善」とは、モンスターの影響を減らす仕組みがもつ性質である。即ち、モンスターの数を減らす仕組み、また、モンスター個体の影響力を減らす仕組みがもつ性質である。

初出: Twitter / @TAKAGI-1 高木 一: 2011/4/16