科学用語における言葉選び

人間・人類による宇宙の見方は、言語によって共有される。この共有によって累積性を発揮する仕組みが、「科学」という仕組みである。

言葉は、宇宙の〈姿〉即ち〈ある見方による写像〉に合わせ、定義され分割されるべきである。それが達せられるように言葉の定義は修正されるべきだが、それが成っている範囲において、累積性のために言葉の定義は同一であるべきである。

であれば言葉は定義だけで存在するのか。科学が単独に存在するのであれば、そうであろう。

しかし、科学は、知の全てではない。ミネルヴァの梟は、夕暮れに飛び立つ。宇宙の実際的課題に取り組む最前線は、厳密な科学の領域ではない。そこにおいて仮説を立てる過程は、従来知からの類推、あるいは従来知を足の一つにした帰納である(その際に、科学が要求する厳密さは省かれる)。それを可能にする手段のひとつが、科学用語における適切な言葉選びである。知全体における、メタ知識同士の整合性である。

初出:
Facebook 2014/11/ 2 22:21

ヒトの意識には、正のバルク・エントロピー指向性がある

先週、阪急電鉄神戸線で、同社の8000系車両 8000Fに乗りました。

加減速の際に、制御に用いられている GTO-VVVFインバータ 由来の磁励音(磁歪音)が響きわたります。

8000系の第1編成である8000Fの登場は、1989年。以降の新型車両にも、VVVFインバータは搭載されていますが、音はだんだんと小さくなっています。

そのことについて、1年前に
  技術が無臭になっていく
という記事を書きました。

今回、車内で、磁励音が、私がパワーエレクトロニクス(強電制御)に興味を持つきっかけであったことを、思い出しました。

インターネット上には、VVVF制御に関する膨大な知識があります。しかし、磁励音が聞こえなくなった時、それにアクセスしようとする人は、激減するでしょう。

磁励音は、全く無駄なものです。しかし、ヒトは、無駄なものを認識します。逆に、全く無駄がないものを、ヒトは認識しないのでは、ないでしょうか。

ヒトの意識には、不可能・不快・無駄に向かう指向性がある、と言えます。

不可能・不快・無駄は、見かけのエントロピー(バルク・エントロピー、と呼びましょう)が大きい状態です。

ヒトの意識には、正のバルク・エントロピー指向性があるのです。

この指向性が、ヒトが知能を持ち、人類が高度に知的である原因の一つでしょう。

「ミネルヴァの梟」との出会い

「ミネルヴァの梟は、黄昏の到来とともにのみ、その翼を拡げる」あるいは「ミネルヴァの梟は、夕暮れに飛び立つ」。(ゲオルク・ヘーゲル, Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770-1831)

私が、はじめてミネルヴァの梟のことを聞いたのは、2004年10月12日に、京都大学百周年時計台記念館(百周年記念ホール)にて行われた、京都大学 春秋講義「エーゲ海の流れ星――気象学の歴史を考える――」(講師: 京都大学理学研究科名誉教授 廣田 勇 氏)の場であった。当時のノートに「アテナ=ミネルバ」とメモしている。なお、同氏は、当時、日本気象学会の理事長であった。

私は、当時、大学4回生で、気象に関連する研究をはじめたばかりであった。

その後、同氏の著作「気象解析学―観測データの表現論」を読んで、「ミネルヴァの梟」について知った。

同書の8章(最終章)は、章題が「ミネルヴァの梟 あるいは現象論の復権について」である。章の冒頭に、「ミネルヴァの梟」が解説され、著者のご親族であろうか、廣田 和子 氏 作の「ふくろう」(1993)という木版画が挿れられている。

アプローチとしての汎用品の商品開発

汎用品の商品開発には2つの果実がある。

上記の文について私の思いを正確に伝えるために表現を改めると、以下の2つの果実を得る手段(アプローチ)として、汎用品の商品開発があるのである。

ひとつは、高度な者に(安価な)手段を与えることである。即ち、CAN。

そのためには、商品の原価低減は必須である。原価低減をさらに一段と実現する(不可能だと思えるような原価低減を実現する)ためには、商品が量産されなければならない。そのためにはそれが一般な者にも購入されなければならない。一般な者は、高度な機能を必要としないから、一般な者に対する宣伝は上手になされなければならない。

もうひとつは、一般な者を変化させることである。即ち、CHANGE。

一般な者は商品の高度な機能を使いこなせないが、商品から新たな環境を取得する(新たな環境に没入する)。それは、商品の新たな使用環境(小型軽量商品の屋外・移動中の使用など)、新たな使用感(複数機能の同時使用、新たなインターフェイス、新たなアーキテクチャ((使用制約)) )、新たに提供される体験(商品を通じて、商品の機能を活かして提供される、作られた体験)である。これらが、商品を使用する一般な者を変化させる。

