こんなんやったなぁ… https://t.co/yLyTbzLpFu
— せき のりかず (@kotonoha_s) July 23, 2021
別府の旧市街に近いのは別府港駅だったけど、山陽電車の駅に至近で南北道路に面していてロードサイド型の店舗あった別府口駅のほうが日中は利用者が多かったような気がするですね。 pic.twitter.com/oBaByGNDxR
— せき のりかず (@kotonoha_s) July 23, 2021
こんなんやったなぁ… https://t.co/yLyTbzLpFu
— せき のりかず (@kotonoha_s) July 23, 2021
別府の旧市街に近いのは別府港駅だったけど、山陽電車の駅に至近で南北道路に面していてロードサイド型の店舗あった別府口駅のほうが日中は利用者が多かったような気がするですね。 pic.twitter.com/oBaByGNDxR
— せき のりかず (@kotonoha_s) July 23, 2021
「何が好きか」という質問は、私の趣味嗜好を尋ねているわけではなく、「相互に敵意がないことを確認するために気軽な雑談を行いたいのだが、どのようなテーマが良いか」という意図であることに気づくのに長い時間を要した
— スドー☂ (@stdaux) July 17, 2021
周囲と付き合うには「私はこういう人間です」とわかりやすく示す記号が必要なのだが、商業的な何かのファンであるというのは便利なのだよな。「この話題を振ってくれれば一定の応答は返します」というプロトコルが保証される。記号が何もないと手掛かりに困るし、あまりにも突飛な記号だと絡めない
— スドー☂ (@stdaux) July 17, 2021
関連:
幼稚園の「先生、さようなら。皆さん、さようなら」を聞く。「お当番さん、ありがとう」「どういたしまして」。幼児たちは、挨拶を習慣づけられる。無抵抗に供出されるコストにより、社会は持続される。挨拶=敵意なきことの表明ならば、それに社会的ヒトはコストを払い続けなければ、ならない。 *o
— TAKAGI-1 高木 一 (@takagi1) September 5, 2015
ハイキング・イベント情報/お知らせ/山陽電車沿線ガイド「ぶらり ちょっと、ちょい旅編」を配布中!/山陽電車 (2021年6月21日)
電子ブック版 山陽電車沿線ガイド ぶらり
・岸本 真結子 さん
・七萌(ななほ) さん
加古川図書館のステンドグラス #近代建築 pic.twitter.com/50Uqn1VbzQ
— びるまち (@BIRUMACHIOSAKA) June 20, 2021
加古川市立加古川図書館 – Wikipedia
旧・加古川町公会堂
認識の粗さ、つまり認識の粒度が粗いことは、レッテル貼り・〈物事の不連続性〉を生む。
粒度が細かければ、連続性を感じ、自分との繋がりに意識が向く。
しかし、粒度が粗いと、対岸の火事・雲の上の人・鬼が生まれる。
国鉄高砂線の引き込み線の写真が出てきたので貼っておきます
山陽電鉄 荒井-高砂
1枚目 直進するとキッコーマン工場へ
左が高砂工場、神戸製鋼線だったと思います
2枚目 振り向いて高砂方向 pic.twitter.com/zQ7CZOl2Mf— GDT (@GoldTakeshi) June 8, 2021
長瀞さん(CV.上坂すみれ)、ガモちゃん(CV.小松未可子)、ヨッシー(CV.鈴木愛奈)、桜(CV.井澤詩織)「カラフル・キャンバス」(2021)
テレビアニメ「イジらないで、長瀞さん」ED.
眩暈(目まい)は、三半規管などが感知する体の姿勢が、実際の状態からずれていることによる。
現実は常に認識されている。ただ、通常は、無意識にそれがなされる。
我々は、ヒトの意識に目を向けるが、ヒトの意識の裏には、現実を認識する働きがある。
現実の認識と現実への適合が、生物の働きである。
祝いとは、成果への祝いである。
「前途を祝す」という言葉があるが、これは虚数的な表現だ。前途(可能性)を祝すのではない。前途の基盤となる新秩序の構築(成果)を祝すのである。
成果への祝いであるから、祝いは確固としていて、正当な行為である。
そして、祝いは、成果への道である。