情報とエネルギー

マクスウェルの悪魔 – Wikipedia [2014年10月29日 (水) 04:49 の版]

物理学者レオ・シラードは、1929年にマクスウェルのモデルを単純化して 1 分子のみを閉じ込めたシラードのエンジン(後述)と呼ばれるモデルを用い、 悪魔が同じ大きさの 2 つの部屋のどちらに分子があるかを観測するということにより、熱力学の単位で ΔS = k ln 2 だけのエントロピーが減少することを示した[1]。 ただし、k はボルツマン定数である。 この ΔS は現在 1 ビットと呼ばれている情報量に他ならない。 シラードの洞察は、元々気体運動に対して構築された概念であるエントロピーと、情報を得るということ、もしくは知識をもつということの間に深いつながりがあることを示し、また、ボルツマン定数とは実は情報量の単位と物理学の単位を変換する比例定数であることを明らかにした。 シラードは、全体の系のエントロピーは減少しないはずなので、悪魔が観測によって情報を得ることによってそれ以上のエントロピーの上昇を伴うだろうと結論した。

1961年、同じく IBM の研究者であったロルフ・ランダウアー(英語版)によって、コンピュータにおける記憶の消去が、ブリユアンの主張した観測によるエントロピーの増大と同程度のエントロピー増大を必要とすることが示されていた (ランダウアーの原理)[5]。 ベネットが甦らせた問題は、このランダウアーの原理と組み合わせることによってベネット自身により解決された(1982年)[6]。 エントロピーの増大は、観測を行なったときではなく、むしろ行なった観測結果を「忘れる」ときに起こるのである。 すなわち、悪魔が分子の速度を観測できても観測した速度の情報を記憶する必要があるが、悪魔が繰り返し働くためには窓の開閉が終了した時点で次の分子のためにその情報の記憶は消去しなければならない。情報の消去は前の分子の速度が速い場合も遅い場合も同じ状態へ遷移させる必要があり、熱力学的に非可逆な過程である。

お金を気持ちよく負担してもらうには

自動車に関するコストは、自動車の購入費と燃料費、有料道路通行費だけではない。(一般)道路の維持、公害対策、事故対策にもお金がかかる(:道路交通システムの負担)。

そのお金をいかに調達するか。

3つの原則が考えられる:

(1) 多く利用する者が多くを負担すべきである。

(2) 負担のために新たに生じる負担は、少ない方がよい。

(3) 初期費用に負担を求めないほうが良い。

負担を初期費用=自動車購入費 にかけると、自動車を新たに使用する者にとって障壁を高くすることになり、自動車交通の大きな系が停滞・萎縮する。

(2)は、つまり、費用の支払い回数は少ない方が良い、ということである。

〈自動車利用者の行動から自動的に負担額を計算し、一括で請求する仕組み〉も考えられるが、燃料購入時に負担を求める方法が簡潔であろう。よって、自動車燃料スタンドには、道路交通システムの負担を正しく、漏れなく集める能力がないといけない。

やったり、やらなかったり を、しない

松陰神社|松陰神社ブログ ≫ 吉田松陰先生語録22

学問の大禁忌(だいきんき)は作輟(さくてつ)なり。

学ぶために決してしてはならないことは、やったりやらなかったりすることである。

松陰神社|松陰神社ブログ ≫ 吉田松陰先生語録8

誠(まこと)の一字、中庸(ちゅうよう)尤(もっと)も明らかに之れを洗発す。謹んで其(そ)の説を考ふるに、三大義あり。一に曰(いわ)く実(じつ)なり。二に曰く一(いつ)なり。三に曰く久(きゅう)なり。

「誠」は『中庸』の中ではっきりと言い尽くされている。「誠」を実現するためには、実(実行)、一(専一)、久(継続)の三つが大切である。

関連:
反原則設計は充分意見を聞け ―― 株式会社タマディック 設計十訓

工学に貢献した4人の大科学者

森 博嗣 : 数奇にして模型 NUMERICAL MODELS (講談社, 2009 〈Kindle 版。底本は、講談社文庫(2001)〉) No. 1948/7436.

