水村 美苗「日本語が亡びるとき」

     

評価・状態: 得られるものが秀逸・多量な本★★★



購入: 2010/ 2/11
読了: 2011/ 1/28

404 Blog Not Found:今世紀最重要の一冊 - 書評 - 日本語が亡びるとき
日本語が亡びるとき - kany bookshelf

Twitter / @TAKAGI-1 高木 一: @yonda4 日本語が亡びるとき Xanadu、海国兵談が関連。社会における言語史。私は〈叡智を求める人〉でありたい。

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この本からの引用、または非常に関連する記事

全 6 件

文字がない世界

記事ページ 発行: 2011年01月29日

文字がない世界において、人は自分の知識だけを頼りに活動しなければならない *。

文字を単なる模様ではなく文字であると認識する

形を理解できる(字体・手書きの癖に関わらず、文字を同定できる)

辞書で調べられる

この流れに支障があれば、それは文字がない状況と同じである。

発想の元:
水村 美苗 : 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008) pp.179-180.

>第二次大戦後、アメリカの占領軍は、日本語をローマ字表記をすることを提言した。わけのわからない文字に囲まれたアメリカ兵の困惑と恐怖を思えば当然の提言でもあった。


* ただし、ピクトグラムを頼ることはできる。

 

「アテネの学堂」のこちら側

記事ページ 発行: 2011年02月27日

要約: 表現者・生産者ではない人々による支持・称賛は極めて重要である。


ラファエロの絵画「アテネの学堂」には名だたる哲学者たちが描かれている。この絵画は人気があり、西暦1510年ごろに描かれたが現存している。

さて、本記事のタイトル“「アテネの学堂」のこちら側”とは、絵画を見ている側を指す。

絵画「アテネの学堂」の価値は、“こちら側”の支持・称賛によって支えられている。

この支持・称賛の対象には、絵画の美しさと絵画のテーマがある。

後者は即ち、思想・知的なものへの支持・称賛である。

表現者・生産者ではない人々による支持・称賛は極めて重要である。

関連引用:
"Everyone is an artist"? | *arts marketing.jp

>「価値」には2つあって、「対価」としてあらわれる価値と、「称賛」としてあらわれる価値があると思うのね。(この「称賛」という言葉もちょっとうまく言えてない気がするけど、こちらも暫定的に。)
でも、今は「価値」=お金になる、産業になる、としか考えていないんじゃないんかな、って政策が多いような気がする。※例は割愛。いつか改めてエントリするかも
それももちろん大事だけど、でも順番としては、「創造されたもの」と「それを作った人」に対し、それを認めること・・・「称賛」があって、初めて「対価」というのは発生されるのだと思う。
その「称賛」のシステムつくりというか土壌作りというか、そういうのが抜けちゃっているんじゃないかと


内田 樹 : 街場のメディア論 (光文社新書, 2010) p.171.

>誰かが「これは贈り物だ」と認識して、「返礼せねば」と思うまで、それは厳密な意味では「贈り物」ではないのです。その品物には「ハウ」は含まれない。返礼義務を感じたものの出現と同時に「ハウ」もまた出現する。贈り物そのものには「ハウ」は内在していない。「これは贈り物だ」と思った人の出現と同時に、贈り物は「ハウ」を持ち始める。


内田 樹 : 街場のメディア論 (光文社新書, 2010) p.184.

>「ものそれ自体に価値が内在するわけではなく、それを自分宛ての贈り物だと思いなした人が価値を創造する」


水村 美苗 : 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008) p.144.

>学問とは、なるべく多くの人に向かって、自分が書いた言葉が果たして〈読まれるべき言葉〉であるかどうかを問い、そうすることによって、人類の叡智を蓄積していくものである。


水村 美苗 : 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008) p.302.

>国語教育の理想を、すべての国民が書けるところに設定したということ、国民全員を〈書く主体〉にしようとしたこと――それは、逆にいえば、国語教育の理想を〈読まれるべき言葉〉を読む国民を育てることに設定しなかったということである(...)。ところが文化とは、〈読まれるべき言葉〉を継承することでしかない。〈読まれるべき言葉〉がどのような言葉であるかは時代によって異なるであろうが、それにもかかわらず、どの時代にも、引きつがれて〈読まれるべき言葉〉がある。そして、それを読みつぐのが文化なのである。



関連:
消費的な知的行為の成果はフィルタリング
http://nhm.blog75.fc2.com/blog-entry-485.html

 

「知的ネット社会の設計」 #知的ネット社会の詳細設計 関連 --- 国において、国民意識が国歌・国旗・国章や行政サービスなど様々な仕掛けによって醸成されている

記事ページ

 

夏目 漱石「三四郎」

記事ページ 発行: 2011年02月15日



購入: 2011/ 2/15
読了: 2011/ 4/24

関連:
水村 美苗「日本語が亡びるとき」
http://homepage2.nifty.com/mukyu/books/booknet/blog-entry-2896.html

 

悲劇のエピソード

記事ページ


災害の後においてみられる、悲劇のエピソードの報道は「教科書に載らない」 情報である。

水村 美苗 : 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008) p.251.

この世には二つの種類の〈真理〉がある。別の言葉に置き換えられる〈真理〉と、別の言葉には置き換えられない〈真理〉である。別の言葉に置き換えられる〈真理〉は、教科書に置き換えられる〈真理〉であり、そのような〈真理〉は〈テキストブック〉でこと足りる。ところが、もう一つの〈真理〉は、別の言葉に置き換えることができない。それは、〈真理〉がその〈真理〉を記す言葉そのものに依存しているからである。その〈真理〉に到達するには、いつも、そこへと戻って読み返さねばならない〈テキスト〉がある。

...

 アリストテレスがいまだ読み続けられているのは、かれの書いたものが〈テキストブック〉には還元できない〈テキスト〉でもあるからにほかならない。



 

タイ王国 国王の崩御の報に際し

記事ページ

タイ王国 国王の崩御の報に際し、国王と国民の関係と、頻発する政変・クーデタを知るに、畏れ多くも 考えたことは:

タイ国王は、〈タイたること〉とタイ国民をつなぐ媒体であるのではないか、ということである。〈タイたること〉が国王の肉体・行為を通じて、タイ国民につながっているのだ。

〈タイたること〉は、  タイ国王の精神の粋に存在する(担保されている)のかもしれない。

ここで、思い出すのは、「国家は自然なものではない」( 水村 美苗 : 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008) p.108.)である。

タイ王国(に限らずどの国であっても)という人工物を成立させている仕組みのひとつが、国王なのである。




統治形態が一致していないタイと日本を同様に考えることは思考の精度が落ちるが、我が国の  天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である。

象徴とは、媒体の、とてもドライな、無機的な表現であるように思える(象徴とすれば、政治的意味合いを排した表現になる)。

初出:
Facebook 2016/10/15


 

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