【正化32年=2020年】「レインツリーの国」事件から

有川浩の小説『図書館戦争』シリーズは、表現を取り締まる機関と表現の自由を守ろうとする機関が戦争状態にある、架空の日本を舞台にした作品です。この日本で、平成にあたる元号が、正化です。

シリーズ2巻の『図書館内乱』の中で、正化32年1月、つまり2020年1月に起こった事件が「レインツリーの国」事件です。

ヒロイン・中澤 毬江を 土屋 太鳳 が演じてドラマ化もされました。

中途難聴者である毬江に対し、中途難聴者がヒロインの恋愛小説「レインツリーの国」を薦めた行為が、「聴覚障害者の出てくる本を聴覚障害者に薦める行為は人権侵害である」として、薦めた人が、表現を取り締まる機関に連行・査問される事件です。

この事件において、聴覚障害者の出てくる本を聴覚障害者に薦める行為を問題視して、取り締まり機関の耳に入るほどに噂を大きくしたのは、毬江の同級生達でした。しかし、当の毬江は、問題視どころか、楽しく「レインツリーの国」を読んでいました。

この事件を思考の起点にした私の考察の最新は、

  弱者が虐げれているという恐れが、社会的に過度に生じる理由

です。

高砂市長選 告示

兵庫県高砂市 市長選挙、及び市議会議員補欠選挙

告示日 2020年3月29日(日曜日)
投票日 2020年4月5日(日曜日)

市長選挙 選挙公報

市議会議員補欠選挙 選挙公報

【兵庫県高砂市】現職引退。4月5日、市長選挙【2020/3/22】

こんにちは、高木です。本日は、2020年3月22日 です。

今回は、ローカルネタです。今週のうちにも桜が開花しそうな、兵庫県明石市から姫路市の手前までひろがる東播磨地域ですが、その最も西側の高砂市で市長選挙・市議会議員補欠選挙が行われます。

告示日 2020年3月29日(日曜日)
投票日 2020年4月5日(日曜日)

3月30日(月曜日)から4月4日(土曜日)までが、期日前投票・不在者投票期間です。

今回の市長選挙は、現職の登幸人(のぼり ゆきひと)市長が引退を表明されておられるため、新人同士の選挙戦になる公算が高いです。

さて、昨年2019年の参議院選挙での高砂市の選挙区選出議員選挙の投票率は、48.58%でした。

これは、全国順位では、ほぼ市町村に対応する全1898開票区中、1297位。これは、全国が10市だったらビリから4番目。
兵庫県内順位では、全50開票区中、37位でした。

***

2019年参議院議員通常選挙 投票率
情報源は NHK。

***

高砂市の18歳以上の有権者の皆さんは、必ず投票しましょう。

なお、ネット上での選挙運動は、投票日前日の4月4日(土曜日)までです。

ありがとうございました。

弱者が虐げれているという恐れが、社会的に過度に生じる理由

弱者が虐げれているという恐れが、社会的に過度に生じる理由は、次だと考えられる:

(1) 心理による理由

自分に対する楽観バイアスとは反対に、他者に対する「悲観バイアス」も存在する。

 関連:
 時間∝1/能力 見積もりと現実に40%の差異

ヒトがもつ刺激等価性という心理現象が、確率的思考ではなく、思考の 0・1化を促す。

 関連:
 知的生産ブログ 刺激等価性――「空気」の本質。感情移入と非論理をつなげるもの

他者に関する思考は、悲観的に方向に0・1化されがちである。特に、他者かつ弱者に関しては、その傾向が強い。

更に、ヒトとヒトの間の感情移入と、刺激等価性によって、社会における思考が 0・1化されがちである(「空気」の誕生)。弱者に関しては、悲観的に方向に0・1化されがちである。

