「真」ではなく「善」を求める

「真」ではなく「善」を求める私が今、生産・探求を求められているのは、普遍的な「真」ではなく、属人的で恣意的な正義、即ち、個人的な「善」である。

そのために必要な教養は、科学ではなくて、哲学である。即ち、理論哲学(科学を除く)および実践哲学である。

この時、知は、「正しい答えという意味での 「知」 ではなく、答えがわからない問題の答えを何とか知ろうとする努力という意味での 「知」 」として新たに定義される。これにより、知は放棄されない。泥の中(マドリングスルー)において現実に存在するものとして、現実的な価値をもつ。

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