押入に、高校の武道の時間に使った竹刀を見つけた。
数年ぶりに握り、構えて気づく:
剣とは、身体の拡張である。そして、剣=自らの身体 を見る行為(身体の拡張がなければ、なかなか体験できない)、さらに、その細長く、全周が外気に触れている様を見る行為により、自らを第三者的に見て、自らを相対化するのである。
さて、我が国の三種の神器は、八咫の鏡・草薙の剣・八尺瓊の勾玉である。勾玉が胎児をかたどっているならば、鏡・剣・勾玉は全て、自らを相対化する装置である。
国家は、自らを相対化して、仲良しグループによる統治機構でなくなるのだ。
「ヘルシング」の、この言葉が想起される:
平野 耕太: HELLSING 電子書籍版 (少年画報社) p.129.
ありがたいことに
私の狂気は
君達の神が
保障してくれると
いう訳だよろしい
ならば私も問おう君らの神の
正気は一体どこの
誰が保障して
くれるのだね?