 関連:
 図書館戦争ドラマに、人の脳の性質を整理する

これによって、弱者が虐げれているという恐れが、社会的に過度に生じる。

(2) 政治的手法による理由

弱者を勝手に代弁するという政治的手法がある。

 関連:
 弱者を勝手に代弁するという政治的手法

【Royal?】ロイヤルミルクティーについて【2020/3/1】

こんにちは、高木です。本日は、2020年3月1日です。

この動画は、私がしでかした勘違いがもとになっています。

ロイヤルミルクティー、という紅茶の飲み物があります。

ロイヤルといえばイギリスです。

イギリスのヘンリー王子とメーガン妃、つまりサセックス公爵(Duke of Sussex)夫妻が主要王族の地位を離れるなか、「サセックスロイヤル」のブランド使用権を求めていましたが、断念されたのが、最近の話題ですね。

さて、ロイヤルミルクティー。私は、てっきりイギリス式のミルクティー。つまり、紅茶をいれて、それを牛乳と混ぜた飲み物だと思っていました。

後で説明しますが、インド式のミルクティーであるチャイが、最近ポピュラーになってきたので、区別するために「ロイヤル」を頭に付けたと思っていた、、、のですが、勘違いでした。

正しくは、ロイヤルミルクティーは、日本でうまれた言葉、和製英語です。

ロイヤルミルクティーは、鍋のお湯の中で茶葉を開かせ、さらに鍋に牛乳を加えて火にかけ、茶葉を煮て作られます。つまり、チャイの作り方と同じです。

つまり、ロイヤルミルクティーは、イギリス式では全くなく、インド式のチャイの作り方と同じなのです。

ただし、チャイでは、大量の砂糖をいれるのが一般的ですが、ロイヤルミルクティーでは、砂糖を入れたとしても、チャイほど大量の砂糖を入れることはありません。

ロイヤルミルクティーの作り方は、チャイと同じ。

ご試聴ありがとうございました。

「新型コロナウイルス除け」お札から

特別祈願! 長福寿寺の「新型コロナウイルス除け」お札 | Smart FLASH[光文社週刊誌] 長福寿寺

流通が発達していない時代において、不特定多数に情報を届けるメディアとして広告の効果は限られるので、お札は重要なメディアだったのだろう。

その効果は、注意喚起だけに留まらない。

お札に文字が書かれていることに意味がある。「対象の名前を知ることで安心する」という心理現象、ルンペルシュティルツヒェン現象だ。 さらに、その名前を糸口に、不特定多数は情報を集め、共有することができる。

【メディアとしての交通】「一本の杭に記されし道の名に」から【2020/2/23】

つながりハイライト号 乗り場 (4:37 に紹介)

* * *

こんにちは、高木です。本日は、2020年2月23日。天皇誕生日です。今上陛下は、ご還暦になられました。

令和改元の次の日、2019年5月2日の毎日新聞に、陛下の次のエピソードが載っています:

新天皇陛下が小学生のころ、散歩していた赤坂御用地の片隅に杭(くい)があるのを見つけ、ご養育係のオーちゃんこと浜尾実(はまお・みのる)東宮侍従にたずねた。杭には「奥州街道」とあった

「一本の杭に記されし道の名に我学問の道ははじまる」は皇太子時代に詠まれたお歌である。杭は近年に立てられたものだったが、御用地内を鎌倉時代の街道が通っていたことを知り、「この時は本当に興奮した」と回想されている

英国留学でテムズ川の水運史研究に取り組んだのも、この感動に導かれてのことだった。「道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割」を果たしたという。

(余録. 毎日新聞 (2019/ 5/ 2, 朝刊) 1面.)

