タイ王国 国王の崩御の報に際し、国王と国民の関係と、頻発する政変・クーデタを知るに、畏れ多くも 考えたことは:
タイ国王は、〈タイたること〉とタイ国民をつなぐ媒体であるのではないか、ということである。〈タイたること〉が国王の肉体・行為を通じて、タイ国民につながっているのだ。
〈タイたること〉は、 タイ国王の精神の粋に存在する(担保されている)のかもしれない。
ここで、思い出すのは、「国家は自然なものではない」( 水村 美苗 : 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008) p.108.)である。
タイ王国(に限らずどの国であっても)という人工物を成立させている仕組みのひとつが、国王なのである。
プミポン国王とタイ王室の威厳といえば、1992年の民主化運動の際、軍と民主化運動のトップを呼びつけたときの彼らの所作が印象に残ってるわ。当時の映像がこれ。
Thailand Black May 1992 https://t.co/NbXp1cdYB3 @YouTubeさんから— ぱらか・マヤ (@KK_KL_PP) 2016年10月13日
統治形態が一致していないタイと日本を同様に考えることは思考の精度が落ちるが、我が国の 天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」である。
象徴とは、媒体の、とてもドライな、無機的な表現であるように思える(象徴とすれば、政治的意味合いを排した表現になる)。