マキアベリーは、人間のいとなみは徳の実現を究極の目的とすべきものであるが、われわれか弱い人間はいわば盲目的な運命に押し流されておるもので、このままでは徳を実現することにはならない。したがって運命の奔流を制御して徳の実現に至る手段と術策を工夫し組織しなければならない。そこにいうところの権謀とか術数とかいうものが考えられることになるというのが、マキアベリーの哲学の骨組みのように私は理解しておる。
…
しかし権力の本体は、そういう術策にあるのではなく、権力者自体の自らの在り方にあるのだということだけは銘記すべきであろう。術策の分量やその組み合わせの巧拙よりも、権力主体のあつめる信望の大きさが、その権力に本当の信頼と威厳をもたらすものである。アンドレ・モーロアは「他人を支配する秘訣は、自らを支配することを体得することにある」と言っておるが、権力の主体に対する頂門の一針というべきものであろう。