被災地へは、本当に必要なものだけを流すこと。善意を賢く使うこと

要約:

  • 被災地へは、本当に必要なものだけを流すこと。
  • 善意を賢く使うこと。

2016年 4月14日に最大震度7 (マグニチュード 6.5)、16日に最大震度6強 最大震度7 {2016/4/23: 2016/4/20の気象庁発表に合わせて修正} (マグニチュード 7.3)など、熊本県を中心に強い地震が相次いでいます。

熊本地震に関する下記の報に接し、考えたことを書きます:

熊本地震「LINE通話を10分無料」は大問題だ | 通信 | 東洋経済オンライン

今回の地震を受け、LINEの公式アカウントが次のようなアナウンスを行い、テレビや新聞社のウェブサイトで次々に報道された。

“LINEから固定電話・携帯電話にかけられる「LINE Out」機能で、日本国内の番号への発信を1通話最大10分まで無料化しました。家の電話やLINEでつながっていない方への安否確認にご活用ください。 #熊本 #地震 #拡散希望”

いずれ、LINE社から、なんらかのアナウンスがあるだろうが、上記のサービスを安否確認には使わないようにしてほしい。また、身の回りにこのサービスを称賛する声を聞いたならば、対応が誤りであることについて話題にしてほしい。

同記事時の page 2:

LINE通話はデータ通信帯域が確保されていれば、LINE社が設けているゲートウェイを通じて音声交換網へと接続される。すなわち、LINE Outを無料化して利用を促すということは、限りある資源である回線交換容量を消費することに他ならない。とりわけ、熊本県内の携帯電話回線へのLINE Outを使った発信は、輻輳(アクセスが集中することにより電話がつながりにくくなること)をさらに助長するため控えねばならない。

※ なお、NTTコミュニケーションズが提供する災害用伝言ダイヤル(171)は、電話回線への負荷がかからない。

熊本地震:LINE通話無料で見解「考慮十分でなかった」 – 毎日新聞

無料通信アプリを提供する「LINE(ライン)」が14日、熊本地震を受けてアプリから電話回線への通話を最大10分間、無料にしたことに対し、「(安否確認などに使われて)回線の混雑をあおる」と批判の声が上がった。これに対しラインは15日、「被災地外のアプリから被災地の電話に利用すると輻輳(ふくそう)リスクを高めることは事実」と認め、「考慮が十分でなく、災害用掲示板の利用を優先するなど、注意点の説明も十分でなかった」とする見解を明らかにした。

被災地へは、本当に必要なものだけを流すこと

被災地への流通・交通、及び被災地内部での流通・交通は、被害を受け、細っています。

被災地の報道が増し、自衛隊が被災地に活動する様子は、流通・交通が盛んであるように見えますが、実際は細っています。

それは、先の大戦後の買い出し列車のようです。超満員の買い出し列車は、戦争が終わった喜びの様子と捉えられなくはないですが、実際は、流通が滞り人々が直接買い出しに行く必要がある状態のなか、燃料の入手が滞って列車を走らせられず、列車の資材はメンテナンスができないまま使われ続けてだんだん故障していき、また進駐軍専用列車に優先的に燃料・資材・人員が割かれた結果だったのです。実際は、細っていたのです。

流通・交通が細っているので、被災地へは、本当に必要なものだけを流すべきです。

善意を賢く使うこと

善意は、賢く使わないと、被災地に無駄な物(千羽鶴など)を送ってしまったり、デマを拡散させてしまいます。

「やらない善より、やる偽善」という言葉がありますが、やった結果が被災地にとって損になれば、「やらない」より悪いのです。

善意ゆえに反射的に行動してしまうことは、自制しましょう。善意があることに酔ってはいけません。善意を賢く使うことが重要なのです。
 
 
訂正履歴(本文中に記載の内容以外):
2016/4/23: 要約を追加。記事タイトルを変更(「熊本地震「LINE通話を10分無料」問題にふれて考えたこと」→「被災地へは、本当に必要なものだけを流すこと。善意を賢く使うこと」)。

2016年 4月10日の地震

〔地震〕兵庫県南東部を震源とする地震相次ぐ 震度3を2回観測(10日2時現在) – ライブドアニュース

2016年 4月10日午前1時半前と午前2時前に地震がありました。同月初めに東南海地震の震源域を震源とする地震があったので、揺れた瞬間は、東南海地震がきたのではないかと身構えました。

今回の震源は、2回とも 北緯34.9度、東経135.4度、深さ10kmです。北緯34.9度、東経135.4度は、能勢電鉄の日生中央駅と山下駅の間の、川西市、川西北陵高校の辺りを中心に、東西9km、南北11kmの領域です。

同地域の深さ10kmでは、1994年の7月・8月に、小群発地震が発生しています。なお、よく知られる猪名川群発地震は、同地域の深さ5kmで、1994年11月~12月に発生しました。

