「さりとては」の者は

「さりとては」の者は、平均への回帰によって刈られ、現実に適応し、強化されるのである。

TVアニメ版「新世紀エヴァンゲリオン」で主人公・碇シンジは、居場所を見つけ、「逃げてもいい」という結論を得た。それは、人から人間への変化、即ち You(単数)からYou(複数)への変化であった。

人は成熟するにつれ、自分ではどうにもできないことについて、特定から一般になる。一方、自分の意思が反映できることについては、一般から特定になる。

一般のほうが、特定よりエネルギーが高いために、エネルギーの流れが生じ、そのなかで自己組織化により散逸構造が作られる。また、意思によっても構造は作られる。

そのようにして、新たな構造が作られるのだ。

補足:
本文章の着想の原点は、伏見 つかさ「俺の妹がこんなに可愛いわけがない〈11〉」 である。

関連ツイート:

言語による責任分割

言語が、責任を分割する。Aの言語による意思表明を、Bは確認し、その意思表明をAが反故した責任を、Bは(公的には)負わない。

責任の分割によって、他者との適切な距離が作られる。

新世紀エヴァンゲリオンセリフ集 第参話「鳴らない、電話」

大人になるってことは、近づいたり離れたりを繰り返して、お互いが余り傷つかずにすむ距離を見付け出す、ってことに。