テクノロジーは われわれがそれをどう使うかだと思います


Sony Japan | Stories | サイバースペースを創造した作家とそれを現実にする男 ソニーコンピュータサイエンス研究所

SF小説『ニューロマンサー』の著者ウィリアム・ギブスン氏と、ソニーコンピュータサイエンス研究所の暦本純一氏の対談。

5:57~

[ギブスン氏:]
すべてのテクノロジーは 人間が関与して
それを使うまでは 道徳的に中立だと思うのです

テクノロジーは われわれがそれをどう使うかだと思います

設計と意匠

設計と意匠を、英語にすると、ともにデザイン(design)である。

この繋がりは、設計と意匠の意味をお互いに補完し、豊かに、実・身のあるものにする。

設計は、計を設けること。予測行為である。予測と計測・確認である。定量的である。

意匠は、匠の意。意思に合うように導くことである。意匠は、芸術ではない

対象は、機械であり、人であり、組織間の関係であり、社会である。

諸元とは

「諸元」という言葉がよく分かっていなかったのだが、

『初弾命中。同一諸元。効力射!』

という用法で理解した。

諸元とは、ある一定(以上)の結果(=パフォーマンス)をもたらす「諸」々の「元」なのだ。

『初弾命中。同一諸元。効力射!』でなら、結果とは、目標への射撃の命中(あるいは、目標の打撃)であり、これをもたらす諸々の元が、射撃諸元なのである。

重要な視点は、諸元は、結果でないことである。機械の製造者は、機械の諸元を結果だと捉えてしまいがちであるが、その機械を使って成し遂げられることが結果なのである。

初出:
Facebook 2017/ 7/ 9

物は、いかにして社会を変えるか

○ 物が、人に新たな視点・(物によって実現された)有利な行動様式をもたらす

新たな投資先、活動、所作ふるまい

モノの抜群の機能により、現実が影響を受けて変化する

世に出された技術は、人に新たな視点を、人を導く者にカードを与える

メディア=技術=身体の拡張=感覚の拡張

グリーン車とWebサービス――モノによって人を動かす

○ 物が、生産力に関する新たな状況(現状を満たした上で、さらに余地)をつくる

水素エネルギーとハーバー・ボッシュ法、技術決定論と唯物史観

生産力に関する新たな状況は、唯物史観によれば、経済のみならず、文化などを含む社会全体の改革を引き起こす。

・物的な生産力 (エネルギーに関する)

・知的な生産力 (情報に関する) 例えば、コンピュータ、インターネット、高速鉄道 (新幹線は情報産業である)

○ 物が、人に社会(不特定の他者)への関心を増させる

生産体験と作られた物が社会を変える

物の生産を体験した人は特に、あらゆる作られた物から、それの生産に携わった他者・事への関心(好奇心)が生起させられる。

これがその人の他者とのやりとりを変え、それが積み重なって、ボトムアップに社会全体が変わる。

技術とは、再現の方法である

技術とは、再現の方法である。

失敗の再現の方法も、技術である。

品質工学の考え方は、ばらつきを減らしてから平均を変化させる、すなわち

(1) 品質をまず管理して、= 再現できるようにして、
(2) それから向上させる = 成功を再現できるようにする

である。

アプローチとしての汎用品の商品開発

汎用品の商品開発には2つの果実がある。

上記の文について私の思いを正確に伝えるために表現を改めると、以下の2つの果実を得る手段(アプローチ)として、汎用品の商品開発があるのである。

ひとつは、高度な者に(安価な)手段を与えることである。即ち、CAN。

そのためには、商品の原価低減は必須である。原価低減をさらに一段と実現する(不可能だと思えるような原価低減を実現する)ためには、商品が量産されなければならない。そのためにはそれが一般な者にも購入されなければならない。一般な者は、高度な機能を必要としないから、一般な者に対する宣伝は上手になされなければならない。

もうひとつは、一般な者を変化させることである。即ち、CHANGE。

一般な者は商品の高度な機能を使いこなせないが、商品から新たな環境を取得する(新たな環境に没入する)。それは、商品の新たな使用環境(小型軽量商品の屋外・移動中の使用など)、新たな使用感(複数機能の同時使用、新たなインターフェイス、新たなアーキテクチャ((使用制約)) )、新たに提供される体験(商品を通じて、商品の機能を活かして提供される、作られた体験)である。これらが、商品を使用する一般な者を変化させる。

ここで、振り返ると、重要なことは、商品の原価低減、一般な者に対する宣伝、一般な者への新たな環境の提供である。

メディア=技術=身体の拡張=感覚の拡張

メディア=技術=身体の拡張=感覚の拡張。この関係は、私に、横軸を与える。

マーシャル・マクルーハン: Understanding Media: the Extensions of Man (1964):

 われわれの文化は統制の手段としてあらゆるものを分割し区分することに長らく慣らされている。だから操作上および実用上の事実として『メディアはメッセージである』などと言われるのは、ときにショックとなる。このことは、ただ、こう言っているにすぎない。いかなるメディア(すなわち、われわれ自身の拡張したもののこと)の場合でも、それが個人および社会に及ぼす結果というものは、われわれ自身の個々の拡張(つまり新しい技術のこと)によってわれわれの世界に導入される新しい尺度に起因する、ということだ。

小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.773/2576.

さて、「メディア(テクノロジー)は人間の身体を拡張し、感覚も拡張する」というのがマクルーハンの基本的なメディア観でした。

小林 啓倫 : 今こそ読みたいマクルーハン 電子書籍版 (株式会社マイナビ, 2013) 位置No.752/2576.

マクルーハンの頭の中では、「メディア=テクノロジー=身体の拡張=感覚の拡張」という等式が成り立っているわけですね。

私は、知識のコンテンツよりも、知識のコンテナ(:メディア)に興味がある人間だ。

 関連:
 自分が本当に好きなことが何かと考えたとき、それが情報保管のアレンジなのかも知れないと思う

 私が興味があるのは、知識のコンテンツではなくて、知識のコンテナであり、メタ知識であることを。 2013年6月1日

私にとって、比較的形而上的に捉えているメディアと、比較的形而下的に捉えている技術を同じものだとみる見方を得たことは、大きな前進である。

史観

ものづくり – Wikipedia [2014年2月7日 (金) 00:00‎ の版]

ものづくりとは日本の製造業と、その精神性や歴史を表す言葉である。1990年代後半から企業やマスメディアの間でさかんに使われるようになった。現在の日本の製造業の繁栄は、日本の伝統文化、固有文化に源を発するという史観である。