 なるほど、工科大学ならではの人選だ。八桁の数字ではなくて、四桁の数字が二つ繋がっていたのだ。それに気づけば簡単である。西暦、つまり、生誕と死去の年だ。 それは、工学に貢献した三人の大科学者を示している。 工学部には、電気、機械、化学、建築、土木、金属など、様々な学科がある。 各分野に共通する先駆者を、科学の発展史の中から選び出すとすれば、 この三人が順当なところだったのだろう。 たとえば他に、誰が挙げられるだろうか? ナビエ、クーロン、ラグランジュ、ベルヌイ、パスカル、 ストークス、それとも、アインシュタインか……。後年の人物になるほど、分野が専門化するため偏ってしまう。

小説の架空の大学「M工業大学」の正門やモニュメントには、8桁の数字が合わせて3つ刻まれている。

モデルになった名古屋工業大学には、8桁の数字が合わせて4つ刻まれている。

雑記: 2004年2月19日 ~ 2004年4月26日 #2004-02-20-Fri 森博嗣「数奇にして模型」 (抜粋引用: TAKAGI-1 たんぶら 2014/10/20)

センター試験の願書を入手しに名工大に行った時(調べると1999年10月19日)、 8桁の数字は見つかったけど、3つではなく4つあった。 4つ見つけるまで、モデルになった場所に行けば答えはわかるのだと思っていた。 名工大の方に刻まれていたのは、 レオナルド・ダ・ヴィンチ、 ガリレオ・ガリレイ、 デカルト、 ニュートン の生没年だった。

即ち、

14521519 レオナルド・ダ・ヴィンチ – Wikipedia

15641642 ガリレオ・ガリレイ – Wikipedia

15961650 ルネ・デカルト – Wikipedia

16421727 アイザック・ニュートン – Wikipedia

人間は、自身を拡張したものに強く影響を受ける

マーシャル・マクルーハン: Understanding Media: the Extensions of Man (1964):

 われわれの文化は統制の手段としてあらゆるものを分割し区分することに長らく慣らされている。だから操作上および実用上の事実として『メディアはメッセージである』などと言われるのは、ときにショックとなる。このことは、ただ、こう言っているにすぎない。いかなるメディア(すなわち、われわれ自身の拡張したもののこと)の場合でも、それが個人および社会に及ぼす結果というものは、われわれ自身の個々の拡張(つまり新しい技術のこと)によってわれわれの世界に導入される新しい尺度に起因する、ということだ。

小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.773/2576.

さて、「メディア(テクノロジー)は人間の身体を拡張し、感覚も拡張する」というのがマクルーハンの基本的なメディア観でした。

小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.752/2576.

マクルーハンの頭の中では、「メディア=テクノロジー=身体の拡張=感覚の拡張」という等式が成り立っているわけですね。

小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.364/2576.

マクルーハンの言葉の真意がどこにあるにせよ、彼がメディアについて、「社会環境を変化させてしまうほどの存在」と捉えていたことは明らかです。

即ち、以下の関係が導かれる:

 メディア=われわれ自身の拡張したもの=技術

これらが、社会環境を変化させてしまうほどの存在なのである。

これは、人間の本能の所業であると考えることができる。

すなわち、人類はその誕生の瞬間からして、その存在を外部エネルギー源に依存している。人間は、その体内で生産される熱だけでは生きていけない。外部からの熱供給(食糧の加熱調理、暖房 など)が必要である。人間は、ヒトという生物個体では生存できず、われわれ自身の拡張したものがなければ、生きていけない。

故に、人間が、われわれ自身の拡張したものに強く影響を受けることは、生存の希求の故であり、即ち、本能の問題である。

さて、メディア、われわれ自身の拡張したもの、技術という 3つに共通な概念は、再現性と、入出力関係に関する知識である。

メディア(=われわれ自身の拡張したもの=技術)として、以下の 4種類が挙げられる:

(1) 情報媒体、記憶・記録手段
(2) 周囲環境、身の回りの家具・建具・調度品、建築、都市
(3) 社会、制度
(4) 技術

これらは、以下に留意することにより、さらに拡張が可能である。

・共通な特徴である: 再現性と、入出力関係に関する知識
・例としての:    メディアと、技術

携帯機器への充電という日々の課題――変化する、人間とエネルギーの関係・個人と社会インフラの関係

出張で同じだった T氏は、宿がカプセルホテルでもいいが、カプセル内に電源コンセントがないのは論外なのだそうだ。人は、寝床に携帯機器の充電機能を強く求めるようになった。

