0902/0903 フォジャ・ド・サンフォン「モンゴルフィエ兄弟の気球体験記」(1783-1784)

知の森 09 飛行 | [世界を変えた書物] 展

フォジャ・ド・サンフォン(1745-1819)
「モンゴルフィエ兄弟の気球体験記」, パリ, 1783-1784年, 初版.

Faujas de Saint-Fond, Barthelemy. (1745-1819)

Description des Experiences de la Machine Aerostatique de MM. de Montgolfier,,,. Paris, 1783-1784, First edition.

世界を変えた書物「工学の曙文庫」『モンゴルフィエ兄弟の気球体験記』

0902/0903 Faujas de Saint-Fond (1783-1784)

0902/0903 Faujas de Saint-Fond (1783-1784)

0902/0903 Faujas de Saint-Fond (1783-1784)

0901 ラナ・テルツィ「偉大な技術に基く新発明」(1670)

知の森 09 飛行 | [世界を変えた書物] 展

ラナ・テルツィ (1631-1687)
「偉大な技術に基く新発明」, ブレスキア, 1670年, 初版.

Lana Terzi, Francesco. (1631-1687)

Prodromo overo saggio di Arcune Inventioni Nuove,,,. Brescia, 1670, First edition.

0901 Lana Terzi (1670)

0901 Lana Terzi (1670)

[世界を変えた書物]展 感想と会場

2015年11月23日、大阪梅田のグランフロント大阪にて「[世界を変えた書物]展」を見てきました。

[世界を変えた書物]展 top

感想

祝日かつ最終日だったせいかもしれませんが、たいへんな賑わいでした。それも、老若男女まんべんなく。堅めの理系の展示であるのにです。

我が国の、書籍、及び科学知を尊ぶ層の厚さを、見ることになりました。その活用がうまくされる限り、我が国の未来は明るいです (初出: Facebook 2015/11/23 )。

今回の展示と、昔の文字情報を対象とする面で似ている展示が、京都大学総合博物館の「日記が開く歴史の扉 – 平安貴族から幕末奇兵隊まで –」(2003年)です。

「日記が開く歴史の扉」展が手書きの日記を対象にしていたのに対し、[世界を変えた書物]展は、出版された活字の書籍を対象にしています。

私の反応には違いがあり、手書きの日記からは書き手に関心が向かいましたが、出版された活字の書籍からは読み手に関心が向かいました。

会場

会場の、大阪梅田のグランフロント大阪 北館 ナレッジキャピタル。なお、インフォメーションのおねえさんが、めっちゃ美人でした:
Knowledge Capital

展示会場は地下の「イベントラボ」。そこに向かうエスカレータの横には、縦 4~5 m の大きなポスターが張られていました:
Big display of exhibit "THE BOOKS THAT CHANGED THE WORLD"

エスカレータを降りた正面:
Entrance of exhibit "THE BOOKS THAT CHANGED THE WORLD"

入り口:
Entrance of exhibit "THE BOOKS THAT CHANGED THE WORLD"

写真撮影 OKでした:
Exhibit "THE BOOKS THAT CHANGED THE WORLD"

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航空における操縦・制御の重要性

これを見ると、航空において操縦・制御がいかに重要かが分かります。

飛行機の開発において、ライト兄弟が採った方針は、不安定だけれど、だがそれ故に操縦しやすい機体でした。そして、グライダーで操縦術を修得してから、動力飛行の実験に取り組んだのです。

グライダーといえば、リリエンタールがいますね。リリエンタールは、グライダーで飛びまくりました *。

操縦者の重心移動により操縦する当時のグライダーには、大きな欠陥がありました。操縦者が反射的に体を動かすと姿勢を崩し墜落するのです。

人は高いところから落ちる時に、反射的に脚を地面に向けます。しかし、グライダーが正面から見て傾いた(ロール・ヨー・ピッチでいう、ロール回転)ときに、脚を地面に向けると、傾きはさらに大きくなり、墜落に至ります。脚は地面から離れた方向に向けるべきなのです。でも、人にはそれができないのです。

* リリエンタールは、グライダーでの飛行だけでなく、翼の実験装置を自ら作って研究もしています。リリエンタールの実験結果は、その後の飛行機開発者に使われました。もちろん、ライト兄弟にも (ただ、使い方を間違えて、少し遠回りをしました)。

初出:
Facebook 2015/10/21

加古川・篠山川と武庫川

JR加古川線は、加古川に沿っている。

加古川線を北上すると、終点2つ前の船町口駅の先からは、篠山川(船町口の北で、加古川に合流する)に沿い、福知山線との乗り換え駅・谷川駅、さらに福知山線の大阪方(東方)の丹波大山駅まで線路は篠山川と並行する。

