去る2015年 9月27日は中秋の名月でした。そして、次の日の28日は、満月でした。
しかも、2015年の月の地球最接近であり、最大の満月でした。
この月をまだ低いうちに見ましたが、大きく、黄金色の月で、見た価値がある、と感じました。
次の日、29日は、十六夜。月が南中する月天心に、空を見ました。ただ、月が明るすぎて、風情は少し足らなかったです。
清夜吟 邵康節
月到天心処。 月天心に到る処
風来水面時。 風水面に来る時
一般清意味。 一般の清意の味
料得少人知。 料り得たり人の知ること少なるを月が天の正中に到る処
風が水面に吹き来る時の
このさわやかな感覚は
人の知ることまれであろうと推し量りえた
(1)
さて、月といえば、この歌です:
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも ―― 阿倍仲麻呂
この歌で仲麻呂が思っているのは、昔、奈良で自分が見た月です (「三笠の山に いでし月」)。
つまり、
人 :同じ
場所:異なる
時間:異なる
です。
この考え方で、月の歌を探しましょう。
(2)
人 :異なる
場所:同じ
時間:異なる
西行「山家集」より
みちのくにへ修行してまかりけるに、白川の関にとまりて、所がらにや常よりも月おもしろくあはれにて、能因が、秋風ぞ吹くと申しけむ折、いつなりけむと思ひ出でられて、名残おほくおぼえければ、関屋の柱に書き付けける
09 白川の関屋を月のもる影は人のこころをとむるなりけり
(岩波文庫山家集129P羈旅歌・新潮1126番・西行上人集・山家心中集・新拾遺集・後葉集・西行物語)
西行は、「白川の」の歌を詠むにあたり、能因の「都をば霞とともにたちしかど秋風ぞふく白河の関」を思い出しています。
(3)
人 :異なる
場所:異なる
時間:同じ
白氏文集卷十四 八月十五日夜、禁中獨直、對月憶元九: 雁の玉梓 ―やまとうたblog―
八月十五日の夜、禁中に独り直(とのゐ)し、月に対して元九を憶(おも)ふ 白居易
銀臺金闕夕沈沈 銀台 金闕 夕べに沈沈
獨宿相思在翰林 独り宿り 相思ひて翰林(かんりん)に在り
三五夜中新月色 三五夜中 新月の色
二千里外故人心 二千里の外 故人の心
渚宮東面煙波冷 渚宮の東面に煙波(えんぱ)は冷かに
浴殿西頭鍾漏深 浴殿の西頭に鐘漏は深し
猶恐淸光不同見 猶ほ恐る 清光は同じく見ざるを
江陵卑湿足秋陰 江陵は卑湿にして 秋陰足(おほ)し【通釈】銀の楼台、金の楼門が、夜に静まり返っている。
私は独り翰林院に宿直し、君を思う。
十五夜に輝く、新鮮な月の光よ、
二千里のかなたにある、旧友の心よ。
君のいる渚の宮の東では、煙るような波が冷え冷えと光り、
私のいる浴殿の西では、鐘と水時計の音が深々と響く。
それでもなお、私は恐れる。この清らかな月光を、君が私と同じに見られないことを――。
君のいる江陵は土地低く湿っぽく、秋の曇り空が多いのだ。
和泉式部日記 「式部」による
BROKEN MOON -和泉式部と王朝恋歌- > 和泉式部日記 夢よりも儚き > 9月
我ならぬ人もさぞ見ん長月の有明の月にしかじあはれは
よそにても同じ心に有明の月を見るやと誰に問はまし
(4)
人 :異なる
場所:同じ
時間:同じ
和泉式部日記 「宮」による
BROKEN MOON -和泉式部と王朝恋歌- > 和泉式部日記 夢よりも儚き > 9月
我ならぬ人も有明の空をのみ同じ心にながめけるかな
…
よそにても君ばかりこそ月見めと思ひてゆきし今朝ぞ悔しき
(3)で紹介した「式部」の歌に対し、「宮」が返した歌です。実は、「宮」は「式部」の家まで来ていたのですが、門が開かず会えなかったのです。
(5)
人 :同じ
場所:異なる
時間:同じ
これは、物理的にあり得ませんね。
(6)
人 :同じ
場所:同じ
時間:異なる
例えば月の名所を再び訪れて詠んだ歌があると思ったのですが、このような歌は、見つけられませんでした。
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ネットが及ぼす和歌の発展
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