兵庫県猪名川町の群発地震について

初出:
Facebook 2016/ 4/10

咲くやこの花

梅花女子大学が運営し、この4月から活動を開始する、“梅花歌劇団”の名前は「劇団この花」だそうだ。

  ご挨拶 | 梅花歌劇団「劇団この花」

名称の由来は、難波津の歌、即ち

  難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

である。渡来人・王仁が、仁徳天皇の即位にあたり、その治世の繁栄を願って詠んだ、とされる。なお、「この花」とは、梅の花を指すそうだ。

さて、「咲くやこの花」と言って個人的に想起されるのが、日本神話の木花開耶姫(このはなさくやひめ)である。

しかし、以下に書くことの結論として、「咲くやこの花」と木花開耶姫は、分けて考えたほうがよい。

木花開耶姫は、富士山本宮浅間大社をはじめ、浅間大社で祀られている。火の中で子を出産した(その時の子のひとりの孫が、神武天皇とされる)ことから火の神であるが、火を抑える水の神であり、安産の神、子育ての神とされる。

富士山に鎮座し、東日本を守護し、その名に含まれる「木花」は桜の花を指すとされる(なお、江戸時代に品種改良で生まれたソメイヨシノではない)。

おそらく難波津の歌に込められたのは、難波津と掛けて水の神である点と、安産・子育ての神である点であろう。(もしかしたら、仁徳天皇が東日本を治める豪族から支援されていたのかもしれないが。)

初出:
Facebook 2016/ 3/21

震災5年: 自分の安定は、世界の安定の上にある

東北の震災から、5年が経ちました。今年は、震災の時と、曜日の並びが同じだったので、思い起こすことが多かったです。

自分の安定は、世界の安定の上にある

JR西日本岡山支社は2日午前、東日本大震災の影響で、電車の部品が調達できなくなったことによる在来線の運転本数削減を始めた。

震災5年: ネットでの特別無料知識提供

東北の震災から、5年が経ちました。今年は、震災の時と、曜日の並びが同じだったので、思い起こすことが多かったです。

震災後、いろいろな目的で、ネットを通じた特別に無料の知識提供が行われました:

週刊アスキー読者の皆様、東北地方太平洋沖地震の被災地の皆様へ – 週刊アスキー

iPhoneアプリ「家庭の医学」無料に 被災地支援 – ITmedia ニュース

震災復興支援のための科学技術情報提供

震災5年: ペットボトルキャップの統一

東北の震災から、5年が経ちました。今年は、震災の時と、曜日の並びが同じだったので、思い起こすことが多かったです。

震災の後、ペットボトルのキャップを生産する工場が被災し、生産能力が落ちたため、ペットボトルキャップの統一が実施されました。

ペットボトルのキャップを白無地で統一すると業界団体が決定 – GIGAZINE

社団法人全国清涼飲料工業会は、ペットボトル用樹脂キャップの供給量が不足している状況に対応し、業界として白無地のキャップに統一することを決定しました。[補足: プレスリリース発表 2011年 4月13日]

これは、東日本大震災によってペットボトル用樹脂キャップを製造していた日本クラウンコルク、CSIジャパン、日本山村硝子の工場が被災、樹脂キャップの供給能力が著しく低下したための対応。

キャップは白や青、黒、赤などさまざまな色のものがあり、形も微妙に異なるものがありますが、これをすべて白無地のものに統一することで生産効率・供給能力を上げることが可能。全国清涼飲料工業界各社が、今の難局を乗り切ることが企業の使命であるという認識で一致し、キャップ統一が実現することになったそうです。

この移行は各社の在庫に応じて順次行われるとのことで、これにより供給能力は1割ほど上がる見込みです。また、この対応は被災したキャップ工場が復旧して、キャップ供給が整うまで続く予定。

ペットボトルのキャップ共通化に見る震災後のSCの行方 – INSIGHT NOW!プロフェッショナル

これは簡単なことに見えるが、飲料メーカにとってもキャップサプライヤにとっても難しい判断であったであろう。キャップの機能というと、中身の飲料の品質を保つため位に考えている消費者も多いかもしれないが、飲料メーカから見た時には、それのみならず、商品がどういったものかやブランドとして認知してもらうための情報伝達や販促の機能を持っている。キャップは中身が傷まない、こぼれなければ良いと考えている先の消費者であっても、実際には、キャップの色、デザイン、シンボルマークに自分が気づかぬ内に影響されて商品を買っていることもある。だから、飲料メーカは、ボトル本体でなく、キャップにも拘りを持って商品を企画している。色やシンボルマークをつけられないとなると白無地キャップとなると、これまでのキャップの機能を落とすことになる。

今回の共通化のきっかけは主要キャップメーカ3社より、自らの工場被災もあり、需要の急増に対応できないとの申し出があったことからだが、サプライヤにしてみても、白無地がペットボトルのキャップの標準規格となってしまえば差別化の余地が減らされ、価格競争しかなくなってしまう。だからこそ、飲料メーカもサプライヤも様々なキャップのサイズ、デザイン、色を考え、提案し、日本のペットボトルのキャップだけで200~300種類とあるといわれるだけの数になっているのであり、今回のキャップ共通化の期間が被災キャップ工場が復旧し供給が整うまでと予定されているのである。