篠山川は、さらに東に向かって上っていく。

対して、福知山線の大阪方は、南に進路をとる。福知山線は、さらに大阪方の草野駅付近からは、武庫川に沿う。

大昔、篠山川の上流は、武庫川に流れ込んでいた。その流路が篠山口付近で堰き止められ、その後、加古川に合流する現在の篠山川の流路ができた。

河川争奪2 waybackマシン

太古、武庫川と篠山川がおなじ川だった

 篠山盆地をながれる篠山川がその大昔には、武庫川に向かって流れていました。(野村1984)

最終氷河期になるまでは、篠山川の水は武庫川に流れていましたが、傾斜が緩やかなため排水はよくありませんでした。
最終氷河期のとき、当野あたりの基盤岩が岩屑となって武庫川に堆積しました。そのため、流れは著しく悪くなりました。

流れがとまり、排水の悪いときの堆積物が弁天黒土です。
篠山盆地全体の排水がわるくなり、各地に扇状地ができました。
そして、川代渓谷ができると、排水がよくなり、それまで盆地にたまった堆積物の侵食がはじまりました。

現在では、

・加古川水系の篠山川の上流の籾井川の上流

と、

・武庫川水系の羽束川の上流の天王川

は、大阪府能勢町の北端の天王峠で近接する。ここが、現在の加古川水系と武庫川水系の分水界である。

羽束川は、福知山線道場駅の北に広がる千苅水源池に流れこみ、その後武庫川に合流する。

初出: Twitter 2015/ 8/16 10:12 10:21 10:27

ムーアの法則と仲間たち

遠藤 諭 : 神は雲の中にあらわれる 第122回 みんな〝ムーアの法則〟のせいなのさ!. 週刊アスキー, 2015/5/12-19号, p.146 (2015/ 4/28 発行・発売).

ムーアの法則 (Moore’s law) 18ヵ月で集積密度は2倍になる

クライダーの法則 (Kryder’s law) 13ヵ月でハードディスクの記憶密度は2倍になる

ニールセンの法則 (Nielsen’s law) 21ヵ月でネットの帯域幅は2倍になる

ビル・ジョイの法則 (Bill Joy’s law) 12ヵ月でプロセッサーの最大性能は2倍になる

ギルダーの法則 (Gilder’s law) 6ヵ月でネットのコミュニケーションパワーは2倍になる

鉱山化

鉱脈が見つかっても、開発して鉱山にして、はじめて利益をもって鉱石が手に入る。

鉱山化は本質的に重要である。

例1: ビジネスモデル

鉱山の例のひとつは、ビジネスモデルである。眠れる価値(ビジネスモデルなしでは、活用されない、あるいはお金にならずに使用される価値)をお金にする。 ビジネスモデルのおかげで、能力ある者が、金を稼ぎ、金を使い、人々が食っていける。

例2: 肥料

原始以来、落ち葉・糞尿から肥料が作成された。落ち葉・糞尿が肥料に変わる仕組みが「鉱山」である。

肥料の成分が化学的に解明され、リン鉱石から化学肥料が製造された。リン鉱石から肥料に変わる仕組みが「鉱山」である。

さらに、大気中の窒素ガスから化学肥料が製造された。エネルギーと空気が肥料に変わる仕組みが「鉱山」である。

例3: エネルギー

原始以来、木材からエネルギーが得られた。山がエネルギーに変わる仕組みが「鉱山」である。

石炭・石油などの化石燃料が掘り出されエネルギーが得られた。岩盤・砂漠がエネルギーに変わる仕組みが「鉱山」である。

さらに、今、水素をエネルギー媒体に利用する大規模な取り組みが始まっている。さまざまな今まで利用できなかったエネルギーを、水・水素を介して利用する仕組みが「鉱山」である。

補足:
肥料とエネルギーは、共に、

 再生可能資源を用いた「鉱山」
    ↓
 化石資源を用いた「鉱山」
    ↓
 容易獲得物質を用いた「鉱山」

という歴史を歩み、或いは歩みつつある

水素エネルギーとハーバー・ボッシュ法、技術決定論と唯物史観

要点:
肥料とエネルギーは、再生可能資源から化石資源へ、化石資源から容易獲得物質へ、という歴史を歩み、或いは歩みつつある。

エネルギーにおいて、容易獲得資源とは水(エネルギー媒体としては水素)である。

これらは、生産力に関する新たな革新である。それを実現する、生産力に関する新たな技術は、唯物史観によれば、技術決定論の文脈に語られる技術のなかで最も影響力が大きい。

