我が主軸 2015年2月書付

[2015/12/30追記:] ※2015年12月30日に、加筆の上で正式版「我が主軸 2015年版」の公開を開始しました:

● 端書

私が自ら企画した事業、及び私が付託されている事業の一切を経営し、能率的な運営により、これを発展せしめ、もつて我が意図する方向に世界を遷移させることを目的として、ここに私を定義する。

初出: 第1条

● 理念

〈後につづく者たちが我々よりも苦しまない世の中を確固として構築し〉、且つ〈我々は犠牲の世代にならず、現在を確保し、未来を準備する〉ことにより、不幸の最小化を図り、以て幸福を最大化する。

● 〈判断・行動基準〉、即ち 志向

 ○ 産業興隆、叡智結拓

叡智を結び、集約し、難所を突破して、革新を行う。

革新によって、産業を興隆させ、民の気持ちの淀み具合を小さくし、以て社会に慣性をもたせ、社会に累積性を持たせる。

初出: 社会が持続的に発展するために

そのような社会は、文化的である。文化的であるとは、社会を構成する集団において帰納的な情報量(:物体も含め)が多いことである。文化の度合いは、社会の深さ、社会が認識・関係する世界の広さ、情報の共有・活用具合、の積(掛け算の答え)を示す。

初出: 文化に関する考察

関連:
価値は消費されて生存と文化を生む
経済的生産は知的歴史にとって基礎をなす
複雑性と付き合っていこう
叡智結拓のために

 ○ 高民立世、超民連絡

  ・高民立世

高民(=知的に高く または 広く、知性・知能を意識的に発揮し躍動する民)(多数)を世に立たせ、高民(多数)によって世を立たせる。

初出: 高民立世

関連:
「知的ネット社会」構成者の心得

  ・超民連絡

社会が天才・秀才ばかりである必要はないが、天才・秀才が生き・活きる社会であるべきである。

そのために、天才・秀才の思考(の一端)が共有されるべきである。それは、天才・秀才と一般能力者の架け橋になり(天才・秀才を得体の知れない者にしない)、且つ社会に天才・秀才を補給する後方連絡線となる。これによって、天才・秀才は孤立せず、消耗されない。

初出: 天才・秀才が生き・活きる社会

(補足: 〈産業興隆、叡智結拓〉と〈高民立世、超民連絡〉は、ユグドラシルからの想起と対応する)

● 水準

(短期的) 勝つために、思考し行動する。

初出: 「意味のないことをやる」ということに対して、緊張感をもって生きる

(長期的) 世界は、泡沫(うたかた)である。我々は生き残り、将来の秀でた人のために理論を、一般の人のために実例を、優れた形態で残すことにより、人類の累積性を高め、将来の人類の生き残りを図るべきである(それによって、また人類の累積性が高まる)。

我々は、可能な限り前進する。将来の人類は、さらにはるかに前進するであろう。

初出: 宣言

2015年 2月11日
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ユグドラシルからの想起

北欧神話では、世界樹 ユグドラシルの3つ根の下には、3つの泉がある:

一つは、ウルズの泉

 ウルズの泉において、ノルンたちは、ユグドラシルが枯れないようこの泉の水と泥を混ぜたものを常に注いでおり、お陰で樹勢が保たれている。

 私は、ウルズの泉は、産業を示唆していると考える。

二つには、ミーミルの泉

 ミーミルの泉には、知恵と知識が隠されているとされており、賢い巨人ミーミルが所有している。知識を求めて訪ねてきたオーディンは、泉の水を一口飲みたいとミーミルに頼み、代価に片方の眼球を求められ、これに応じたため以来片目となった。

 私は、ミーミルの泉は、知恵と知識を示唆していると考える。知恵と知識は、片目の価値がある。

三つには、フヴェルゲルミル

 フヴェルゲルミルでは、ニーズヘッグが、ユグドラシルの根をかじっている。

 私は、フヴェルゲルミルは、社会に寄生する者を示唆していると考える。

すなわち、社会は、産業と、知恵と知識に支えられる。そして、社会に寄生する者は、確かに存在する。

(各項目のWikipedia記事を参考した)

