「山崎の戦い」を勉強する

「山崎の戦い」を勉強する羽柴秀吉が明智光秀を討った「山崎の戦い」(1582)は、秀吉が圧勝したイメージがある。

しかし、兵の数は、秀吉方は2万6千、明智方は1万6千で、秀吉方は明智方の1.6倍なのに、損害は秀吉方 3300人に対し明智方 3000人で秀吉方の方が大きい。

ただし、何よりも大事なことだが、戦いに勝ったのは、秀吉である。

参考文献:
家村 和幸 : 図解雑学 名将に学ぶ 世界の戦術 (ナツメ社, 2009)

* * * *

山崎は、淀川と天王山に両側を抑えられた隘路である。天王山には最初、光秀が物見を置いていたが、秀吉の先遣隊により駆逐され、天王山は秀吉が抑えることになる。

山崎の隘路には西国街道が通っているが、山崎を京都方向に抜けた先で分岐し、西国街道と久我畷の二本の街道になる。そして、街道と直角に、円明寺川が流れていて、両街道には橋が架かっている。

光秀の戦術構想は、別働隊に、天王山の山腹を迂回させ山崎の大阪側に出させることで、秀吉を、山崎の地で、京都側と大阪側から包囲殲滅するものであった。しかし、天王山に秀吉が有力な兵を配置したことで、別働隊の動きは察知され、別働隊は足止めされることになる。

そのような中、秀吉方は、山崎の隘路を抜けていくが、第一隊は、そのまま久我畷に入り、円明寺川を挟んで、光秀方と戦闘になる。

このとき、光秀方は、京都方から、西国街道(京都方)と久我畷という二本の街道をつかって、兵を押し出し、西国街道(大阪方)という一本の街道しか使えない秀吉方に対し、優位な戦闘を仕掛けることができたと思うが、光秀方はこれを実施しない。光秀方の動きが遅いのだが、秀吉方は、天王山から光秀方の動きが見えるので、安心して、山崎の隘路を抜けることができる。

第一隊が、隘路を抜けた直後で、西国街道(京都方)と久我畷に分かれなかったのは、兵力分散をさせないことが第一義であろうが、隘路で兵を停滞させないこと、隘路に近い街道分岐点で戦闘をして数の優位を使えなくなることを防いだのだろう。

対して、光秀方は、久我畷が戦場になったため、西国街道を守っていた部隊が、久我畷へ転進する。光秀方部隊が久我畷へ転進したくなるように、秀吉方は、第一隊の兵力を調整したかもしれない。

そのうちに、山崎の隘路を抜けた秀吉方の第二隊が、西国街道を進み、円明寺川の橋を渡ったところで、久我畷方向へ転進し、久我畷で秀吉方第一隊と戦っている光秀方の側面を突く。

ただ、大きく迂回した第二隊の到着には、1時間半ほどがかかり、それまでは秀吉方は数の優位を持てず、損害がかさんだ。

(姫路城の金銀の兵への放出は、士気を高め、離反を防いだが、中国大返しで消耗していた兵個人のパフォーマンスを向上させる効果は限定的だったのだろう。しかし、戦いに勝ったのは、秀吉である。(離反しない)数の優位は、極めて重要である。)

なお、西国街道に位置する光秀の本隊は、この時点において、久我畷になだれ込み、秀吉の第二隊の後方を突くこともできただろうが、光秀の本隊は動かなかった。

光秀の本隊は、遊軍になっていたのである(*)。

光秀の判断が遅れたこともあるが、すでに秀吉方の兵力が、山崎の隘路を通過している状態で、久我畷になだれ込んでも、秀吉方に包囲されるし、西国街道を進んでも、久我畷と二正面作戦になり、兵数で劣る光秀方には不利であった。

 * 秀吉の本隊もあまり戦闘には参加していないが、秀吉の本隊は、街道分岐点に陣取り、天王山から入ってくる情報を分析し、前線に指示しやすい位置にいたし、もはや心配ないが、もし前線を圧迫された際も、それを支える位置 [表現を替えれば、逃亡兵を生じさせない(ような雰囲気をつくる)位置] にいた。

* * * *

結論

(離反しない)数の優位は、極めて重要である。

その上で、兵力で勝っていた秀吉は、

 ・山崎の隘路の京都側に、大兵力を展開できるか、
 ・光秀方にいかに奇襲をさせないか

が、重要であった。

そのために、制高点であり、側面・背面である天王山を抑えることは、極めて重要であった。

光秀方としては、兵力不利な中、山崎でなら秀吉に勝てる可能性が高く、そこまで兵を進めたのだが、もう一歩、すなわち天王山を重視すべきだった。

ここで思い出したのが、この言葉:

野村 進 : 調べる技術・書く技術 (講談社現代新書, 2008) p.113.

[ボクシングの輪島氏の言葉:]
「あいつら、九〇メートルまではダッシュするけど、あとの一〇メートルは(力を抜いて)流すんだよな。おれは違うもん。一〇〇メートル全力でダッシュして、それから流す。たった一〇メートルの差だと思うだろ? ところが、これが積もり積もって、あとで効いてくるんだよ」
 この「一〇メートルの差」こそが、世界チャンピオンになれる者となれない者との分かれ目なのだと、彼は言いたかったにちがいない。

初出:
Facebook 2016/ 6/ 5
Facebook 2016/ 6/12

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