グリーン車とWebサービス――モノによって人を動かす

水戸岡 鋭治 : 水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン―私はなぜ九州新幹線に金箔を貼ったのか? (交通新聞社, 2009) p.86.

身の回りのスペースが広がること、サービスが違うこと、椅子の機能が少し違うこと、そのことによって人の身ぶりはかなり違ってきます。グリーン車にいると人は優雅な身ぶりになります。

関連: 人を動かす手段

グリーン車とWebサービスは、(a)モノの抜群の機能 と (b)アーキテクチャーによって、その現実・仮想空間における人の行動を変える。

グリーン車の (a)座席・車両の機能と、 (b)鉄道車両として閉鎖空間性、
Webサービスの (a)知識取得支援機能、知識共有機能、知識創造支援機能と、 (b)機能の制限(例: Twiterにおける140文字制限、など)
が、それぞれに当たる。

アーキテクチャ – Wikipedia [2014年7月8日 (火) 10:44 の版]

人間の行為を制約したりある方向へ誘導したりするようなウェブサイトやウェブコミュニティの構造、あるいは実際の社会の構造もアーキテクチャと呼ぶ。ローレンス・レッシグは、著書『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』において、人間の行動を制約するものとして、法律、規範、市場、アーキテクチャの4つを挙げた。

取締りと刑罰によって行動を制約する(法律)、道徳を社会の全員に教え込んで行動を制約する(規範)、課税や補助金などで価格を上下させて行動を誘導する(市場)といった手法のほかに人間の行動を制約する手法として、社会の設計を変えることで社会環境の物理的・生物的・社会的条件を操作し人間の行動を誘導するという、「アーキテクチャによる制約」が考えられる。社会の仕組みを変え、ある選択肢を選びやすくする・ある行動を採ることが不快になるようにするといった環境に変えることにより、社会の成員が自発的に一定の行動を選ぶように誘導し、取り締まりを行ったり子供たちに規範を教育するよりも安いコストで社会を管理することができる。

関連: 「アテネの学堂」のデザインの参考になるもの

モノの抜群の機能により、現実が影響を受けて変化する

モノのデザインは、アフォーダンス(モノに備わった、人が知覚できる「行為の可能性」――アフォーダンス – Wikipedia [2013年11月18日 (月) 12:54 の版])によって、人にそのモノの使用法を認識させる。

対して、モノの機能は、その発現によって現実が変化する可能性を人が知覚することによって、人に現実の操作法を認識させる。そして、モノがもつ機能が抜群であれば、現実がその影響を受けて変化する。

本記事では、後者について説明する:

モノの機能は、人に現実の操作法を認識させる

まずは、実例として私の体験を紹介する: 私が使用するある洗面所では、洗面台(洗面器でない平板)が水しぶきによって濡れるので、少し前に布巾が置かれた。濡れた洗面台を使用者が拭くためにである。私は、あまりその布巾を使わなかった。
その後、窓掃除に使われるスクイジーが置かれた。私は最初 好奇心でスクイジーを使った。見事に、洗面台の水が掻き取られた。今では毎回、スクイジーを使って、洗面台の水を除いている。

モノに機能があり、どのような機能があるのかを人が知っていることは、人にそのモノを使おうという意思を生じさせる。モノの機能が抜群であるほど、人に生じる、そのモノを使おうという意思は強くなる。

細かく言うと、現実を対象に、そのモノの機能の発現によって現実が変化する可能性を知覚することにより、人は現実の操作法を認識する。その「現実の操作法」=「モノの機能の発現」が、その人が現実において実現しようとする状態に向かわせる方法に当たり、費用対効果(リスク対プロフィット)が割に合えば、その人は、そのモノを使用する。

モノの抜群の機能により、現実が影響を受けて変化する

さて、人が現実において実現しようとする状態は、ひとつではない。

再び実例として 私の体験を紹介する: 私は、ある朝、交差点を渡る直前で、緑の明滅信号になったので、止まろうとした――この時、私には、交通規則の遵守が「快」であり、これを実現しようとした。
しかし、後ろからきた人が交差点を渡り始めたので、自分も渡った――この時、私には、「後ろからきた人」に遅れないことが「快」であり、これを実現しようとした。