震災後、しばらく、下写真のような特殊なペットボトル(黄緑色かつ広口φ38mm)の商品は、見かけなくなった。

(賞味期限は約8ヵ月なので、下写真の飲料は 震災前の2011年1月末に生産された)
GOONEW with strawberry
GOONEW with pineapple
日本コカ・コーラ社より黄緑色広口キャップの 『goonew[TM]』 新登場: ペットボトルキャップ時評

ナタデココが入っているため、飲み口が塞がれないようにするため、キャップには、φ38mm径広口キャップが使用されている。今回画期的なのは、キャップのベース地が鮮やかな黄緑色 (lawngreen) であることである。ボトルの背丈も低いことと相俟って、コンビニの陳列棚での視認性にも優れている。

震災5年: 鶴市作戦

東北の震災から、5年が経ちました。今年は、震災の時と、曜日の並びが同じだったので、思い起こすことが多かったです。

鶴市作戦(つるいちさくせん)とは、福島第一原子力発電所事故への対処を目的に計画された、ヘリコプターで原子炉にホウ酸を注入する作戦です。実際には、実施されませんでした。

鶴市作戦 – Wikipedia [2016年2月24日 (水) 08:46 の版]

後年、陸上幕僚長だった火箱芳文は、このときの心境について「このままだと日本は福島で分断され、国は滅びる。(隊員に)犠牲は出るかもしれないが、やるしかないと」[1]と述懐している。

日本列島は、細長いので、どこで広域かつ将来にわたる事故が起こっても、国土内の有機的な連携が減じられます。

それに加えて、福島は、東京(江戸)に対する要衝です。

福島は、昔でいう磐城平藩会津藩から成ります。福島第一原子力発電所の場所は、昔の磐城平藩の領内です。

磐城平藩は、譜代の藩でした。幕末には、老中 安藤信正を出しています。

会津は、幕末の会津藩主 松平 容保 から分かるように、徳川を支える土地でした。歴代藩主を見ても、徳川家康の孫である保科正之、徳川家康の義子である蒲生秀行(秀吉の時代にも治めていた)がいます。関ヶ原の戦いの前には、上杉景勝が治めていました。

震災5年: プツマイスター社のコンクリートポンプ車

東北の震災から、5年が経ちました。今年は、震災の時と、曜日の並びが同じだったので、思い起こすことが多かったです。

福島第一原発冷却作戦に投入された「戦力」-蒼き清浄なる海のために

福島第一原発の冷却には、消防車両や警察の放水車、そして自衛隊ヘリコプターが使われました。

ドイツのプツマイスター社が製造した、生コンクリートポンプ車「M52 Multi-Z」の投入は、特に話題になりました。

国内最大の生コンポンプ車で原発冷やす:日本経済新聞 2011/3/22

【追加情報】
福島第1原子力発電所の注水作業に当たるため、現地に集まったポンプ車は計4台あることが判明しました。本記事中にある中央建設の2台、丸河商事の1台に加え、プツマイスター社も横浜港にあった1台を派遣しました。
 この1台は、東南アジア向けの輸出用。横浜港から現地に向かう途中で車両トラブルが発生したものの、部品交換を済ませて現地に到着しました。ブームの長さは58mあり、国内最長の52mを上回ります。

中央建設株式会社
丸河商事株式会社

プツマイスター – Wikipedia [2015年9月9日 (水) 11:18 の版]

原子力発電所事故への対応

チェルノブイリ原子力発電所事故に際しては、石棺による封鎖に10台のコンクリートポンプ車が用いられた[8]。40万立方ヤードのコンクリートを圧送し、当時の世界記録を樹立している。[9]

福島第一原子力発電所事故に出動したコンクリートポンプ車は、初期においてはプツマイスターのM52 Multi-ZとM58であった[10]。その後、62m級のM62と70m級のM70も投入されている[11][12]。

震災5年: japanタグ運動

東北の震災から、5年が経ちました。今年は、震災の時と、曜日の並びが同じだったので、思い起こすことが多かったです。

震災後、私は、「japanタグ運動」と称して、写真や英語コンテンツをリブログする際に 「japan」タグをつける活動をしていました。

海外の人に日本全土が震災で被害を受けたように受け取られる風評を抑制する狙いがありました。私は兵庫県に住んでいるため、震災の直接的な影響は受けませんでした。

主に、Flickrに、日常の写真を、英語のタイトル・キャプションとタグ「japan」をつけて投稿していました。

日常の写真としたのは、着飾っていない(ポチョムキン村でない)日本を紹介するためでした。

Hitoshi TAKAGI Flickr, Search: japan

震災5年: プロフィール欄を災害情報へのリンクにした加藤 夏希 嬢

東北の震災から、5年が経ちました。今年は、震災の時と、曜日の並びが同じだったので、思い起こすことが多かったです。

このほど第一子を授かられたそうです。おめでとうございます。

加藤夏希、涙の妊娠報告 神コレで発表/芸能/デイリースポーツ online

関連:
加藤夏希ブログ『Beauty Beauty』

「ヲ乙女図鑑」の表紙は、加藤 夏希 嬢