「教育勅語 (教育ニ関スル勅語)」(1890年=明治23年)の、日本人・日本語の形成にもたらした役割は大きいと考える。
当時は、対外戦争として国民意識が高まる日清戦争以前である。藩に分かれていた日本がひとつの国として国民に認識されるためには、国民すべてが声に出せるテキストが有効であった。
「国家は自然なものではない」(水村 美苗 : 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008) p.108.)。そして、社会的存在である人間らしさは、不自然さを必ず持つ。
日本語の形成といえば、司馬遼太郎は「坂の上の雲」において、日露戦争終戦後の「聯合艦隊解散之辞」(1905年)をその文脈に捉えたが、国民すべてが声に出せるテキストとして「教育勅語」が与えた役割のほうが大きいと考える。