ここで、振り返ると、重要なことは、商品の原価低減、一般な者に対する宣伝、一般な者への新たな環境の提供である。

メディア=技術=身体の拡張=感覚の拡張

メディア=技術=身体の拡張=感覚の拡張。この関係は、私に、横軸を与える。

マーシャル・マクルーハン: Understanding Media: the Extensions of Man (1964):

 われわれの文化は統制の手段としてあらゆるものを分割し区分することに長らく慣らされている。だから操作上および実用上の事実として『メディアはメッセージである』などと言われるのは、ときにショックとなる。このことは、ただ、こう言っているにすぎない。いかなるメディア(すなわち、われわれ自身の拡張したもののこと)の場合でも、それが個人および社会に及ぼす結果というものは、われわれ自身の個々の拡張(つまり新しい技術のこと)によってわれわれの世界に導入される新しい尺度に起因する、ということだ。

小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.773/2576.

さて、「メディア(テクノロジー)は人間の身体を拡張し、感覚も拡張する」というのがマクルーハンの基本的なメディア観でした。

小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.752/2576.

マクルーハンの頭の中では、「メディア=テクノロジー=身体の拡張=感覚の拡張」という等式が成り立っているわけですね。

私は、知識のコンテンツよりも、知識のコンテナ(:メディア)に興味がある人間だ。

 関連:
 自分が本当に好きなことが何かと考えたとき、それが情報保管のアレンジなのかも知れないと思う

 私が興味があるのは、知識のコンテンツではなくて、知識のコンテナであり、メタ知識であることを。 2013年6月1日

私にとって、比較的形而上的に捉えているメディアと、比較的形而下的に捉えている技術を同じものだとみる見方を得たことは、大きな前進である。

グリーン車とWebサービス――モノによって人を動かす

水戸岡 鋭治 : 水戸岡鋭治の「正しい」鉄道デザイン―私はなぜ九州新幹線に金箔を貼ったのか? (交通新聞社, 2009) p.86.

身の回りのスペースが広がること、サービスが違うこと、椅子の機能が少し違うこと、そのことによって人の身ぶりはかなり違ってきます。グリーン車にいると人は優雅な身ぶりになります。

関連: 人を動かす手段

グリーン車とWebサービスは、(a)モノの抜群の機能 と (b)アーキテクチャーによって、その現実・仮想空間における人の行動を変える。

グリーン車の (a)座席・車両の機能と、 (b)鉄道車両として閉鎖空間性、
Webサービスの (a)知識取得支援機能、知識共有機能、知識創造支援機能と、 (b)機能の制限(例: Twiterにおける140文字制限、など)
が、それぞれに当たる。

アーキテクチャ – Wikipedia [2014年7月8日 (火) 10:44 の版]

人間の行為を制約したりある方向へ誘導したりするようなウェブサイトやウェブコミュニティの構造、あるいは実際の社会の構造もアーキテクチャと呼ぶ。ローレンス・レッシグは、著書『CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー』において、人間の行動を制約するものとして、法律、規範、市場、アーキテクチャの4つを挙げた。

取締りと刑罰によって行動を制約する(法律)、道徳を社会の全員に教え込んで行動を制約する(規範)、課税や補助金などで価格を上下させて行動を誘導する(市場)といった手法のほかに人間の行動を制約する手法として、社会の設計を変えることで社会環境の物理的・生物的・社会的条件を操作し人間の行動を誘導するという、「アーキテクチャによる制約」が考えられる。社会の仕組みを変え、ある選択肢を選びやすくする・ある行動を採ることが不快になるようにするといった環境に変えることにより、社会の成員が自発的に一定の行動を選ぶように誘導し、取り締まりを行ったり子供たちに規範を教育するよりも安いコストで社会を管理することができる。

関連: 「アテネの学堂」のデザインの参考になるもの

モノの抜群の機能により、現実が影響を受けて変化する

モノのデザインは、アフォーダンス(モノに備わった、人が知覚できる「行為の可能性」――アフォーダンス – Wikipedia [2013年11月18日 (月) 12:54 の版])によって、人にそのモノの使用法を認識させる。

対して、モノの機能は、その発現によって現実が変化する可能性を人が知覚することによって、人に現実の操作法を認識させる。そして、モノがもつ機能が抜群であれば、現実がその影響を受けて変化する。

本記事では、後者について説明する:

