科学技術には、光と蔭があるが、
科学技術規制にも、光と蔭がある:
史上最悪の農薬は、史上最強の救世主だった リスクとベネフィットの天秤はどちらに傾くのか | JBpress(日本ビジネスプレス)
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1962年、レイチェル・カーソンのベストセラーである『沈黙の春』が出版されたことで、DDTの評価は一変します。
DDTは、生物のホルモンの働きを乱す環境ホルモン(外因性内分泌攪乱物質)として作用し、虫を食べる鳥にも害があり、土壌にも長期間残留するとされました。また、発がん性にも疑いがかかり、人間の母乳から検出されたことなどから、危険な農薬の代名詞になってしまったのです。そのため1968年には世界各国で使用が全面的に禁止となりました。
DDTの使用禁止は、もともとマラリア被害が少なかった先進国ではあまり影響はありませんでした。しかし熱帯に位置する発展途上国では大きな惨禍をもたらすことになります。
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1946年、DDTが散布されはじめてからセイロンでは急速にマラリア患者が減っています。そして『沈黙の春』が出版された翌年の1963年には患者数は17人と絶滅寸前まで持ってきていたのです。
しかし、世界の世論に押されてその翌年にDDTの使用を中止し、4年経つと患者数は元の木阿弥と言える程度まで戻ってしましました。
下記する各段階の次に進む度に、科学技術は「近代化」してきたのだ。
科学技術の光
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科学技術の光と蔭
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科学技術の光と蔭、科学技術規制の光
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科学技術の光と蔭、科学技術規制の光と蔭
それは、複雑化の歴史、すなわち 矛盾の受容の歴史、考慮領域拡大の歴史である。