国鉄高砂線の存続(第3セクター転換)構想

国鉄高砂線の存続(第3セクター転換)構想国鉄高砂線が、バス転換が適当とされた第一次特定地方交通線に指定された後、高砂市が同線の第3セクターとしての存続を模索した。しかし、高砂線が山陽本線をオーバークロスして接続していた加古川駅の高架化工事の費用を低減したい加古川市が難色を示し、また加古川橋梁が老朽化していたことから、高砂線は存続されなかった。

 廃駅をめぐる  【1】 | DRFC-OB デジタル青信号

高砂線は、第一次地方交通線に指定され、昭和59年12月に、加古川~高砂6.5キロが廃止になり、神姫バスに転換している。その歴史を探ると、播州鉄道が大正2年に高砂線の前身となる加古川~高砂口(のちの尾上)を開業、のちに延長された。播州鉄道は、播丹鉄道に譲渡され、昭和18年に国鉄に買収されて、高砂線となっている。
国鉄高砂工場が高砂の手前にあって、出入場には高砂線が使われていたので、高砂線は安泰かと思われていたが、工場そのものが廃止になり、高砂線もあっさり廃止になった。地元の高砂市でも、第三セクターとしての存続を模索するが、加古川市が難色を示し、結局、鉄道としての存続は叶わなかったとされる。

藤本 雅之: 高砂線の産業遺産. 近畿の産業遺産(近畿産業考古学会誌), 7号(2013/3/31) 17-24.

(3) 廃止への動き
 加古川市史に「本線高架計画と高砂線問題」と題した1983(昭和58)年7月1日付の神戸新聞の記事が次のように掲載されている.『高砂線廃止へ動く 山陽本線高架化を優先 (加古川市) 市会高架駅周辺整備特別委員会で 「赤字ローカル線の国鉄高砂線対策協議会は終止符を打つべき時に来ている」述べ, 事実上, 加古川市が高砂線廃止に向け動き始めていることを明らかにした (中略) 「高砂線を残した場合の高架化事業費は293億円, 残さない場合は240億 円. 事業を早く進めるには来年度には事業認可が必要で, 遅くとも8月中旬までに高砂線に対する態度をはっきりさせるべきだ」』と国鉄大阪鉄道管理局前地方交通線対策部長の土屋開発部長のコメントを紹介している 7).

 この記事から高砂線は, 山陽本線をオーバークロスして加古川駅に進入する線形が加古川駅高架に際し費用負担が増えることに影響し, 第3セクター転換を選ぶことが出来ず, 廃止になったようにも読みとれる.

 この後, 1984(昭和59)年2月1日に高砂港-高砂間が廃止され, 同年12月1日に加古川-高砂間が廃止された.

7) 加古川市史編さん専門委員 『加古川市史 第六巻 本編IV (近・現代編)』 兵庫県加古川市, 1992年.

国鉄高砂線廃線跡レポ(4) 尾上~高砂北口間 – エルガが行く

なおこの路線に関しては沿線人口が第一次特定地方交通線としては多かったため第三セクターへの転換も検討された。しかし加古川橋梁の老朽化が激しかったこともあり、転換計画は頓挫。1984年2月1日に先行して貨物営業と高砂~高砂港間が廃止。残った区間も1984年12月1日をもって廃止された。

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