大きすぎる目標

戦前・戦中日本の失敗のひとつは、大東亜共栄圏という目標が大きすぎたことであろう。日華事変(:日中戦争)を継続しながら大東亜共栄圏を建設することは、目標が大きすぎた:

目標が大きすぎる (理想に向かう中間目標の設定が拙い) *1

 その特徴:

 ・多様な個人・生活を軽視している *2。大きく少数のものを頼りにする。 *3

   その結果、以下の機序で損失が生じる:

    単一化による不具合が生じる (そして、不具合への対処が不足している)。

    骨ではなく殻をつくっており *4、駆使や巧い運用ができない。

 ・無限だと考えているもの(例えば、精神力・神通力など)を頼りにする。 *5

*1:
理想に拘泥した国力の使用は非常に危険

*2:
良い理想(現実的な理想)は、必要から生まれる。良い理想では、循環ができている。このブログ記事では、理想を目標と読み替える:

アドルフ・ヒトラー=著, 平野 一郎, 将積 茂=訳 : わが闘争 (下) (角川e文庫, 2016〈底本は、角川文庫, 2001〉) 位置No. 240/6648.

人々は一般に、最も崇高な美の尊さが、けっきょく、ただ倫理的な合目的性の中にだけ存するのとまったく同様に、最高の理想はつねに最も深刻な生活の必要に即しているということを知らねばならない。

アドルフ・ヒトラー=著, 平野 一郎, 将積 茂=訳 : わが闘争 (下) (角川e文庫, 2016〈底本は、角川文庫, 2001〉) 位置No. 247/6648.

人間はたしかに、高い理想に奉仕するために生きているばかりでなく、また逆にこの高い理想が人間としての存在の前提をなしていると考えてよい。そのように循環が形づくられているのだ。

*3:
(孫たちの戦後70年) 創作・研究の現場から(4) 理想社会をあきらめよう 歴史学者 中島岳志氏. 2015/ 7/ 2付 日本経済新聞 朝刊. 抜粋

今の社会が抱える問題や不安を一挙に「最終解決」し、理想の世界を実現できたら――。そんな純粋な欲求が、昭和の戦争へと人々を駆り立てたのではないか。歴史学者の中島岳志(40)は、こうした視点から戦前の日本を見つめる。

 その「理想」と「志」は自国と他国に多大な犠牲をもたらして失敗した。同じ過ちを繰り返さないためには「理想社会の現実化など無理なんだという、積極的なあきらめを持つことだ」と主張する。「人間が不完全である以上、不完全な社会をどこまでも生きて行かざるを得ないのだから」

*4:

(2017/4/9追記) *5:
関連: 創造力は無限ではない、貴重である。そして重要である

安心してお金が使える国

2011年 8月28日放送の、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」において、北川 弘美 さんは、「安心してお金が使える国」であってほしい、と言いました:

「安心してお金が使える国」とは何であるか、について、次の文章があります:

西部 邁 : 昔、言葉は思想であった 語源からみた現代 (時事通信出版局, 2012〈底本は時事通信社(2009)〉) 位置No. 233/3636.

「市」は、漢語でいって、「平」を意味します。換言すると、「公平な価格」で取引が行われる場所、それが「しじょう」であるはずなのです。ジャスト・プライス(適正価格、just price)あるいはフェア・プライス(fair price、公正価格)の通念が社会に何ほどか定着していてはじめて「しじょう」は成り立つ、とみなければなりません。

西部 邁 : 昔、言葉は思想であった 語源からみた現代 (時事通信出版局, 2012〈底本は時事通信社(2009)〉) 位置No. 241/3636.

交換における「自由」と一口にいいますが、情報不足のゆえに相手に騙されてしまう自由、やむをえぬ思慮不足のために流行に煽られる自由、不満足な条件におかれているせいで半強制的に何事かを選びとらされる自由など、様々な種類のものがあります。

暴力が富の再配分を保証する

不平等は「暴力」によって解消される – GIGAZINE (抜粋: TAKAGI-1 たんぶら 2017/ 1/28)

「歴史上のどの時点においても、暴力が富の再配分を保証するのに必要だったということは、普遍的な事実です」と語るのはスタンフォード大学で人文学と古典・歴史の教授を務めるWalter Scheidel氏です。Scheidel氏は「The Great Leveler」の著者であり、本書の中で、石器時代から現在までの歴史の中で、多くの不平等が暴力によって解消されてきたという事実を明らかにしています。

至道 流星 : 雷撃☆SSガール (講談社BOX, 2009) p.270.