人が現実において実現しようとする状態がひとつではないため、そのどの状態を選ぶかに、利用できるモノにどのような抜群の機能が備わっているかが影響する。従って、現実は、モノの抜群の機能の存在に影響を受けて、変化する。

なお、抜群の機能は、設計と管理された生産により作り込まれるので、設計と生産行為が、現実を左右することになる。設計と生産行為の知的基盤は技術である。「技術決定論」が現象として現実に表れる機序(メカニズム)は上記なのだ、と私は考える。

戦略とは、『部分的無知の状態』での意思決定のためのルールである

西村 行功 : 「10年後の自分」を考える技術 (星海社新書, 2012) p.265.

 経営学者のイゴール・アンゾフは、
「戦略とは、『部分的無知の状態』での意思決定のためのルールである」
と言った。

高校1年生女子による同級生殺害事件を品質管理的に考える

結論:
佐世保市の高校1年生女子による同級生殺害事件に関して、本事件は無視すべき事件ではない。日本社会の、そのような事件や兆しを起こさないようにする、16歳女子の生産に係る品質能力は十分にある。加えて、そのような16歳女子を発見し、その行動の進展を抑えられればよい。


佐世保市の高校1年生女子による同級生殺害事件に関して。

ハインリッヒの法則によれば、死亡・重傷災害 1件の裏には、29件の軽傷災害、300件の無傷害事故がある。

これを参考に、例の高校1年生女子の予備群を329人として、合わせて、危険集団を330人だと考える。

(1) 「6σ」で考える:

品質管理の世界には、「6σ(シックス・シグマ)」という考え方があり、「100万回の作業を実施しても不良品の発生率を3.4回に抑える」ことを指す(なお、統計学的には、この確率は正規分布での4.5σ以上に外れている確率に相当する)。

これを参考に、危険集団を330人を許容できるか否かを考える(危険集団を不良品にあたると見なすことの倫理的是非は、この際は問わない)。

3.4/100万の不良率は、上側に外れる場合と下側に外れる場合を合わせた確率であるので、ここでは外れ範囲の片側を考える。片側は全体の1.7/100万であるから、

330 人÷(1.7/100万)= 1.94億 人

「6σ」で考えると、危険集団は、母集団が 1.94億 人以上いないと、全くの特異事例(外れ値)として無視するわけにいかない。よって、本事件は無視すべき事件ではない。

(2) 3σで考える:

正規分布に従う分布ならば、±3σ内は、99.73%である。この範囲から上側に外れる場合と下側に外れる場合があるので、ここでは外れ範囲の片側を考える。片側は全体の0.135 %であるから、

330 人÷(0.135/100)= 24万 4444 人

母集団を、日本の16歳女子の総人口 およそ 60万人(2013年 統計局ホームページ/人口推計/人口推計(平成25年10月1日現在)‐全国:年齢(各歳),男女別人口 ・ 都道府県:年齢(5歳階級),男女別人口‐)だとみると、危険集団の発生率は、3σでの不良率よりも低い。

16歳女子を生産する日本社会の品質能力は、高校1年生女子による同級生殺害事件と同類あるいはその兆しとなる事件を引き起こす16歳女子の生産を十分に抑えられており、あとはそのような16歳女子(危険集団)を発見し、その行動の進展を抑えられればよい。

専門家は、開いた存在である

ロバート・アラン・フェルドマン : フェルドマン式知的生産術 ― 国境、業界を越えて働く人に (プレジデント社, 2013) 位置 No.177/1685.

欧米では「情報と情報をつないで、そこに新たな意味を見いだせる人」が専門家として認められます。

洞察力の定義(いつもふと思い出すこと) | IDEA*IDEA

洞察力ってのは「一見関係ないように見える二つの事柄の間に関係性を見つけること」だよ。