クラウゼヴィッツ『戦争論』の「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」という概念は、軍事を政治に隷属させたという”功”の側面の他に、”罪”の側面として、政治家が戦争を(安易な)手段として認識する裏づけになったという考え方がある。
第一次大戦前夜は、少なくとも、実績がこの認識を裏づけていたという状況だったようだ。
14:07~
1911年から1912年に起こった出来事っていうのは、第一次世界大戦において非常に重要な意味を持っています
第二次モロッコ危機から始まり、伊土戦争、第一次、第二次バルカン戦争
短期間の間にこれだけ大きな事件が立て続けに起こっているわけですが
最終的には外交的解決によって沈静化されていますこれは最後は結局話し合いでなんとかなったってことなんですが
話し合いで解決できてしまったことによって、ヨーロッパ各国の国家元首たちの間で、ある共通認識が生まれてしまいますそれは「戦争や軍事的緊張は相手を威嚇する上で有効であるが、最終的には外交でコントロールできる一時的な現象に過ぎない」というものです
要するに戦争はコントロールできるものと考えて、戦争が生む波及効果を甘く見ていたわけですね
このいつでも「ブレーキは掛けられる」という甘い考えが世界大戦に発展してしまった大きな要因になってしまったわけです