司馬 遼太郎 : 坂の上の雲 8 (文春文庫, 1999) pp.288-289.
余談ながら明治期に入っての文章日本語は、日本そのものの国家と社会が一変しただけでなく、外来思想の導入にともなってはなはだしく混乱した。
その混乱が明治三十年代に入っていくらかの型に整備されてゆくについては規範となるべき天才的な文章を必要とした。漱石も子規もその規範になったひとびとだが、かれらは表現力のある文章語を創るためにほとんど独創的な(江戸期に類例をもとめにくいという意味で)作業をした。
真之の文章も、この時期でのそういう規範の役目をしたというべきであったろう。かれは報告文においてさかんに造語した。せざるをえなかったのは文章日本語が共通のものとして確立されていなかったことにもよる。その言いまわしもかれ自身が工夫せざるをえなかった。そういう意味で、かれの文章がもっとも光彩を放ったのは「連合艦隊解散ノ辞」である。