ユグドラシルからの想起

北欧神話では、世界樹 ユグドラシルの3つ根の下には、3つの泉がある:

一つは、ウルズの泉

 ウルズの泉において、ノルンたちは、ユグドラシルが枯れないようこの泉の水と泥を混ぜたものを常に注いでおり、お陰で樹勢が保たれている。

 私は、ウルズの泉は、産業を示唆していると考える。

二つには、ミーミルの泉

 ミーミルの泉には、知恵と知識が隠されているとされており、賢い巨人ミーミルが所有している。知識を求めて訪ねてきたオーディンは、泉の水を一口飲みたいとミーミルに頼み、代価に片方の眼球を求められ、これに応じたため以来片目となった。

 私は、ミーミルの泉は、知恵と知識を示唆していると考える。知恵と知識は、片目の価値がある。

三つには、フヴェルゲルミル

 フヴェルゲルミルでは、ニーズヘッグが、ユグドラシルの根をかじっている。

 私は、フヴェルゲルミルは、社会に寄生する者を示唆していると考える。

すなわち、社会は、産業と、知恵と知識に支えられる。そして、社会に寄生する者は、確かに存在する。

(各項目のWikipedia記事を参考した)

価値は消費されて生存と文化を生む

経済は文化のしもべである *1。

労働力は消費されて価値を生むが *2、
価値は消費されて生存と文化を生む。

*1 私は、JR九州の車両デザインで知られる水戸岡 鋭治 氏の著作で、この言葉を知った。一般には、ベネッセコーポレーションの福武 總一郎 氏の言葉として知られている。

*2 カール・マルクスの“労働価値説”。

文化に関する考察

文化 – Wikipedia [2015年1月22日 (木) 04:10‎の版]

広く民族学で使われる文化、あるいは文明の定義とは、知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣行、その他、人が社会の成員として獲得した能力や習慣を含むところの複合された総体のことである
— エドワード・タイラー、Primitive culture[4]

文化は、社会に関わる。

文化的であるとは、社会的分量が多いことである。即ち、社会を構成する集団において帰納的な情報量(:物体も含め)が多いことである。

文化の度合いは、社会の深さ、社会が認識・関係する世界の広さ、情報の共有・活用具合、の積(掛け算の答え)を示す。

(以下の記述は、総合的な捉え方である:)

文化的社会は、複雑であってもよいところは複雑性に富んでいる(:深さと広さ)。そして、広い世界を認識できており、広い世界と関係し、その関係に対する制御ができている。

文化的生産物は、それに関する認識が社会に共有され、帰納的な情報になっている。同時に、文化的生産物は、世界の模型であり、社会が認識・関係する世界に、広さを与える。

阪神・淡路大震災における死因・火災原因

阪神・淡路大震災から20年。震災から学び、未来に備える – Yahoo! JAPAN

● 亡くなった方の死因は、77%が窒息と圧死。熱死や熱傷は 9%。

原因が判明した火災発生件数のうち、6割 [*] が通電火災といわれています。停電のあと、電気が復旧する時に火の元になる危険があります。避難する時はブレーカーの遮断を徹底し、通電火災を防ぎましょう。

  * 原因が判明した火災 139 件中の 85 件 (火災の全件数は、285 件)。

社会が持続的に発展するために

社会が持続的に発展するためには、累積性が必要である。

累積性があるためには、社会に慣性が必要である。

慣性があるためには、致命的・破壊的な急進が起こらないよう、民の気持ちの淀み具合が小さくなくてはならない。

● 民が安全・安心でないといけない。

軍事・国防、警察・司法、食糧・エネルギー・社会保障 などである。

● 民の脳への適度な負荷がなくてはならない。

教養と芸術と娯楽である。

● 停滞があってはならない。

停滞は、投資の減退に起因する。

(投資)=(余剰金)×(投資意欲) である。

 ・余剰金を有むための一つの手段が、無駄の排除(仕事の最適配分、生産と消費の適合 など)である。

 ・投資意欲を有むための一つの手段が、技術の発展である。

天下

天下は一人の天下にあらず
天下は天下の天下なり

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」(2014) 最終回の家康の台詞。(なお徳川家康が病床で外様大名に語った言葉であるとされている。)