お歌は、平成10年の歌会始のもの。「道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割」は、1993年に刊行された陛下の著書『テムズとともに -英国の二年間-』の一節です。

また、イギリスの小説家 エドワード・モーガン・フォースターによる小説『ハワーズ・エンド』には次の一節があります:

駅とはすばらしいもの、未知なるものへと開かれたゲートなのだ。われわれはそこを通って冒険と陽光の中へと旅立ち,残念ながらそこへ戻ってくる。パディントン駅にはコーンウォール半島全体とイギリス最西部がひそんでいる

陛下の「道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割」と、『ハワーズ・エンド』の「駅とは…未知なるものへと開かれたゲートなのだ」を合わせて浮かび上がってくるのは、メディアとしての交通です。

つまり、
 交通には、メディアという性質がある
ということです。

メディアとしての交通では、交通設備・交通装置は、容器、つまりコンテナです。

そして、内容、つまりコンテンツは、沿線というメッセージと、路線という文脈、つまりコンテクストから成ることになります。

次に『ハワーズ・エンド』からの引用の最後の文を見ていきましょう:「パディントン駅にはコーンウォール半島全体とイギリス最西部がひそんでいる」。

これは、即ち、ターミナル駅が、沿線の縮図であるという主張です。

交通の中でも、鉄道は、この傾向が強いです。駅は、乗り降りの機能を集約された専用施設ですからね。

また、鉄道は、列車が中間段階として、この傾向を強くするように働いていると考えられます。

つまり、

 沿線>路線>列車>ターミナル駅

という縮図構造です。

列車は、形が細長く、列車を路線と相似なものとして認識しやすいです。新幹線列車「のぞみ」号の 長さ 400 m の車体は、東京・博多間 1000km余りの縮図です。

そして、複数の列車が発着するターミナル駅が、沿線全体を縮図するのです。

さて、ここまでで、

・交通には、メディアという性質がある
・「列車」と「駅」により、全体を縮図する

ということを述べてきました。

ここからは、私の試みです。

この2項目から、このような帰結を得られます:

 ネットと鉄道には親和性があり、「列車」と「駅」を模倣することによりWebサイト内のコンテンツ全体を表現することができる。

この思想のもとに構築したシステムが、「つながりハイライト号 乗り場」です。takagi1.net内の記事と記事の間の、リンクを伝ったつながりを列車の運転系統に見立て、鉄道駅の放送風に紹介します。

ご試聴ありがとうございました。

【月の歌】「山川異域、風月同天」から【2020/2/9】

こんにちは、高木です。本日は、2020年 2月 9日です。

中国・湖北省武漢を中心とした新型肺炎の猛威が続いていますが、2月1日頃に中国のSNSで話題になった言葉が、「山川異域、風月同天」です。

中国語資格のHSK・漢語水平考試(かんごすいへいこうし)日本事務局から湖北に送られた支援物資の段ボール箱に書かれていた言葉で、次の漢詩の一節です。

山川異域 風月同天
寄諸仏子 共結来縁

山川(さんせん)域(いき)を異(こと)にすれども 風月(ふうげつ)天(てん)を同(おな)じうす

諸(これ)を仏子(ぶっし)に寄(よ)す 共(とも)に来縁(らいえん)を結(むす)ばん

(山川異域 風月同天 | SH_04Fさんの掲示板 | マイネ王)

この漢詩は、天武天皇の孫、長屋王が中国・唐の国に送った袈裟千着に刺繍されていた詩であり、この詩を見て後に奈良に唐招提寺を開く鑑真が来日を決意したとされます。

「山川異域、風月同天」。この詩において、月は空間を超えて人と人をつなげるものです。

つまり、
 人☆ | 空間☆ | 時間= (=:同じ ☆:異なる)
です。

それでは、この歌はどうでしょう:

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも ―― 阿倍仲麻呂

『古今集』・小倉百人一首にも選ばれています。遣唐使で、中国皇帝に気に入られ唐の役人になった・阿倍仲麻呂が日本への帰国を前に中国で詠んだ歌で、この歌で仲麻呂が思っているのは、昔、奈良で自分が見た月です。

