トマトジュース

トマトジュース。カゴメ。

ジュースだと思うから違和感があるのであって、冷製スープだと思えば違和感がない。以前、世田谷自然食品のCMで、同社の野菜ジュースをそのままスープとしてコース料理の中に出すというドッキリ企画があったが、あれはトマトジュースへの向き合い方として正しい。

麻婆豆腐

故 陳建一 さんの教えに従い、焦げる寸前まで、火を入れる。

阪神がアレしたけれど

2003/ 9/16 : 阪神優勝、在阪 TV 局 Web もトラの装い

スイッチ

スイッチを買った。


トイレの温水便座の電源ケーブルに噛ました。このスイッチには雷サージ機能があり、大事な温水便座を雷から守るために付けた、、、のではない。

温水便座の「停止」ボタンがお亡くなりになられたのだ。「停止」したいときには、このスイッチで主電源を落とすのだ。そして、再度 電源を入れ、洗浄ノズルをゼロ点に戻すのだ。

さて、「洗浄」ボタンも2週間ぐらい前に亡くなられた (大丈夫、まだ「ビデ」がある)。2つのボタンが同時期に逝くとは、品質が管理がされている。私が引っ越してきて7年。その時に新品だったとして、1年に500回押すとして、累計 3500回か。

、、、ん? 少なくないか。1人暮らしだから いいものの、4人家族なら 2年未満で壊れるのは、問題ではないか。16連射の高橋名人なら、220秒で壊れちゃうぞ。

都市交通審議会答申第7号(1963年)・第13号(1971年)

大阪市の概況について

p.8に 都市交通審議会答申第7号(1963年)「大阪市及びその周辺における高速鉄道の整備増強に関する基本計画について」、
p.9に 都市交通審議会答申第13号(1971年)「大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網整備増強に関する基本的計画について」 の図が載っている。

鉄道ファンの大阪府吹田市のタレント斉藤雪乃さん

新型新幹線E5系、東京駅に登場 11年春に東北新幹線で運転 – 47NEWS(よんななニュース) (2009/12/ 9)

新型新幹線E5系、東京駅に登場 11年春に東北新幹線で運転

 国内最速の時速320キロでの営業運転が予定されている東北新幹線の新型車両(E5系)が9日夕、東京駅に「初お目見え」した。

 エメラルドグリーンと白のボディーにピンク色のラインが入り、先頭車両の鼻先が極端に長い独特の形状。速度を落として東北新幹線の20番線に入ると、居合わせた一般の利用客らが「おーっ」というどよめきと拍手で出迎えた。

 JR東日本は、2010年度末のE5系営業運転開始に向け、宮城県内や岩手県内などで試験走行中。今回の東京駅への入線は、停車位置や利用客の乗降場所の確認が目的。

 仕事で上京中だった鉄道ファンの大阪府吹田市のタレント斉藤雪乃さん(23)は「イラストでしか見たことがなく、実物はとてもきれい。開業する時にはぜひ乗りたい」と話し、熱心に携帯電話のカメラで撮影していた。

生き残った人間はそれくらいは頑張らんと

春秋. 日本経済新聞, 2023/ 8/ 9, 1面.

想像を超えたあの悲劇は、一体どうすれば後世に伝わるのだろう。長崎で被爆した深堀好敏さんは戦後悩んだ。考えた末、辿(たど)りついた答えが写真だ。「被爆者がいなくなった時、実相を伝える写真が要る」。今年5月に94歳で閉じた生涯を、原爆写真の収集にささげた。

……

凄惨な写真と対面するのは苦しい。ですけど生き残った人間はそれくらいは頑張らんとですねえ。深堀さんは語った。

阪急新大阪千里環状線

【謎】阪急千里線・南千里駅~箕面線・桜井駅の延伸に関するメモ | Stella Rail Side では、阪急千里線の南千里駅(旧称、新千里山駅)から北側の区間の建設について、阪急・北大阪急行の社史や公的資料をもとに丁寧に調査されています。

その中で触れられていたのが、関西空港と大阪がリニアで結ばれる!? 実現してほしかった未成線ランキング 関西編 | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME’S PRESS】の「阪急新大阪千里環状線」。

関西空港と大阪がリニアで結ばれる!? 実現してほしかった未成線ランキング 関西編 | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME’S PRESS】

3位:阪急新大阪千里環状線(338票)

1948(昭和23)年、当時小型車が走っていた京阪神急行電鉄(現 阪急電鉄)宝塚本線の混雑を緩和しようと、大型車で神戸本線に乗り入れるために宝塚本線曽根駅~神戸本線神崎川駅の免許を取得するも、実現していなかった。その後1961(昭和36)年に宝塚本線の混雑緩和を目的に、淡路駅から北へ延びていた千里山線(現 千里線)の終点千里山駅と箕面線の桜井駅をつなぐ路線の免許を取得。現在の南千里駅(旧 新千里山駅)や千里中央駅を経て桜井駅へ至る計画で、1963年には千里山駅~新千里山駅を開通させた。また、1964年の東海道新幹線開業を前に、1961年には新幹線が発着する新大阪駅へのアクセスと京都本線の混雑緩和のため、十三駅~新大阪駅~淡路駅と、神崎川駅~新大阪駅の免許も取得しており、これによって新大阪駅~淡路駅~千里山駅~桜井駅~曽根駅~神崎川駅~新大阪駅の環状線計画が形作られた。

「阪急新大阪千里環状線」という呼び方は初めて見ましたが、環状路線の計画については、下記の記述から知っていました。

川島 令三 : どうなる新線鉄道計画 西日本編 (産調出版, 1994/10/25) pp. 120-121. (「阪急千里線延伸」の章)

【路線概要】 阪急では吹田市・箕面市・豊中市などをめぐる環状路線の計画を待っていた[原文ママ。「持っていた」が正だと考える]。具体的には、北千里から国道171号線に出て, 同国道に沿って西進し箕面線桜井まで延ばし, 宝塚線曽根より同電鉄の免特許線を経由して新大阪に至り, そこから十三[原文ママ。「淡路」が正だと考える]を経て再び千里線に至るルートである. 当初は南千里一北千里間は支線とし, 南千里から桜井までの新線を千里線の本線としていたが, 北大阪急行の建設で北千里経由に変更したのである.