アジアにおける「フランス革命」と「自由と繁栄の弧」、役割を変容させて2度目の働きをする日本

アジアにおける「フランス革命」と「自由と繁栄の弧」、役割を変容させて2度目の働きをする日本フランス革命初期における革命家たちの言に、私は、「八紘一宇」をみた:

安達 正勝 : 物語 フランス革命 バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで (中央公論新社, 2013〈底本は中公新書(2012)〉) No.226/4054.

(アナカルシス・クローツのコルドリエ・クラブでの演説)

人々はボルドーからストラスブールに行くのと同じように、パリから北京へと行くだろう。船の連なる大洋が沿岸を結ぶだろう。東洋と西洋は連盟公園で抱擁しあうだろう。

これが実現したのは、大東亜戦争後のアジア諸国の独立後であった。すくなくとも、アジア諸国の独立が成って、はじめて実現可能なのであった。

ここから、私は、次のように考えた:

アジアにおける「フランス革命」の前半において、その主体となったのは、日本であった。

大きな出来事は、明治維新(日本における近代国家の成立、日本国民の自覚の誕生)と大東亜戦争(アジア植民地体制の破壊)である。振り返れば、日本(大日本帝国)は、東洋の革命国家であった。

アジアにおける「フランス革命」の後半は、アジア人の手によって行われた。日本は、経済(実)を成長させ続け、同時に、環境問題などの課題解決を続けてきた。

今、日本は、価値観外交――普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済)に基づく「価値の外交」――という考えのもと、「自由と繁栄の弧」政策を進めている。

欧州における「フランス革命」とアジアにおける「フランス革命」により価値観を同じくする、
 ・経済と課題解決の経験の大国であるEUと日本
 ・高度成長するインド・アジア
が強固に結ばれた姿は、フランス革命の当初に革命家たちが願った姿であり、それは人類普遍に願われた一つの姿である。

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