この詩において、月は、同じ人を、空間と時間を超えてつなげるものです。

つまり、
 人= | 空間☆ | 時間☆ (=:同じ ☆:異なる)
です。

なお、阿倍仲麻呂は、船の漂流で日本への帰国に失敗しますが、船違いで同じタイミングの中国発日本便に乗っていた鑑真は日本にたどり着きます。

ここで、復習しましょう。

(=:同じ ☆:異なる)
人= | 空間☆ | 時間☆ 「天の原~」
人☆ | 空間☆ | 時間= 「山川異域、風月同天~」山川(さんせん)域(いき)を異(こと)にすれども 風月(ふうげつ)天(てん)を同(おな)じうす

月が異なる空間・時間の同じ人を結んでいる歌
月が同じ時間、異なる空間の人を結んでいる歌

です。

意味のある組み合わせを全パターン列挙するとこのようになります。

(=:同じ ☆:異なる)

(1) 人☆ | 空間☆ | 時間☆
(2) 人= | 空間☆ | 時間☆「天の原~」
(3) 人☆ | 空間= | 時間☆
(4) 人☆ | 空間☆ | 時間=「山川異域~」
(5) 人☆ | 空間= | 時間=
(6) 人= | 空間☆ | 時間=
(7) 人= | 空間= | 時間☆

それぞれについて、対応する歌を見ていきましょう:

(1) 人☆ | 空間☆ | 時間☆
(=:同じ ☆:異なる)

月が異なる空間・時間の人を結んでいる歌です。

春日にて、月明るくあはれなりければ

ふりさけし人の心ぞ知られぬる今宵三笠の山をながめて

西行『山家集』より。西行、つまり佐藤 義清(さとう のりきよ)の歌です。

西行は、この歌を詠むにあたり、阿倍仲麻呂が、中国で、過去に詠んだ「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」を思い出しています。

(2) 人= | 空間☆ | 時間☆
(=:同じ ☆:異なる)

月が異なる空間・時間の同じ人を結んでいる歌です。

これは先に紹介しました:

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも ―― 阿倍仲麻呂
『古今集』

(3) 人☆ | 空間= | 時間☆
(=:同じ ☆:異なる)

月が同じ空間、異なる時間の人を結んでいる歌です。

みちのくにへ修行してまかりけるに、白川の関にとまりて、所がらにや常よりも月おもしろくあはれにて、能因が、秋風ぞ吹くと申しけむ折、いつなりけむと思ひ出でられて、名残おほくおぼえければ、関屋の柱に書き付けける

白川の 関屋を月の もる影は 人のこころを とむるなりけり

(その他の「修行」歌について(2))

西行『山家集』より。

西行は、この歌を詠むにあたり、能因(のういん)が、同じ白川の関で、過去に詠んだ「都をば 霞とともに たちしかど 秋風ぞふく 白河の関」を思い出しています。

(4) 人☆ | 空間☆ | 時間=
(=:同じ ☆:異なる)

月が同じ時間、異なる空間の人を結んでいる歌です。

長屋王が送った袈裟千着に刺繍された

山川異域 風月同天
寄諸仏子 共結来縁

山川(さんせん)域(いき)を異(こと)にすれども 風月(ふうげつ)天(てん)を同(おな)じうす

諸(これ)を仏子(ぶっし)に寄(よ)す 共(とも)に来縁(らいえん)を結(むす)ばん

は、先に紹介しました。

漢詩では、次の方が有名でしょう。

白居易の「八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九」(八月十五日の夜、禁中に独り直(とのゐ)し、月に対して元九(げんきう)を憶(おも)ふ) です。