「理想の社会なんて、最初から無いってわかってる。だからこそ、蓄積する負債と腐敗を掃除するのに、周期的な革命か大戦が必要だと思うわ。今なら一〇〇年単位でね。今までも人類はそうやって矯正してきたし、そしてこれからもきっとそう。でも私なら、これから三〇〇年維持できるシステムを創り上げてみせる」

注意:
富の再配分は重要な課題ではあるが、社会全体の一側面にしか過ぎない。

臨書に対する、日本人と中国人の向かい方の違い

書道の作品は、単なる文字情報ではない。

漢文の臨書では、日本人は意味を完全には掴めないので、意味を推量するため頭を使いつつ、作品をよく見て字の形・勢い・配置・墨色、さらには紙・表装にわたって情報を集めようとするだろう。

臨書に対し、日本人は、中国人よりもローコンテクストな(文字情報への依存度が低い)向かい方をすることになる。

闘争がもたらす安定

闘争、即ち主体間の相互作用は、2つの安定をもたらす。

動的安定と、将来の社会成長を予感させることによる安定である。

初出:
Facebook 2016/12/21

関連:

労働運動における「闘争」

どっちも正しくて、両派の間を人が行ったり来たりしているのが良い状態

「君の名は。」(2016) 鑑賞メモ

2016年11月の週末、新海 誠 監督作品 映画「君の名は。」(2016)を見て参りました:


● 「結び」は、時間そのもの。

「結び」について、私は、

 ・現在時における、空間次元のつながり

は、常に認識していましたが、この作品で、改めて

 ・時間次元でのつながり

について、認識しました。

映画『君の名は。』三葉のおばあちゃんの名言。“結び”というワードが深い。 | かずのUPノート

寄り集まって形を作り、
捻れて絡まって、時には戻って、
途切れ、またつながり。
それが組紐。それが時間。それが結び。

糸を繋げることも結び
人を繋げることも結び
時間が流れることも結び

● 奇跡の条件

最終的に、町長の決断が町を救った。トップはいるべきである。

トップがいても奇跡が必ず起こるわけではないが、最高意思決定が合議制では、奇跡は起こせない。

● 飛騨弁は、関西弁に近い

飛騨弁 – Wikipedia

北陸方言の影響を受けているからだそう。

31音に圧縮されたヒトの思考・行動

自分の行動は、神話やその頽落した形式である物語によってすでに語られていることの拙劣な模倣に過ぎない。

  ――セネカ「文学なき生活は生ける人間の死であり埋葬である」に対する
Abraxas さん解説より。

そうであれば、ヒトの思考・行動は(ほぼ全て)、和歌に詠まれていることになる。

和歌という31音の圧縮された形態に、ヒトの思考・行動が表現されていることは、日本語の利点である。そのような言語体系を、人類は手にしているのだ。

室田女流の揮毫

室田女流の揮毫を見ていて思ったのだけれど、字を「∠」の形に整えていらっしゃる。「笑」と「無」が分かりやすい。

そのために、「笑」・「無」の第1・2角の「ノ一」は、「レ」の形になる(2角を続けた上で、全体を30度左回転させる)。

また、「期」・「笑」の左下の払い「ノ」は、高さを縮める必要から、払わずに「丶」にしたり、「ノ」を寝かせている。

ここで工夫しているのが「邪」と「福」の最も右下の角である。字の全体を「∠」の形にするためには、縦方向に大きくしなければならないが、それだけでは、字が左方向に倒れそうになる。そこで、「邪」では右方向に大きめに膨らませることで、「福」では「田」を「▽」字型にしたうえで「9」のように口を閉じないことで処理している。

初出:
Facebook 2016/11/ 6

「欅坂46」ナチス風衣装問題は「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」の文脈で考えるべき

アイドルグループ「欅坂46」のナチス風衣装が問題になっています。この衣装は、彼女たちの歌「サイレントマジョリティ」をイメージした衣装のようです:


歌詞 サイレントマジョリティー – 欅坂46 – 歌詞 : 歌ネット

(閑話休題: どうして「No! と言いなよ! サイレントマジョリティ」なのか、どうして「何か言いなよ! サイレントマジョリティ」ではないのか、が私が歌詞について疑問なところです。関連: 反対だけでなく、賛成も表明しよう)

歌詞は、反・管理社会=反・社会主義=反・〈日本の戦前・戦中の統制派革新官僚の思想〉です。ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)風衣装という発想は、選択肢の一つとして必然でしょう。

サイレントマジョリティとナチスというと、この詩が想起されます:

マルティン・ニーメラーの言葉に由来する「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき – Wikipedia [2016年11月13日 (日) 09:46 の版]

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

この詩は、反・ナチス風衣装を意味しません。むしろ「彼らが最初に欅坂46を攻撃したとき、」と読めるのです。

初出:
Facebook 2016/11/ 6

徳政論争


日本史における帝王学の例のひとつは、徳政論争だろう。

日々是学ぶ!第三十二回 平安京の造作、徳政論争|日々是学ぶ!

高校日本史学習ノート 軍事と造作(徳政論争) (高校日本史)