1.水素エネルギーとハーバー・ボッシュ法

水素エネルギーの実用化は、大気中の窒素から肥料を作るハーバー・ボッシュ法の実用化(1912年)に似ている。

人類は、木材・木炭などの再生可能エネルギーから、石炭・石油などの化石燃料に転換することで、滅亡を免れた。

例えば、昔の製鉄には木炭が使われていたが、製鉄のための森林伐採による森林の減少が問題化した。行きすぎた森林伐採による鉄の生産量の急激な減少は、人類を窮地に立たせたであろう。人類を食わせているのは、鉄製の機械や道具が重要な役割を果たす人類社会であり、鉄の生産量の急激な減少は、それを維持できなくするからである。

ヒトが人として生きるためには、外部から食糧以外のエネルギーの供給が必要である(人類はその誕生の瞬間からして、その存在を外部エネルギー源に依存している)。現在の、人類人口を支えているのは、化石燃料や原子力である。さらに言えば、大人口が生存する前提である政治の安定も、高エネルギー消費によって実現されてきた

地球上に溢れた資源から肥料を作り出した、ハーバー・ボッシュ法の実用化にあたる、エネルギー界での出来事は、水素エネルギーの実用化であろう。

もちろん、水素エネルギーは、電気と同じ二次エネルギーである。水素を作るためには、他のエネルギー源(一次エネルギー)が必要である。しかし、いままで使えなかった一次エネルギーを水素の形態で使えるようになることの意味は大きい。鉱脈が見つかっても、開発して鉱山にしてこそ、はじめて利益をもって鉱石が手に入る。水素エネルギーの実用化は、鉱脈(:いままで使えなかった一次エネルギー)だけがある状態を、それを利用できる鉱山がある状態にする

2.技術決定論と唯物史観

ハーバー・ボッシュ法の実用化が人口の急増を起こしたように、水素エネルギーの実用化は、人類に繁栄と変化をもたらすだろう。

水素エネルギーの実用化は、生産力に直結する。生産とは、すなわちエネルギーの消費であるからだ。生産力に関する新たな状況は、唯物史観によれば、経済のみならず、文化などを含む社会全体の改革を引き起こす。生産力に関する新たな技術は、技術決定論の文脈に語られる技術のなかでも最も影響力が大きいと考えられる。

下部構造 – Wikipedia [2015年2月1日 (日) 16:26 の版]

唯物史観では、歴史を動かす基本的な動力は生産力と生産諸関係との矛盾にあるものと考えられた。すなわち、ある時代の生産力は、その時代の生産諸関係を規定し、何らかの要因で生産力が向上し、生産諸関係との間に矛盾が生じると、社会革命の時期が始まり、経済的基礎の変化と共に巨大な上部構造全体が徐々にあるいは急激に変革されると考えられたのである。

準惑星と太陽系小天体

準惑星
 ・小惑星帯に存在
   ・ケレス
 ・冥王星型天体
   ・冥王星
   ・エリス
   ・マケマケ
   ・ハウメア

太陽系小天体
 ・太陽系外縁天体
 ・小惑星
   ・小惑星の一覧 (1-1000)
   ・パラス
   ・ジュノー
   ・ベスタ
   ・アストラエア
   ・ヘーベ
   ・イリス
   ・フローラ
   ・メティス
   ・ヒギエア
 ・彗星
 ・惑星間塵

コンピュータを創った偉人たち

日本電子計算機株式会社(現、株式会社 JECC(ジェック)) JECC NEWS 2010年7月号~2012年12月号:

(1) ジョン・フォン・ノイマン(1903~1957年)
(2) アラン・チューリング(1912~1954年)
(3) ウィリアム・ショックレー(1910~1989年)
(4) ジョン・モークリー(1907~1980)/ ジョン・プレスパー・エッカート(1919~1995)
(5) チャールズ・バベッジ(1791~1871年)
(6) クロード・エルウッド・シャノン(1916~2001年)
(7) コンラート・ツーゼ(1910~1995年)
(8) ジョン・ヴィンセント・アタナソフ(1903~1995年)
(9) ハワード・エイケン(1900~1973年)
(10) ジェイ・ライト・フォレスター(1918~ )
(11) グレース・マリー・ホッパー(1906~1992年)
(12) ブレーズ・パスカル(1623~1662年)/ ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646~1716年)
(13) ヴァネヴァー・ブッシュ(1890~1974年)
(14) ジョージ・ブール(1815~1864年)
(15) エイダ・ラブレス(1815~1852年)