銀臺金闕夕沈沈  銀台 金闕 夕べに沈沈 (ぎんだいきんけつゆうべにちん ちん)
獨宿相思在翰林  独り宿り 相思ひて翰林(かんりん)に在り (ひとりやどり あひおもひてかんりんにあり)
三五夜中新月色  三五夜中 新月の色 (さんごやちゅう しんげつのいろ)
二千里外故人心  二千里の外 故人の心 (にせんりのがい こじんのこころ)
渚宮東面煙波冷  渚宮の東面に煙波(えんぱ)は冷かに (しょきゅうのとうめんに えんぱはひややかに)
浴殿西頭鍾漏深  浴殿の西頭に鐘漏は深し (よくでんのせいとうに しょうろうはふかし)
猶恐淸光不同見  猶ほ恐る 清光は同じく見ざるを (なほおそる せいこうはおなじくみざるを)
江陵卑湿足秋陰  江陵は卑湿にして 秋陰足(おほ)し (こうりょうはひしつにして しゅういんおほし)

【通釈】銀の楼台、金の楼門が、夜に静まり返っている。
私は独り翰林院に宿直し、君を思う。
十五夜に輝く、新鮮な月の光よ、
二千里のかなたにある、旧友の心よ。
君のいる渚の宮の東では、煙るような波が冷え冷えと光り、
私のいる浴殿の西では、鐘と水時計の音が深々と響く。
それでもなお、私は恐れる。この清らかな月光を、君が私と同じに見られないことを――。
君のいる江陵は土地低く湿っぽく、秋の曇り空が多いのだ。

(白氏文集卷十四 八月十五日夜、禁中獨直、對月憶元九: 雁の玉梓 ―やまとうたblog― , 『八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九』書き下し文・現代語訳(口語訳)と文法解説 白居易 / 漢文 by 走るメロス |マナペディア|)

和歌でも、このような歌はたくさんあります。『和泉式部日記』に、次の歌があります。

夜 式部のもとを訪ねてきたものの、式部の家の応対がないので帰ってしまった宮に宛てて、式部が次の日の朝に詠んだ歌です:

われならぬ 人もさぞ見む なが月の 有明の月に しかじあはれは

よそにても 同じ心に有明の 月を見るやと 誰に問はまし

 ――『和泉式部日記』

(5) 人☆ | 空間= | 時間=
(=:同じ ☆:異なる)

月が同じ時間、空間の人を結んでいる歌です。

月夜よし河音清けしいざここに行くも去かぬも遊びて帰かむ ―― 大伴四綱
『万葉集』
(つくよよし かはのおときよし いざここに ゆくもゆかぬも あそびてゆかむ)

太宰府の防人佑(さきもりのすけ)から都に帰ることになった大伴四綱(よつな)が餞別の宴の席で詠んだ歌です。
『万葉集』に収録されています。

(6) 人= | 空間☆ | 時間=
(=:同じ ☆:異なる)

一人の人が、同時に2箇所にいることはできませんから、これはあり得ませんね。

(7) 人= | 空間= | 時間☆
(=:同じ ☆:異なる)

月が異なる時間の同じ空間の同じ人を結んでいる歌です。

深草の 里の月かげ さびしさも すみこしままの 野べの秋風 ―― 源 通具
『新古今和歌集』

草深く繁った深草の里、そこを照らす月の光――久々に帰って見れば、月は昔のままで、野辺を吹く秋風の淋しさもまた、私がここにずっと住み、月も常に澄んだ光を投げかけていた、あの頃のままであったよ。

(源通具 千人万首)

源 通具(みなもとのみちとも)の『新古今和歌集』に収録された歌です。

まとめ。月は、人と人を、空間と時間を超えてつなげるものです。

***

最後に、『和泉式部日記』の作者・和泉式部が兵庫県姫路の書写山で読んだと伝えられている和歌には次の2通りがあります:

暗きより暗き道にぞ 入りぬべき 遥かに照らせ 山の端の月
くらきより くらきみちにそ いりぬへき はるかにてらせ やまのはのつき

暗きより暗き闇路に 生まれきて さやかに照らせ 山の端の月
くらきより くらきやみぢに うまれきて さやかにてらせ やまのはのつき

月は、遥かに そして さやかに(清かに・明かに)照らすものです。

最後まで、ご試聴ありがとうございました。

* * * *