これを聞いて、以下を想起した:

天下とは、民のなかにあり、民が天下人だと認識する人が、天下人である。

個人個人で異なる〈民のなか〉を、ある程度に統一したイメージに整える手段として、義務教育やマスメディアを挙げることができる。

発動の形式

石油化学産業の市場構造に関する調査報告を公表します(METI/経済産業省)

産業競争力強化法第50条(抄)
政府は、事業者による事業再編の実施の円滑化のために必要があると認めるときは、商品若しくは役務の需給の動向又は各事業分野が過剰供給構造にあるか否かその他の市場構造に関する調査を行い、その結果を公表するものとする。

ここから考えたこと:

権威による調査とその結果の公表は、強制力を孕んでいる。そう考えれば、司法は、警察等による執行の側面を抜きにしても、行政・立法とは異なる領域において統治のための強制力をもっているのである。この強制力は、明示的ではない。司法がもつ無恣意性は、その明示的でない強制力がもつ指向性を鋭くする。

さて、前記は「調べる」による、明示的でない強制力であった。

明示的でない強制力の源として、「問いかける」も、挙げることができる。公的機関・公人を例にとれば、政府首脳の発言によるアジェンダ(話題、解決すべき課題)の設定は、その一つの例である。そして、先の大戦後、昭和天皇が用いられた「ご質問」も、そうであったのだろう。

初出:
Facebook 2014/11/12

「あの素晴しい愛をもう一度」からの想起

2014/ 9/ 6、テレビで LION の CM を見たのさ。

歌は、「あの素晴しい愛をもう一度」の替え歌。

「あの素晴しい愛をもう一度」は、1971年の歌であるが、私にとっては、1998年 1月の映画「ラブ&ポップ」のエンディング曲としてのイメージが強い。

渋谷川を黙々と歩く、同映画の出演者たち。なお、髪型からすれば、向かって一番左は、仲間 由紀恵 女史である。

この映画の監督は、エヴァの庵野 秀明 氏 (なお、この映画の舞台は、1997年 7月19日に設定されており、これは「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」((いわゆる、『エヴァ旧劇場版』))の封切り日である)。

映画封切り前、1997年の年末深夜に、TV版「エヴァ」の一挙再放送がされていた。その際にCMに入っていたのが「ラブ&ポップ」であり、「あの素晴しい愛をもう一度」(歌は、主演の三輪 明日美)を何度も聞かされた。

この渋谷川を歩くシーンを思い出していて気づいたことが、2つある。

1つ目。これって、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版 破」の第8使徒戦において、使徒落下地点に向かって走る零号機(黄色)のシーンにオマージュされている、と。


の 1分26秒である。

なお、弐号機(赤色)が1分25秒に川を踏んづけるが、これは、TV版エヴァの拾弐話でも同様のシーンがある。TV版では、その後、弐号機が川に沿って走る横姿が描かれるが、水音が聞こえるものの、川は描かれず、また、繰り返すが、横姿であり、正面ではない。

気づいたこと 2つ目。映画「ラブ&ポップ」での「あの素晴しい愛をもう一度」の使用が、その後の、アニメーション「彼氏彼女の事情」のエンディングへの「夢の中へ」(元は、井上陽水。アニメでは主人公を演じる声優である、榎本温子・鈴木千尋)の使用、そして、「ヱヴァ 新劇場版 破」冒頭の「三百六十五歩のマーチ」、「Q」冒頭の「ひとりじゃないの」に、つながっているのではないか。

「エヴァ旧劇場版」の際に、庵野 秀明 氏は、こう語っていた

「これだけ情報があふれている時代に、オリジナルなんてどこにあるのか。様々なものからイメージをとりこんで、それをどこまで広げて再構築するか、なんですよ」
―― 朝日新聞 1997/ 7/24 夕刊

初出:
Facebook 2014/ 9/ 7