モノの機能は、人に現実の操作法を認識させる

まずは、実例として私の体験を紹介する: 私が使用するある洗面所では、洗面台(洗面器でない平板)が水しぶきによって濡れるので、少し前に布巾が置かれた。濡れた洗面台を使用者が拭くためにである。私は、あまりその布巾を使わなかった。
その後、窓掃除に使われるスクイジーが置かれた。私は最初 好奇心でスクイジーを使った。見事に、洗面台の水が掻き取られた。今では毎回、スクイジーを使って、洗面台の水を除いている。

モノに機能があり、どのような機能があるのかを人が知っていることは、人にそのモノを使おうという意思を生じさせる。モノの機能が抜群であるほど、人に生じる、そのモノを使おうという意思は強くなる。

細かく言うと、現実を対象に、そのモノの機能の発現によって現実が変化する可能性を知覚することにより、人は現実の操作法を認識する。その「現実の操作法」=「モノの機能の発現」が、その人が現実において実現しようとする状態に向かわせる方法に当たり、費用対効果(リスク対プロフィット)が割に合えば、その人は、そのモノを使用する。

モノの抜群の機能により、現実が影響を受けて変化する

さて、人が現実において実現しようとする状態は、ひとつではない。

再び実例として 私の体験を紹介する: 私は、ある朝、交差点を渡る直前で、緑の明滅信号になったので、止まろうとした――この時、私には、交通規則の遵守が「快」であり、これを実現しようとした。
しかし、後ろからきた人が交差点を渡り始めたので、自分も渡った――この時、私には、「後ろからきた人」に遅れないことが「快」であり、これを実現しようとした。

人が現実において実現しようとする状態がひとつではないため、そのどの状態を選ぶかに、利用できるモノにどのような抜群の機能が備わっているかが影響する。従って、現実は、モノの抜群の機能の存在に影響を受けて、変化する。

なお、抜群の機能は、設計と管理された生産により作り込まれるので、設計と生産行為が、現実を左右することになる。設計と生産行為の知的基盤は技術である。「技術決定論」が現象として現実に表れる機序(メカニズム)は上記なのだ、と私は考える。

戦略とは、『部分的無知の状態』での意思決定のためのルールである

西村 行功 : 「10年後の自分」を考える技術 (星海社新書, 2012) p.265.

 経営学者のイゴール・アンゾフは、
「戦略とは、『部分的無知の状態』での意思決定のためのルールである」
と言った。

高校1年生女子による同級生殺害事件を品質管理的に考える

結論:
佐世保市の高校1年生女子による同級生殺害事件に関して、本事件は無視すべき事件ではない。日本社会の、そのような事件や兆しを起こさないようにする、16歳女子の生産に係る品質能力は十分にある。加えて、そのような16歳女子を発見し、その行動の進展を抑えられればよい。


佐世保市の高校1年生女子による同級生殺害事件に関して。

ハインリッヒの法則によれば、死亡・重傷災害 1件の裏には、29件の軽傷災害、300件の無傷害事故がある。

これを参考に、例の高校1年生女子の予備群を329人として、合わせて、危険集団を330人だと考える。

(1) 「6σ」で考える:

品質管理の世界には、「6σ(シックス・シグマ)」という考え方があり、「100万回の作業を実施しても不良品の発生率を3.4回に抑える」ことを指す(なお、統計学的には、この確率は正規分布での4.5σ以上に外れている確率に相当する)。

これを参考に、危険集団を330人を許容できるか否かを考える(危険集団を不良品にあたると見なすことの倫理的是非は、この際は問わない)。

3.4/100万の不良率は、上側に外れる場合と下側に外れる場合を合わせた確率であるので、ここでは外れ範囲の片側を考える。片側は全体の1.7/100万であるから、

330 人÷(1.7/100万)= 1.94億 人

「6σ」で考えると、危険集団は、母集団が 1.94億 人以上いないと、全くの特異事例(外れ値)として無視するわけにいかない。よって、本事件は無視すべき事件ではない。

(2) 3σで考える:

正規分布に従う分布ならば、±3σ内は、99.73%である。この範囲から上側に外れる場合と下側に外れる場合があるので、ここでは外れ範囲の片側を考える。片側は全体の0.135 %であるから、

330 人÷(0.135/100)= 24万 4444 人

母集団を、日本の16歳女子の総人口 およそ 60万人(2013年 統計局ホームページ/人口推計/人口推計(平成25年10月1日現在)‐全国:年齢(各歳),男女別人口 ・ 都道府県:年齢(5歳階級),男女別人口‐)だとみると、危険集団の発生率は、3σでの不良率よりも低い。

16歳女子を生産する日本社会の品質能力は、高校1年生女子による同級生殺害事件と同類あるいはその兆しとなる事件を引き起こす16歳女子の生産を十分に抑えられており、あとはそのような16歳女子(危険集団)を発見し、その行動の進展を抑えられればよい。