価値は消費されて生存と文化を生む

経済は文化のしもべである *1。

労働力は消費されて価値を生むが *2、
価値は消費されて生存と文化を生む。

*1 私は、JR九州の車両デザインで知られる水戸岡 鋭治 氏の著作で、この言葉を知った。一般には、ベネッセコーポレーションの福武 總一郎 氏の言葉として知られている。

*2 カール・マルクスの“労働価値説”。

文化に関する考察

文化 – Wikipedia [2015年1月22日 (木) 04:10‎の版]

広く民族学で使われる文化、あるいは文明の定義とは、知識、信仰、芸術、道徳、法律、慣行、その他、人が社会の成員として獲得した能力や習慣を含むところの複合された総体のことである
— エドワード・タイラー、Primitive culture[4]

文化は、社会に関わる。

文化的であるとは、社会的分量が多いことである。即ち、社会を構成する集団において帰納的な情報量(:物体も含め)が多いことである。

文化の度合いは、社会の深さ、社会が認識・関係する世界の広さ、情報の共有・活用具合、の積(掛け算の答え)を示す。

(以下の記述は、総合的な捉え方である:)

文化的社会は、複雑であってもよいところは複雑性に富んでいる(:深さと広さ)。そして、広い世界を認識できており、広い世界と関係し、その関係に対する制御ができている。

文化的生産物は、それに関する認識が社会に共有され、帰納的な情報になっている。同時に、文化的生産物は、世界の模型であり、社会が認識・関係する世界に、広さを与える。

阪神・淡路大震災における死因・火災原因

阪神・淡路大震災から20年。震災から学び、未来に備える – Yahoo! JAPAN

● 亡くなった方の死因は、77%が窒息と圧死。熱死や熱傷は 9%。

原因が判明した火災発生件数のうち、6割 [*] が通電火災といわれています。停電のあと、電気が復旧する時に火の元になる危険があります。避難する時はブレーカーの遮断を徹底し、通電火災を防ぎましょう。

  * 原因が判明した火災 139 件中の 85 件 (火災の全件数は、285 件)。

社会が持続的に発展するために

社会が持続的に発展するためには、累積性が必要である。

累積性があるためには、社会に慣性が必要である。

慣性があるためには、致命的・破壊的な急進が起こらないよう、民の気持ちの淀み具合が小さくなくてはならない。

● 民が安全・安心でないといけない。

軍事・国防、警察・司法、食糧・エネルギー・社会保障 などである。

● 民の脳への適度な負荷がなくてはならない。

教養と芸術と娯楽である。

● 停滞があってはならない。

停滞は、投資の減退に起因する。

(投資)=(余剰金)×(投資意欲) である。

 ・余剰金を有むための一つの手段が、無駄の排除(仕事の最適配分、生産と消費の適合 など)である。

 ・投資意欲を有むための一つの手段が、技術の発展である。

天下

天下は一人の天下にあらず
天下は天下の天下なり

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」(2014) 最終回の家康の台詞。(なお徳川家康が病床で外様大名に語った言葉であるとされている。)

これを聞いて、以下を想起した:

天下とは、民のなかにあり、民が天下人だと認識する人が、天下人である。

個人個人で異なる〈民のなか〉を、ある程度に統一したイメージに整える手段として、義務教育やマスメディアを挙げることができる。

発動の形式

石油化学産業の市場構造に関する調査報告を公表します(METI/経済産業省)

産業競争力強化法第50条(抄)
政府は、事業者による事業再編の実施の円滑化のために必要があると認めるときは、商品若しくは役務の需給の動向又は各事業分野が過剰供給構造にあるか否かその他の市場構造に関する調査を行い、その結果を公表するものとする。

ここから考えたこと:

権威による調査とその結果の公表は、強制力を孕んでいる。そう考えれば、司法は、警察等による執行の側面を抜きにしても、行政・立法とは異なる領域において統治のための強制力をもっているのである。この強制力は、明示的ではない。司法がもつ無恣意性は、その明示的でない強制力がもつ指向性を鋭くする。

さて、前記は「調べる」による、明示的でない強制力であった。

明示的でない強制力の源として、「問いかける」も、挙げることができる。公的機関・公人を例にとれば、政府首脳の発言によるアジェンダ(話題、解決すべき課題)の設定は、その一つの例である。そして、先の大戦後、昭和天皇が用いられた「ご質問」も、そうであったのだろう。

初出:
Facebook 2014/11/12