人による人の絶滅、インディアスの破壊についての簡潔な報告

ラス・カサス=著, 染田 秀藤=訳 : インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩谷文庫, 1976)

西インド諸島(イスパニョーラ島、キューバ島、ジャマイカ島など)・南米・北米フロリダ・ユカタン半島の原住民とその社会が、スペインの入植者によって絶滅させられた状況を、スペイン(当時、カスティーリャ王国)王太子に上奏する書簡です。1542年に書かれました。

広域の住民およびその社会を絶滅可能であるという、歴史を教えます。国家の危機に臨んで、読んでおくべき書籍であると考えます。

入植者の行為は、絶滅というよりも「収穫」に思えました。

入植者は、最初は原住民から食糧を取り上げました (あるいは、殺戮しました)。

そして、金(きん)を取り上げました。「黄金の国」と呼ばれた日本も、ヨーロッパに近ければ、大いに危険であったと考えます。

その後、原住民に過酷な労働を課しました。労働を課せられた原住民は衰弱して死んでいきました。

残りの原住民は、奴隷として売り払われました。ヒトの労働ではなく、ヒトそのものが経済的に流通したのです。奴隷制度はヒトを効率的に財に変換する経済的手段であり、経済的原理によって力強く駆動されるのです。

関連する引用:
内田 樹 : 街場のメディア論 (光文社新書, 2010) p.116.

制度を可変的なものにするための方法は経験的には二つしか知られていない。それはまさに宇沢弘文先生が「社会的共通資本に適用してはならない」と言った当の二つのもの、すなわち政治イデオロギーと市場です。 

そんな制度でも、政治イデオロギーと市場の支配に委ねれば、めまぐるしく変化する。間違いなく変化する。

舞子大本営

現在の舞子公園・舞子ビラ一帯にあった、有栖川宮威仁親王の柏山別邸には、1903年の陸軍特別大演習に際し、大本営が設定されました。

竹内 正浩 : 鉄道と日本軍 (ちくま新書, 2010) p.157.

翌日[:明治36年(1903年)11月12日]午前九時三〇分、名古屋を発した天皇は、午後四時一一分、舞子仮停車場で下車し、そのまま舞子大本営に入った。四月の観艦式で行在所にあてられた有栖川宮威仁親王の柏山別邸である。

竹内 正浩 : 鉄道と日本軍 (ちくま新書, 2010) pp.147-148.

[明治36年(1903年)4月] 八日朝一〇時に名古屋を発した天皇は、午後四時四一分、行在所門外に特設された舞子仮停車場(今の舞子駅)で下車し、そのまま行在所にあてられた有栖川宮威仁親王の柏山別邸(今の舞子公園・舞子ビラ一帯)に入った。翌九日は海軍大演習統監海軍軍令部長伊東祐亨大将が行在所に赴き、大演習の経過と講評を上奏している。

維新には、財界人、文化人の決起も必要

Twitter / @TAKAGI-1 高木 一: #takajin 「革命・維新には、財界人、文化人の決起も必要」

2011/ 2/20放送のYTV「たかじんのそこまで言って委員会」の山口 敏太郎 氏の発言より。

これと同じことを 2010/ 8/ 7 にNHK大河ドラマ「龍馬伝」を視聴しながら tweet していました:

Twitter / @TAKAGI-1 高木 一: 意思決定:貴族。実働:侍。経済力提供:商人。 #ryomaden