人は(人が人であるためには)、外部エネルギー源を必要とする生物である

人が松明(たいまつ)・ランプ・カンテラを持たなくなってから、携帯電話が普及するまで、外部エネルギーの使用機器は、定置式であった。

現在は、高度な機能を携帯できるまでの小型化、省エネルギー化とバッテリーの性能向上により、スマートフォンをはじめとした携帯機器が実現・普及した。携帯機器においても外部エネルギーは使用される。携帯機器への充電は、一定の地位を占める日々の課題である。

私たちは、自分の腹の空き具合と同様に、携帯機器のバッテリー残量を気にしなくてはいけない。

 ・携帯機器そして、そのバッテリーが、個人の所有物であり、

 ・携帯機器の稼働状態が、個人の能力(:携帯機器の能力も含めた総合的能力)を増減させる

のであるから、そうなるのは当然である。

電源の確保問題(:電力会社にとっては、配電の問題)は、これまで電力会社や建設業者が解決してきた課題、新しい電気機器を導入する際の一過性の課題であった。これが、個人にとっての永続的な課題になることは、個人と社会インフラの関係を変化させるだろう。

電力会社による大送配電網という社会インフラへの依存を意識した人々は、その依存を深める個人と、依存を弱めようとする個人の2種類に分かれるだろう。つまり、社会インフラの、いままで機械的だった部分に、人間集団による思想が組み込まれることになる。

人類は、どの用途で外部エネルギー源に依存しているか

外部エネルギーの用途は、

第一には、食品調理である。

第二には、暖房である。

第三には、武器である。

第四には、明かりである。

第五には、移動である。

第六には、生産である。

第七には、情報である。

第八には、食品保管 (冷蔵・冷凍)である。

第九には、冷房である。

(人類が実現した順番を意識して配列した)

見事

清水建設の CM の「きっと、見事にできるよね」から、以下を想起した:

見事=良い は、哲学である。

真と美の融合

今井 彰 : プロジェクトX リーダーたちの言葉 (文藝春秋, 2001) p.144.

「図面を描いて美しいと感じる飛行機、それが最も性能の良い飛行機である」土井 [:土井武夫、3式戦「飛燕」を設計] が生涯大切にした航空機設計士としての不変の哲学だった。

人類はその誕生の瞬間からして、その存在を外部エネルギー源に依存している

石井 彰 : エネルギー論争の盲点―天然ガスと分散化が日本を救う (NHK出版, 2011) pp.38-40, 54.

「人類はその誕生の瞬間からして、その存在を外部エネルギー源に依存している」と述べたが、この点については、ハーヴァード大学の自然人類学者リチャード・ランガムの次のような仮説による *1。

 動物学的に見て、人類、すなわちホモ・エレクタス以降ホモ・サピエンス(現生人類)までのホモ属をほかの動物全体と比べた場合、その身体的特徴は、消化のための口腔、顎、小腸・大腸、肝臓等の消化器官が相対的に小さく、逆に体の中で、重量当たりで最もエネルギーを必要とする脳が相対的に非常に大きいことである。

 つまり、加熱調理を始めたホモ・エレクタスは、火という外部エネルギー源を道具として利用することによって、消化器官の負担軽減、縮小が可能となり、その余裕で脳の大型化が初めて可能となった。ランガムは、この加熱調理による消化の大きな効率化と、その果実としての脳の大型化が相互作用して、加速度的に人類の身体的な進化が促進されたとしている。

注 1 リチャード・ランガム『火の賜物』NTT出版、二〇一〇年。

朝や昼間のミネルヴァの梟

ある事柄が、それが実現する寸前まで極めて低評価であったが、実現後に高評価になることがある。

開業前、新幹線は世界三大無用の長物だと言われた。

ライト兄弟以前に、ウィリアム・トムソン(ジュール=トムソン効果等の功績。初代ケルヴィン卿)は、「空気より重い機械が空を飛べるわけがない」と言った。

これは、ミネルヴァの梟は、朝や昼間には飛ばない、のだと比喩できる。

ミネルヴァの梟は、黄昏の到来とともにのみ、その翼を拡げる ――朝や昼間には飛ばない。